嵐の前の‥
翌朝。
身体は重く、胸の奥がじくじくと疼く。
野良妖怪との遭遇――代償の兆候――は、まだ完全には治まっていない。
ゆっくりと起き上がり、着替える。
食卓には母が、淡い微笑みを浮かべて朝食を用意していた。
「……玄弥、大丈夫?」
「……ああ、大丈夫だ」
嘘はつかない。
でも、全てを話す必要もない。
母は黙って頷き、父の席には手をつけずに立ち上がった。
◆
学院に向かう道。
空気は穏やかだが、どこか妙な視線を感じる。
昨日の騒ぎが、まだ完全に誰にも伝わっていないだけで、
人々の無意識が、俺をちらりと捉えているのだ。
「……また、少しずつ変わるのか」
自分に呟き、歩幅を揃える。
クラスはいつも通り。
だが、一昨日までの騒ぎを知る者の視線が、時折こちらを向く。
噂はまだ小さく、広がる前のざわめきだけがある。
◆
授業中、窓の外を見る。
風に揺れる木々。
静かな空。
普通の、日常の景色だ。
だが、自分の中では戦闘の感覚がまだ残っている。
胸の奥で、何かが熱を帯びている。
――尾はまだ眠っている。
使えば代償が膨れ上がる。
だから今日も、静かに内側の流れを意識しながら、呼吸を整える。
◆
放課後、学院を出る。
影が長く伸び、夕陽が赤く校舎を染める。
遠くで、クラスメイトの笑い声が聞こえる。
誰とも話さず、ただ静かに歩く。
昨日の戦闘での疲労は消えない。
胸の奥の熱も、微かに残る。
けれど、外の空気に触れるだけで、少しだけ落ち着く。
◆
家に帰ると、父が書斎で書物に向かっていた。
母は、台所で片付けをしている。
「……玄弥」
父は顔も上げず、低く声をかける。
「……ただいま」
軽く会釈するだけで、互いに沈黙。
だが、言葉はなくても、存在は通じている。
家族の中で、少しだけ普通の時間を取り戻す。
◆
布団に入り、天井を見上げる。
尾はまだ出せない。
でも、体内の流れを整える感覚は、わずかに掴めるようになった。
代償の兆候は完全には消えていない。
だが、今日の静かな日常は、少なくとも心を落ち着かせる。
明日もまた、学び、歩む。
戦いはまだだが、準備は、静かに進んでいる。
翌朝。
空は澄んでいる。
光は柔らかく、校舎の壁に反射して輝いている。
だが、俺の胸の奥は、静かにざわついていた。
昨日の修行の疲労はほぼ消えたが、代償の兆候はわずかに残っている。
微かな違和感――胸の奥で、血が小さく熱を帯びる感覚だ。
――尾はまだ出せない。
使えば、間違いなく身体が悲鳴をあげる。
◆
学院の門をくぐると、普段と同じ光景が広がっていた。
生徒たちは笑い、話し、授業へ向かう。
しかし、視線の端で、何かがおかしいことに気づく。
窓から差し込む光が、微かに揺れているように見える。
風が、普段より少し強く、一定の方向に吹いている。
校庭の木々がざわめき、葉が一斉に揺れる。
――誰も気づかないけど、俺にはわかる。
小さな異変だ。
◆
授業中、講師の声が頭に入ってこない。
目の端で、黒い影が走った気がした。
視線を追うと、何もいない。
だが、背筋に冷たい感覚が走る。
昨日の戦闘で、俺の血が覚醒の兆候を見せたことを思い出す。
九尾の力はまだ封じられているが、周囲の妖の気配には敏感だ。
――何かが近づいている。
◆
昼休み。
校庭を歩きながら、風に乗る微かな霊気を感じ取る。
小さな子供のような、だが不穏な気配。
見慣れない種類の霊力――野良妖怪だ。
まだ影も形も見えない。
だが、直感が告げている。
――すぐにでも、何かが起こる。
◆
教室に戻ると、クラスメイトたちは無邪気に話している。
誰も異変には気づいていない。
それが、余計に不安を増幅させる。
昨日までの日常は、もう戻らない。
胸の奥のざわつきが、それを告げている。
――準備は、できているか。
尾はまだ出せない。
だが、戦いはもうすぐ始まる。




