葛葉の選択
玄弥が倒れた。
その瞬間。
葛葉の中で、何かが変わった。
余裕が、消えた。
残ったのは。
ただ一つだった。
「鵺」
葛葉は前に出た。
静かに。
でも。
その妖気が、今までと違った。
重い。
冷たい。
金色の光が、暗くなるほど、濃くなっていく。
「おお?」
鵺の声が、どこか楽しそうだった。
「九尾が本気になったか」
「そうじゃ」
「いいぞ、それでこそ倒し甲斐があるってもんだ」
「うるさいのう」
葛葉の尾が、ゆっくりと広がった。
「笑っていられるのも、今のうちじゃ」
ミユキが葛葉の隣に来た。
「葛葉さん」
「うむ」
「玄弥は私たちが守ります」
「わかっておる」
「葛葉さんは鵺を頼みます」
「言われなくてもそうするのじゃ」
ナギサが玄弥の隣に膝をついた。
水の霊力を、玄弥の胸に当てる。
「……侵食が深いです」
「洗い流せるか」
「やってみます」
水が、黒ずみに触れた。
じわりと、薄くなっていく。
「……少し、薄くなってます」
「続けろ」
「はい」
葛葉は鵺を向いた。
九本の尾が、全て広がった。
今まで見せたことのない広がり方だった。
一本一本が、独立して動いている。
金色の霊気が、平原全体を満たした。
「ほう」
鵺が、静かになった。
「……本気か、九尾」
「そうじゃな」
「今まで本気じゃなかったのか」
「本気に近かったがのう」
葛葉の目が、細くなった。
「玄弥を傷つけた。それだけで十分じゃ」
「いいねぇ!」
鵺の声が、高揚した。
「九尾が怒ってる——! ギャハハ——!!」
「笑っていろ」
葛葉は動いた。
音が、消えた。
葛葉の姿が、消えた。
次の瞬間。
鵺の真横に、現れた。
「《狐火・零》——!!」
金色の霊気が。
ゼロ距離で。
炸裂した。
衝撃が、平原を揺らした。
地面が、大きく抉れた。
霧が、四方に吹き飛んだ。
鵺が。
大きく。
吹き飛んだ。
「——っ!!」
鵺の輪郭が、大きく歪んだ。
霧が、乱れた。
平原に、青い空が見えた。
「……強い」
鵺は立て直した。
でも。
輪郭の揺れが、収まらない。
「零距離で《狐火》か。避ける間もなかった」
「当然じゃ」
葛葉の声が、静かだった。
「次は、もっと近くで撃つのじゃ」
「いいな、それ——!」
鵺の声が、苦しそうだった。
「これが九尾か——!」
でも。
笑い声は、出なかった。
鵺が動いた。
「《冥霧・爪》——!!」
黒い爪が、五本。
葛葉に向かって来る。
葛葉は躱さなかった。
尾を一本、前に出した。
「《狐火・弾》」
金色の弾が、爪を相殺した。
一本。
二本。
三本。
四本。
五本目が——
葛葉の腕を、掠めた。
「……」
葛葉は自分の腕を見た。
黒ずんでいた。
「掠ったぞ——!」
鵺の声が、はしゃいだ。
「九尾も傷つくんだな——!」
葛葉は腕を見たまま、静かに言った。
「……痛いのう」
「葛葉さん——!!」
ミユキが振り返った。
「大事ない」
「でも——」
「大事ないと言うておる」
鵺が続けた。
「九尾も削れていくな」
「そうじゃな」
「俺の霧は、お前の妖気とも相性が悪い。触れるたびに削れていく」
「わかっておる」
「それでも続けるか」
「当然じゃ」
「なんで」
鵺が聞いた。
真剣な声だった。
「なんで九尾ほどの妖怪が、人間ごときのために本気を出す」
「……」
「九尾に仕える理由など、どこにもないだろう」
「仕えているわけではないのじゃ」
葛葉の尾が、静かに揺れた。
「では何だ」
「契約を結んだのじゃ」
「それだけか」
「それだけじゃ」
「契約——!」
鵺の声が、わずかに笑った。
「人間と契約を結んだ九尾か——! 馬鹿らしい——!」
「馬鹿らしくはないのじゃ」
葛葉の声が、変わらなかった。
「わらわが選んだのじゃから」
「《冥霧・極》——!!」
鵺が技を放った。
黒い球が、収束していく。
さっきより大きい。
さっきより重い。
葛葉は全ての尾を前に集めた。
「《狐火・壁》——!!」
金色の壁が、展開した。
黒い球が、壁にぶつかった。
衝撃が、広がった。
地面が、大きく揺れた。
葛葉の尾が、二本。
薄くなった。
「——っ」
「尾が二本薄くなったぞ——!」
鵺の声が、高ぶった。
「弱ぇな、九尾——!」
葛葉は膝をついた。
膝を、ついた。
「葛葉さん——!!!」
ミユキが叫んだ。
「葛葉——!!!」
ナギサが立ち上がった。
地面に倒れていた玄弥が。
その声を、聞いた。
——葛葉が。
——膝を、ついた。
「——っ」
玄弥は起き上がろうとした。
「——っあ」
全身が、痛い。
侵食が、まだ続いている。
霊力が、乱れている。
それでも。
「……葛葉」
玄弥は呟いた。
「……俺が、守る番だ」
刀を。
地面に刺さったままの刀を。
手を伸ばして。
掴んだ。
立ち上がれなかった。
それでも。
刀を持ったまま。
膝立ちで。
鵺を見た。
「……鵺」
声が、掠れていた。
「……まだ終わってないぞ」
「倒れながら啖呵切るか」
鵺の声が、嘲笑った。
「弱ぇな——!」
「……うるさい」
葛葉が顔を上げた。
玄弥を見た。
「……莫迦もの、そのまま倒れておけば良かったものを‥」
「そうかもな」
「立てないだろう」
「立てない」
「なら——」
「でも」
玄弥は葛葉を見た。
「葛葉が一人で戦うのを、見てられない」
葛葉は少し黙った。
それから。
小さく、笑った。
「……莫迦もの。」
「さっきも言った」
「二度言いたくなったのじゃ」
葛葉は立ち上がった。
薄くなった尾を、それでも広げた。
「玄弥」
「なんだ」
「契約の繋がりを、感じるか」
「……感じる」
「なら」
葛葉は玄弥に手を伸ばした。
「繋がりを使え。わらわの妖力を、お主に流す」
「でも葛葉の妖力が——」
「いいのじゃ」
静かに、でも確かに言った。
「わらわが選んだことじゃ」
玄弥は葛葉の手を、掴んだ。
金色の妖気が。
葛葉から。
玄弥に。
流れ込んでくる。
侵食が、薄くなっていく。
乱れた霊力が、整っていく。
刀に、光が戻ってくる。
「——っ」
玄弥は立ち上がった。
膝が、震えていた。
それでも。
立った。
「……立てた」
「当然じゃ」
葛葉の尾が、金色に輝いた。
「わらわの妖力じゃからのう」
「ありがとう」
「礼はいらん」
「葛葉」
「なんじゃ」
「次で、決める」
葛葉の目が、鋭くなった。
「うむ」
静かに、頷いた。
「次で、決めるのじゃ」
「立ち上がったのか——!」
鵺の声が、平原に響いた。
「まだやるのか——! ギャハハハハ——!!!」
「……ああ」
玄弥は刀を構えた。
「まだやる」




