鵺再来
霧が、濃くなった。
さっきとは、次元が違った。
視界が、完全に消えた。
一メートル先すら、見えない。
音が、歪んだ。
葛葉の声が聞こえる、と思ったら別の方向から聞こえる。
玄弥の声が、遠くなる。
「——っ」
ミユキは炎を強くした。
青い炎が、霧を照らす。
でも。
霧は消えない。
炎の光が、霧に吸われていく。
「くっ——」
その瞬間。
地面が、揺れた。
いや、揺れていない。
でも揺れている気がする。
平衡感覚が、狂い始めた。
「——まずい」
ミユキは地面を踏みしめた。
——ここが下。
——私は立っている。
落ち着け。
落ち着け。
「西園寺——!」
叫んだ。
聞こえない。
「葛葉さん——!」
聞こえない。
「ナギサ——!!」
聞こえない。
完全に、一人だった。
霧の中に。
たった一人。
「九尾の契約者の仲間か」
声がした。
ミユキは振り返った。
霧の中に、人影があった。
鵺ではない。
もっと小さい。
でも。
妖気が、濃かった。
「……誰だ」
「鵺様の配下だ」
人影が、複数になった。
一体。
二体。
三体。
五体。
「お前一人を、いただく」
ミユキは構えた。
「やってみなさい」
青い炎が、両手に灯る。
霧の中でも、この炎だけは消えない。
「来い」
配下の妖怪が、動いた。
一体目が、左から来る。
ミユキは炎の刃を形成した。
「——《蒼炎刃》」
横薙ぎに払う。
妖怪が、霧散した。
「一体」
二体目が、上から来た。
炎の壁を張る。
「——《蒼炎壁》」
妖怪が、弾かれた。
「二体」
三体目と四体目が、同時に来た。
左右から。
「……っ」
炎の壁は左だけ。
右が間に合わない。
ミユキは右に躱した。
腕を、掠めた。
「——っ、熱い」
いや、違う。
冷たかった。
冥界の妖気が、腕を削いだ。
「くっ——!」
後退した。
腕から、霊力が漏れる感覚がした。
「……なんだ、これ」
「冥界の妖気は、霊力を侵食する」
配下の妖怪が言った。
「触れた場所から、霊力が崩れていく。炎使いが炎を使えなくなれば——」
「うるさい」
ミユキは腕を見た。
掠めた場所が、少し黒ずんでいた。
炎を灯してみる。
出た。
でも、さっきより少し弱い。
「——まずいわね」
五体目が来た。
同時に、三体目と四体目も立て直してくる。
三体、同時に。
「……」
ミユキは一瞬、考えた。
炎を最大まで出せば、一気に消せる。
でも。
腕の侵食が広がるかもしれない。
——だからって、手加減したら負ける。
「うるさい、全部まとめて来なさい」
青い炎が、両腕に満ちた。
さっきより、熱い。
さっきより、強い。
「——《蒼炎・乱》——!」
青い炎が、爆発した。
四方に広がる。
霧が、一瞬だけ吹き飛んだ。
妖怪たちが、まとめて霧散した。
静寂が落ちた。
ミユキは息を整えた。
腕の黒ずみが、少し広がっていた。
「……痛い」
呟いた。
誰もいない霧の中で。
「でも、倒した」
霧の中に、また気配がした。
今度は多い。
さっきの五体とは、比べ物にならない。
「……まだ来るの」
「まだまだいるぞ」
配下の声が、霧の中から聞こえた。
「お前の炎がなくなるまで、来続ける」
「……」
「炎使いの霊力には限りがある。侵食が広がれば——」
「黙れ」
ミユキは炎を絞った。
最小限の出力に。
無駄に使わない。
一体ずつ、確実に。
一体目。
《蒼炎刃》。
一撃で。
二体目。
躱して。
背後から。
一撃で。
三体目。
——侵食が、広がる。
でも、止まらない。
何体倒したか、わからなくなってきた。
腕の黒ずみが、肩まで来ている。
炎の出力が、落ちてきた。
「……っ」
膝が、ふらついた。
その時。
霧の向こうに、光が見えた。
青い光じゃない。
白い光。
「——ナギサ?」
「炎下さん——!」
ナギサが、霧を切り裂いて来た。
水の剣が、霧を払いながら。
「生きてた——!」
「生きてます」
ナギサはミユキの腕を見た。
その目が、わずかに険しくなった。
「侵食されてますね」
「ちょっとね」
「ちょっとじゃないです」
「大丈夫よ」
「大丈夫じゃないです」
ナギサは霊力を水に込めた。
「……水で、侵食を洗い流せるかもしれません」
「できるの?」
「やってみます」
ナギサの水が、ミユキの腕に触れた。
冷たかった。
でも。
黒ずみが、少し薄くなった。
「……効いてる」
「完全には無理ですが、進行を遅らせられます」
「十分よ」
「他のみんなは」
「玄弥さんと葛葉さんは、繋がりを頼りに集まっているはずです」
「あなたはどうやって来た」
「霧の流れです」
「霧の流れ……」
「霧は均一じゃない。流れがある。その流れを逆に辿れば、元の場所に戻れる」
ミユキは少し黙った。
「……頭いいわね」
「ありがとうございます」
「褒めてる」
「わかってます」
霧の中に、また気配がした。
「——また来る」
「来るなら来なさい」
ミユキは炎を灯した。
さっきより出力は落ちている。
でも。
「ナギサがいる」
「はい」
「なら負けない」
「負けません」
ナギサが水の剣を構えた。
ミユキが炎を両手に灯した。
二人が、背中合わせに立った。
「——来なさい」
妖怪が来た。
四体。
六体。
八体。
ミユキが前を捌く。
「《蒼炎刃》——!」
ナギサが後ろを守る。
「《水鏡》——!」
水の壁が、背後からの攻撃を弾く。
二人の連携が、霧の中で光った。
ミユキの炎が、ナギサの水を照らす。
ナギサの水が、ミユキの死角を守る。
炎と水。
相反するはずの力が。
今は一つの盾になっていた。
「……面白いな」
霧の奥で、鵺の声がした。
「二人で補い合うか」
「当然でしょ」
ミユキは霧を睨んだ。
「これが連携よ」
その時。
霧の向こうから、金色の光が差し込んだ。
「——葛葉さん!」
「おったのう、二人とも」
葛葉が霧を割いて現れた。
その後ろに、玄弥が続いた。
「ミユキ、ナギサ——!」
「遅い」
ミユキはぶっきらぼうに言った。
「心配したんでしょ」
「してない」
「耳赤いですよ」
「うるさい」
玄弥はミユキの腕を見た。
「侵食されてる」
「大したことない」
「大したことある」
「ナギサが処置した」
「でもまだ残ってる」
「……あとで文句言う」
「今言ってる」
四人が、再集結した。
霧の中の小さな空間で。
鵺の気配が、四方から感じられる。
「次が来るぞ」
玄弥は刀を抜いた。
霊装の刀が、紫色の光を帯びた。
「今度は散らされない」
「うむ」
「四人で固まって、鵺を正面から追い詰める」
「策は?」
「ある」
玄弥は静かに続けた。
「ナギサの水鏡で、霧の流れを把握する。ミユキの炎で霧を一点突破する。葛葉が鵺の動きを封じる。その間に俺が懐に入る」
「未来視は」
「鵺が逆手に取るなら——」
玄弥は刀を握りしめた。
「逆手に取られる前に、当てればいい」
「雑な結論ね」
「シンプルが一番だ」
ミユキは少し黙った。
「……まあ、いいわ」
「鵺」
玄弥は霧に向かって言った。
「次は、お前を追い詰める」
「やってみろ」
霧の向こうから、声がした。
「ハッ楽しみにしてるぞ」




