境界の綻び3
「……行って」
ナギサが静かに言った。
「任せる」
「任せてください」
怪物どもが動いた。
一体が、玄弥に向かって来た。
「させない」
ミユキの炎が、怪物を包んだ。
怪物が、霧散した。
「速いな」
「当然でしょ、鍛えてたんだから」
次の怪物が来る。
ナギサが動いた。
静かに、素早く。
水の刃が、怪物を両断した。
「二体目」
「私も鍛えてましたので」
葛葉が前に出た。
九本の尾が、扇のように広がる。
金色の霊気が、辺りを満たした。
「さて」
葛葉は扇子を開いた。
「まとめてかかって来い」
怪物が、三体同時に飛びかかった。
葛葉は動かなかった。
尾が三本、それぞれ別方向に動いた。
三体、同時に消えた。
「……弱いのう」
葛葉の声は、退屈そうだった。
「冥界の下っ端じゃな」
その隙に。
玄弥は歪みの中心に向かった。
暗い渦に、足を踏み入れる。
「——っ」
身体が、引っ張られる感覚。
冥界の引力が、存在ごと引き込もうとする。
四本の尾を展開した。
存在が、揺れる。
——俺は西園寺玄弥だ。
核を、手放さない。
「——入れる」
一歩。
また一歩。
中心へ。
しかし。
歪みの内側から、新しい怪物が出てきた。
さっきとは違う。
大きい。
三メートル近い、黒い塊。
目が六つ。
腕が四本。
「玄弥——!」
葛葉が叫んだ。
玄弥は躱した。
四本の腕が、空を薙ぐ。
霊力を拳に集めて。
「——《紫電》!」
腹に、叩き込んだ。
怪物が、よろめいた。
しかし消えない。
「硬い」
「冥界の番人じゃ」
葛葉が横に来た。
「下っ端とは違う。しぶといぞ」
「どのくらい」
「少し本気を出す必要があるのう」
「少しで済むなら頼む。俺は封印を急ぐ」
「任せよ」
葛葉が番人の前に立った。
尾が、五本展開した。
「わらわの相手をせよ」
番人が、葛葉に向き直った。
四本の腕が、同時に動く。
葛葉は躱さなかった。
尾で全て弾いた。
「——《狐火・乱舞》」
金色の霊気が、番人を包んだ。
番人が、霧散した。
「片付いたのう」
その瞬間。
玄弥の遠見が、反応した。
暗い気配。
冥界の奥から。
近づいてくる。
「……来る」
玄弥は歪みの奥を見た。
まだ見えない。
でも。
確かに、感じる。
「葛葉」
「うむ、わらわにも感じるのう」
「鵺か」
「……本体じゃ」
葛葉の声が、静かに重くなった。
「本体が、綻びを利用して現世に来ようとしておる」
「まずい」
ミユキが言った。
「封印が間に合わないのか」
「急げば間に合う」
葛葉は玄弥を見た。
「今すぐ封印しろ、玄弥。鵺が完全に出てくる前に」
「わかった」
玄弥は歪みの中心を見た。
暗い渦が、揺れている。
鵺の気配が、底から近づいている。
四本の尾を全て展開した。
全身の霊力を、中心に向けて集める。
「——行くぞ」
中心に踏み込んだ。
世界が、歪む。
存在が、揺れる。
四百年の修行で慣れた感覚が、しかし今は桁違いだった。
冥界と現世の狭間。
引き裂かれそうになる。
——俺は西園寺玄弥だ。
——葛葉がいる。
——ミユキとナギサが待っている。
——消えない。
霊力を、全て叩き込んだ。
四本の尾が、光を放つ。
金色の光が、暗い渦を押し返す。
渦が、抵抗する。
押し返す。
また抵抗する。
「——っ、閉じろ——!」
その瞬間。
渦の奥から。
声がした。
「——また邪魔をするかよ小僧」
低く。
暗く。
鵺の声だった。
玄弥は霊力を増した。
「閉じる。今すぐ——!」
「——西園寺玄弥ァまた来るぞ、次はテメェを屠る」
声が、遠ざかった。
渦が、縮んだ。
小さくなって。
小さくなって。
閉じた。
玄弥は歪みの外に出た。
膝をついた。
霊力がごっそり持っていかれた感覚がある。
「玄弥」
葛葉がすぐに来た。
「……封じた」
「うむ、見えたのう」
「鵺の声がした。また来ると言っていた」
「そうじゃろうのう」
葛葉は静かに空を見た。
「じゃが今日は来られまい。綻びが封じられた以上、また壁を越えるのに時間がかかる」
「猶予か」
「短い猶予じゃがのう」
「西園寺」
ミユキが歩み寄ってきた。
「……大丈夫?」
「大丈夫だ」
「嘘くさい」
「本当だ」
ミユキはしゃがんで、玄弥の顔を覗き込んだ。
「顔色悪い」
「そうか」
「そういうことは言わない」
「ミユキ」
「なに」
「心配してくれてるのか」
「してない」
「顔色気にしてたじゃないか」
「……見ただけ」
ミユキは立ち上がった。
耳が、赤かった。
ナギサが静かに水の入った器を差し出した。
「飲んでください」
「ナギサ、どこから」
「炎下家から持ってきました」
「準備がいいな」
「西園寺くんが倒れる可能性は高かったので」
「……信頼されてないな」
「マトリの事はあるけど、西園寺くんがいないともっと大変になるから‥」
「それは信頼なのか」
「信頼よ」
玄弥は水を飲んだ。
葛葉は空を見たまま、静かに言った。
「鵺は本気になっておる」
「わかってる」
「次は分体ではない。本体で来る」
「わかってる」
「それでも」
「戦う」
玄弥は立ち上がった。
膝が、少し震えた。
でも足は、しっかりと地面を踏んでいた。
「俺には四本の尾がある。未来が見える‥それに葛葉がいる」
「うむ」
「負ける理由はない」
「うむ」
葛葉は笑った。
今度は、からかいじゃなく。
本当に、頼もしそうに。
夕暮れの空に。
封じられた歪みの跡だけが、かすかに残っていた。
鵺の声が、耳の奥に残っている。
——また来る。
玄弥は空を見上げた。
来い、と思った。
今度は、正面から相手をしてやる。




