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呪壊の陰陽師 ―霊力ゼロの陰陽師が最強の妖狐と結ぶ仮初の契約―  作者: 仁科異邦
鵺激闘編

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閑話 炎下の業

 炎下家の庭に、枯れた木が一本あった。

 手入れもされず、ただそこに立っている。

 ミユキは子供の頃から、あの木が嫌いだった。


 ——でも。

 誰も切らなかった。

 誰も、何も言わなかった。


 障子越しに、父の気配がした。

「ミユキ」

 焰一郎の声だった。


「どうぞ」

 ミユキは腕を組んだまま、障子を開けた。

 座敷の中央に、父が正座していた。

 あの牙哭との戦いから、少し経つ。

 顔の傷は癒えていた。

 でも。


 その顔に刻まれた陰は、消えていなかった。

「……なに」

 ミユキはぶっきらぼうに言った。

「座れ」

「立ったまま聞く」

 焰一郎は何も言わなかった。


 ミユキが座らないことに、文句を言わなかった。

 それが、少し意外だった。


 沈黙が続いた。

 焰一郎は畳を見たまま、口を開いた。

「……すまなかった」

 ミユキは、何も言わなかった。


「お前に。そして」

 焰一郎の手が、膝の上で、静かに握られた。

「ホノカに。ヒマリに」

 姉たちの名前が、出た。

 ミユキの胸の奥で、何かが動いた。


「炎下の家は代々、種の超越を悲願としてきた」

 焰一郎は続けた。

「妖魔の力を子に宿し、研究を重ね、より強い者を生み出す。それが炎下当主の使命だと、わしはそう教えられた」

「……知ってる」

「ホノカは十二の時に壊れた」

 ミユキは黙った。

「ヒマリは十四の時だった」

 焰一郎の声は、乱れなかった。

 ただ、低く、静かだった。

「二人とも、わしが宿した妖魔の力に耐えられなかった」

「……」

「それでもわしは続けた」


 ミユキは壁を見た。

 座敷の隅に、古い掛け軸があった。

 炎下家の家紋。

 子供の頃から、ずっとそこにある。

「お前が生まれた時」

 焰一郎が続けた。

「ホノカとヒマリのことがあったから、迷った」

「……迷った?」

「お前には宿さない方がいいかと」

 ミユキは父を見た。


「でもわしは、宿した」

「知ってる」

「迷いながら、宿した」

「知ってる」

 ミユキの声が、少し低くなった。

「知ってるって言ってんでしょ」


 また沈黙があった。

 焰一郎が、ゆっくりと頭を下げた。

「すまなかった」

 さっきとは違う、深い礼だった。


「娘として、お前を見てやれなかった。ただ研究の継続として、見ていた」

「……」

「それが間違いだったと、今は思う」

 ミユキは何も言わなかった。


 初めて見た、と思った。

 父が頭を下げる姿。

 炎下焰一郎は、当主として生きてきた。


 炎下の悲願を背負って。

 娘を研究の道具のように扱いながら。

 それが当主の役目だと、そう生きてきた。

 ——憎かった。


 ミユキは正直に思った。

 姉たちが壊れていく様を見ながら。

 それでも続ける父を。

 憎んでいた。

 でも。


「……一つ聞く」

 ミユキは腕を組んだまま、言った。

「なに」

「姉たちを。研究の過程で壊れたって、わかってたよね」

「……わかっていた」

「それでも続けた」

「続けた」

「後悔してた?」

 焰一郎は少し間を置いた。


「……していなかった」

 正直な答えだった。

「当時のわしには、悲願の方が大きかった。ホノカが壊れたときも。ヒマリが壊れたときも。それでも続けることが当主の務めだと、そう信じていた」


「じゃあ」

 ミユキは父を見た。

「今さら謝るのは何で」


 焰一郎は、ゆっくりと顔を上げた。

「牙哭に身体を乗っ取られていた間」

 静かに、言った。

「わしは何もできなかった。ただ、内側から見ていた」

「……」

「西園寺玄弥が戦うのを、見ていた。お前たちが戦うのを、見ていた」

 焰一郎の手が、わずかに震えた。

「お前が泣いているのを、見た」


 ミユキは視線を逸らした。

「……泣いてない」

「泣いていた」

「泣いてないって言ってんでしょ」

「……ミユキ」

「なに」

「お前は炎下の娘として生まれてきたのではない」

 焰一郎の声が、初めて変わった。

「わしの娘として、生まれてきたのだ」


 ミユキは動かなかった。

 表情も、変えなかった。

 ただ。

 指先が、少し白くなっていた。

 腕を組む力が、強くなっていた。


「……遅いよ‥」

 ミユキは言った。

「言うのが遅すぎる」

「そうだな」

「姉たちが壊れる前に気づけ」

「そうだな」

「今さら言っても何も戻らない」

「そうだな」


 焰一郎は全部、肯定した。

 反論しなかった。

 言い訳もしなかった。


 ミユキはしばらく黙っていた。

 庭の枯れ木が、風に揺れていた。

 あの木。


 ホノカ姉が壊れた年から、枯れたままだ。

 誰も切らなかったのは。

 父が、切れなかったからだと。

 今、初めて気づいた。


「……当主として、やれることはやってきた」

 ミユキは静かに言った。

 父に向かって、ではなく。

 どこか、自分に言い聞かせるように。


「炎下の悲願を背負って、研究を続けて。それは事実だ」

「……ミユキ」

「間違ってたとは思う。姉たちのことは、絶対に間違ってた」

 ミユキの声は、乱れなかった。

「でも、当主として役目を果たしてきたことは、本当のことだ」


 焰一郎は、ゆっくりと目を閉じた。

 娘にそう言われるとは、思っていなかった。

「ミユキ」

「なに」

「……ありがとう」

「礼はいらない」

 ミユキはそっぽを向いた。

「ただ」

 それでも、続けた。


「もう研究はやめて欲しい」

「……うむ」

「炎下の悲願とか知らない。もうこれ以上、誰かが壊れるのは嫌」

「……わかった」

「本当に?」

「本当だ」

 ミユキは少し黙った。

「……信じる」

 短く、それだけ言った。


 障子を開けて、出ようとして。

 ミユキは足を止めた。

「……父さん」

 今日初めて、そう呼んだ。

 焰一郎が、目を開けた。

「謝ってくれたのは、よかったと思う」

 それだけ言って、廊下に出た。


 座敷に、焰一郎が一人残った。

 長い沈黙があった。

 それから。

 ゆっくりと、目に手を当てた。

 声は、しなかった。

 ただ。

 肩が、小さく震えていた。


 廊下を歩きながら。

 ミユキは空を見た。

 憎しみが、消えたわけじゃない。

 許したわけでも、ない。

 でも。


 ——少しだけ。

 重かったものが、軽くなった気がした。

 庭の枯れ木に、小さな芽が出ていた。

 今まで気づかなかった。


 ミユキはしばらく、それを見ていた。

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