水の聖獣との契約
翌日。
六人は、十和田湖に到着した。
広大な湖が、目の前に広がっていた。
深い青色をした、静かな湖だった。
「……綺麗ね」
ミユキが、呟いた。
「こんなに大きな湖、初めて見た」
「綺麗ですね」
ナギサも、湖を見つめた。
「青龍様は、この底にいるんですね」
葛葉が、頷いた。
「そうじゃ。感じるか、ナギサ」
「はい」
ナギサは、目を閉じた。
「はっきりと‥感じます」
ナギサの中で、青龍との繋がりが強くなっていた。
呼ばれているような気がした。
湖の底から。
ムツミが、湖を覗き込んだ。
「でも、どうやって底まで行くの?」
「泳ぐのか」
玄弥も、湖を見た。
「かなり深そうだが」
葛葉が、手を湖に向けた。
「わらわが、結界を張るのじゃ」
「結界?」
「そうじゃ。水中でも呼吸できるようにする」
葛葉の手から、金色の光が放たれた。
光が、六人を包んだ。
「これで、水中でも大丈夫じゃ」
「ありがとうございます」
玄弥はふと思った。
(すごい便利、まるでドラえ‥)
葛葉はすかさずツッコむ。
「‥玄弥なんかよからぬ事を考えておらぬか?」
「イエナンデモアリマセン‥」
「それでいいのじゃ」
六人は、湖に入った。
冷たい水が、身体を包んだ。
でも、呼吸は普通にできた。
「すごい……」
ユカリが、驚いた。
「み、水の中なのに、い、息ができます」
「葛葉さんの術は、すごいわね」
ミユキも、感心した。
六人は、湖の底に向かって泳いだ。
どんどん深く、光が少しずつ暗くなっていった。
魚が、横を泳いでいった。
水草が揺れて静かな水の世界だった。
さらに深く潜ると。
巨大な岩が見えてきた。
湖の底に、大きな岩が横たわっていた。
ナギサは、その岩に引き寄せられた。
青龍が、そこにいるはっきりと、わかった。
六人は、岩の前に着いた。
岩の前に、洞窟のような入り口があった。
中に入ると広い空間があった。
水で満たされた、巨大な空間が。
そしてその奥に。
青龍が、いた。
長い身体。
青い鱗。
金色の角。
四本の脚。
長い髭。
巨大な龍が、静かに横たわっていた。
青龍が、目を開けた。
金色の目が、六人を見た。
「……客人か」
低く、穏やかな声が響いた。
「久しぶりだな」
ナギサが、前に出た。
「青龍様」
「……お前は」
青龍の目が、ナギサを見た。
「水瀬の巫女か」
「はい」
青龍は、ゆっくりと起き上がった。
巨大な身体が、水の中で動いた。
「なぜ、ここに来た」
「契約を結びに来ました」
「契約?」
「はい」
ナギサは、真っ直ぐに青龍を見た。
「あなたと、もう一度契約を」
青龍は、少し黙った。
それから。
「……契約は、破棄された」
「はい、知っています」
「四家が、我らを見捨てた」
「はい」
ナギサは続けた。
「でも、私たちは違います」
「何が違う?」
「私たちは、あなたの力を必要としているだけではありません」
ナギサは、静かに言った。
「あなたと共に、戦いたいのです」
青龍の目が、優しくなった。
「……朱雀と同じことを言うな」
「朱雀様と?」
青龍は、少し笑った。
「炎下の巫女達が仲間になりたい、と」
青龍は続けた。
「なら、お前の心を見せてもらおう」
「心?」
「そうだ。お前の心の奥底にあるもの」
青龍の身体が、光った。
青い光が、空間全体に広がった。
「これより、試練を与える」
青龍の声が、響いた。
「この試練を乗り越えられたら、契約を結ぼう」
ナギサは、構えた。
「わかりました」
青龍の目が、ナギサを見た。
深く心の奥底まで、見透かすように。
「では、始める」
青い光が、ナギサを包んだ。
視界が、真っ白になった。
次の瞬間ナギサは、違う場所にいた。
水瀬家の庭だった。
見慣れた景色だった。
でも。
誰もいなかった。
ナギサは、周りを見回した。
「……ここは」
その時、声が聞こえた。
「ナギサ姉」
ナギサは、振り返った。
そこに。
マトリが、立っていた。
黒髪を三つ編みにした、マトリが。
いつもの笑顔で、立っていた。
「マトリ——」
ナギサの声が、震えた。
「どうして——」
マトリは、近づいてきた。
「会いたかったよ、ナギサ姉」
「でも、あなたは——」
「死んだ?」
マトリは、首を傾げた。
「そうだね。でも、ここにいるよ」
ナギサは、後ずさった。
「あなたは、マトリじゃない」
「わかるんだ」
マトリは、笑った。
「そうだよ私は、あなたの心が作り出した影」
マトリの笑顔が、消えた。
「でもね、ナギサ姉」
その目が、鋭くなった。
「影だからこそ、聞けることがあるの」
「……なに」
「なんで」
マトリが、一歩近づいた。
「なんで‥私が好きだった玄弥を奪うの」
ナギサは、固まった。
「……え」
「玄弥のこと、好きなんでしょ」
マトリの声が、冷たかった。
「ナギサ姉」
「違う」
ナギサは、首を横に振った。
「私は、そんな——」
「嘘つき」
マトリが、遮った。
「本当は好きなくせに」
ナギサは、言葉に詰まった。
マトリは、さらに近づいた。
「ずっと、玄弥の隣にいるよね」
「それは——」
「一緒に修行して、一緒に戦って」
「……」
「私が生きてた時には、できなかったことを」
マトリの目に、涙が浮かんだ。
「ナギサ姉は、今やってるんだよね」
ナギサは、俯いた。
マトリは、続けた。
「玄弥は、私が好きだった人」
「……知ってる」
「私が死ぬ前まで、ずっと一緒だった人」
「……知ってる」
「なのに」
マトリの声が、震えた。
「なんで、ナギサ姉が玄弥の隣にいるの」
ナギサの目から、涙が溢れた。
「……ごめんなさい」
「謝らないで」
「ごめんなさい、マトリ」
マトリは、ナギサの前に立った。
「本当のこと、言ってよ」
「……」
「ナギサ姉は、玄弥が好きなんでしょ」
ナギサは、震えた。
心が、痛かった。
——本当は、好き。
ナギサは、認めた。
心の中で。
――玄弥が、好き。
――ずっと、好きだった。
――マトリが生きていた時も、ずっと。
でも。
「……言えない」
ナギサは、呟いた。
「そんなこと、言えない」
「なんで」
「あなたの姉だから」
ナギサは、マトリを見た。
「私は、あなたの姉なの」
「だから?」
「だから、玄弥を好きだなんて、言えない」
ナギサの声が、震えた。
「あなたが好きだった人を、私が好きになるなんて」
ナギサは続けた。
「それは、あなたを裏切ることになる」
「……」
「姉として、あなたを裏切ることになる」
マトリは、静かに聞いていた。
ナギサは、涙を拭った。
「だから、私は玄弥に想いを伝えない」
「……」
「ずっと、隣にいるだけでいい」
ナギサは、小さく笑った。
「それだけで、私は幸せだから」
マトリは、少し黙った。
それから。
「……莫迦だね、ナギサ姉」
「……え」
マトリの表情が、変わった。
いつもの、優しい笑顔に戻った。
「私は、ナギサ姉に幸せになってほしかったのに」
「マトリ——」
「玄弥が好きなら、好きって言えばいいのに」
マトリは、ナギサの頭を撫でた。
「私のことなんて、気にしなくていいのに」
ナギサは、目を見開いた。
「でも——」
「私は、もういないんだよ」
マトリは、静かに言った。
「ナギサ姉が、私のことを気にして幸せになれないなんて」
マトリは続けた。
「そんなの、私は嫌だよ」
ナギサの目から、涙が溢れた。
止まらなかった。
「マトリ——」
「ナギサ姉」
マトリは、ナギサを抱きしめた。
「自分に、正直になって」
「でも——」
「玄弥が好きなら、好きって認めて」
マトリは、優しく言った。
「私のことは、もういいから」
ナギサは、マトリの胸で泣いた。
声を上げて、泣いた。
――玄弥が、好き。
ナギサは、心の中で叫んだ。
――西園寺玄弥が、好き。
――ずっと、ずっと、好きだった。
でも。
――それでも、言えない。
ナギサは、顔を上げた。
マトリを見た。
「マトリ、ごめんなさい」
「……」
「私は、玄弥が好き」
ナギサは、はっきりと言った。
「本当に、好き」
「うん」
「でも」
ナギサは続けた。
「でも、それでも玄弥には言えない」
「なんで?」
「あなたの姉だから」
ナギサは、涙を拭った。
「私は、ずっとあなたの姉でいたいから」
「……」
「玄弥を好きでいることと、玄弥に想いを伝えることは、違うの」
ナギサは、静かに言った。
「私は、玄弥を好きでいる。でも、想いは伝えない」
「それで、いいの?」
「いいの」
ナギサは、小さく笑った。
「それが、私の選択だから」
マトリは、少し黙った。それから。
「……ナギサ姉らしいね」
「そうかな」
「うん」
マトリは、笑った。
「ナギサ姉は、いつもそう」
「いつも?」
「いつも、自分のことより、人のことを考えてる」
マトリは続けた。
「それが、ナギサ姉の良いところでもあり、悪いところでもある」
ナギサは、少し驚いた。
「……そう、かな‥?」
「うん」
マトリの姿が、薄くなり始めた。
「あ——」
ナギサが、手を伸ばした。
「マトリ——」
「大丈夫」
マトリは、笑った。
「私は、ナギサ姉の心の中にいるから」
「……」
「だから、寂しくないよ」
マトリは、最後に言った。
「ナギサ姉、幸せになってね」
「マトリ——」
「玄弥のこと、守ってあげて」
マトリの姿が、完全に消えた。
ナギサは、一人きりだった。
水瀬家の庭に。
涙が、止まらなかった。
でも。
心が、軽かった。
――マトリ、ありがとう。
景色が、消えた。
真っ白になった。
次の瞬間。
ナギサは、元の場所に戻っていた。
青龍の前に。
青龍が、優しい目で見ていた。
「……よく、向き合ったな」
「……はい」
ナギサは、涙を拭った。
青龍は続けた。
「お前の心の奥底にあったもの、見せてもらった」
「……」
「苦しい選択だったな」
「はい」
青龍は、ナギサに頭を下げた。
「水瀬ナギサよ」
「はい」
「我と、契約を結ぶか」
ナギサは、立ち上がった。
青龍を、真っ直ぐ見た。
「はい」
ナギサは、頷いた。
「喜んで」
青龍の身体が、光った。
青い光が、ナギサを包んだ。
光が、ナギサの身体に入っていく。
胸の中心に、流れ込んでいく。
ナギサの身体が、冷たくなった。
でも、心地よかった。
水に包まれているような感覚だった。
光が、消えた。
青龍の姿も、消えた。
ナギサの胸に、青い紋章が浮かんでいた。
青龍の紋章が。
「……契約、完了じゃ」
葛葉が、満足そうに言った。
「よくやったのう、ナギサ」
ナギサは、自分の胸を見た。
紋章が、静かに輝いていた。
「……青龍様が、いる」
ナギサは、呟いた。
「私の中に」
玄弥が、駆け寄った。
「お疲れ様、ナギサ」
「……ありがとうございます」
ナギサは、玄弥を見た。
その目が、少し赤かった。
玄弥は、気づいた。
「泣いてたのか」
「……少しだけ」
「辛かったのか」
「少しだけ」
ナギサは、小さく笑った。
「でも、大丈夫です」
ミユキが、ナギサの肩を抱いた。
「よく頑張ったわね」
「はい」
ムツミとユカリも、駆け寄ってきた。
「ナギサさん、すごかったです」
「お、お疲れ様です」
ナギサは、みんなを見た。
それから玄弥を見た。
――あなたが好きです。
心の中で、呟いた。
でも、声には出さなかった。
――でも、言いません。
ナギサは、小さく笑った。
――これが、私の選択だから。
六人は、湖の底を後にした。
二人目の契約が、完了した。
残りは、二体。
白虎と玄武だ。




