表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
呪壊の陰陽師 ―霊力ゼロの陰陽師が最強の妖狐と結ぶ仮初の契約―  作者: 仁科異邦
Lumière Crown編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

130/207

ヒナタと謎の女

 ヒナタは、練習に来なくなった。

 最初は「体調不良」とだけグループチャットに送られてきた。

 次のライブも欠席、でも既読はつく。

 でも、それ以上は何もない。


 スタジオの空気は、明らかに重かった。

「……連絡、返ってこない?」

 ムツミが小さく聞く。


 マツリが首を振る。

「“大丈夫”ってだけ」

 大丈夫なわけがない。

 誰もが分かっている。



 数日後。

 姉はヒナタのマンションの前に立っていた。

 インターホンを押す。


 数秒の沈黙。

「……何」

 低い声。


「大丈夫?みんな心配してるのよ」


「今は無理」


「顔だけでも見せて」


「見せなくていい」

 そんな冷たいやり取り。


「ヒナタ」

 姉の声が少しだけ柔らかくなる。


「逃げても解決しない」


「逃げてない」

 即答だった。


「ちょっと休んでるだけ」


「みんな心配してる」


「勝手にすれば?」

 沈黙。


 扉の向こうで、息を呑む気配。

「……今は、誰とも話したくない」


 その声は、弱い。

 けれど扉は開かない。

「帰って」


 小さく。

 はっきりと。

 姉はしばらく立ち尽くしていたが、やがて諦めたように息を吐いた。


「……また来るわね」

 返事はない。

 扉の向こうで、ヒナタはその場に座り込んでいた。

 来ないでほしいのに。


 本当は、来てほしい。

 矛盾が、胸を締めつける。



 部屋は暗い。

 カーテンは閉め切られている。

 スマホの通知は、ほとんど見ない。


 動画も、開かない。

 見れば苦しくなるから。

 でも、孤独は増していく。

 静かすぎる部屋。


 何もない時間。

 考えだけが膨らむ。


 ――私がいなくても、回る。


 ――もう戻れない。

 胸の奥の黒い芽は、少しずつ根を張っていく。



 数日後。

 冷蔵庫が空になり、ヒナタは仕方なく外に出た。

 夜のコンビニ。


 明るすぎる照明が目に刺さる。

 フードコーナーでカップ麺を手に取る。

 ふと。


「元気なさそうね」

 声。


 背筋が冷える。

 振り返る。

 あの女が、そこにいた。


 黒いコート。

 変わらない、特徴のない顔。

 レジ横の雑誌棚の前に、自然に立っている。


「……あなた」


「偶然ね」

 そう言って微笑む。

 偶然のはずがない。


 でもそんな事気にならなかった。

「まだ苦しい?」


 ヒナタは目を逸らす。

「別に」


「練習、行ってないでしょう」

 心臓が跳ねる。


「どうして」


「顔に出てる」

 また、それ。

 女はゆっくり近づく。


「あなたがいない間も、ちゃんと回ってる」

 その言葉に、胸が締めつけられる。


「この前のライブ、とても盛り上がったみたいよ」

 ヒナタの手が震える。


「……見てない」


「見ない方が楽よね」

 優しい声。


「でもね」

 女の目が、わずかに細まる。

「あなたが苦しんでいる間、あの子はどんどん前に出る」


 あの子。

 名前は出さない。

 でも分かる。


「ファンも増えてる」


 胸の奥がざわつく。

「あなたが戻った時、どうなるかしら」


 想像してしまう。

 歓声の中心に立つムツミ。

 自分の居場所が曖昧なステージ。


「……やめて」

 小さな声。

 女は首を傾げる。


「あなたは悪くないのに」

 またその言葉。


「奪われた側なのに」

 黒い芽が、ぴくりと動く。


「ねえ」

 女は静かに囁く。


「本当に、取り返したくない?」

 ヒナタの呼吸が止まる。

 取り返す。


 その言葉は甘い。

 壊すよりも、正しい響き。

 でもその奥に、何か冷たいものがある。


 コンビニの照明が、わずかに明滅する。

 一瞬だけ。


 女の影が、床に不自然に伸びた気がした。

 ヒナタはそれに気づかない。


 ただ、胸の奥で揺れる感情を握りしめている。

 孤独と焦り。


 それは、正当化された怒り。

 その隙間に。

 女の声が、静かに染み込んでいく。


 そしてコンビニの外。

 自動ドアが閉まる音が、やけに遠く聞こえる。

 ヒナタは袋を握ったまま、立ち尽くしていた。


「……どうすればいいの」

 自分でも驚くほど、弱い声だった。

 女はゆっくり振り返る。


 街灯の光を受けても、相変わらず輪郭が曖昧だ。

「どうって?」


「このままじゃ……戻れない」

 胸が締めつけられる。


「戻ったって、居場所ないかもしれない」

 女は、優しく頷く。


「怖いわよね」

 否定しない。

 責めない。

 ただ寄り添う。


「……取り返したい?」

 ヒナタは答えない。

 でも沈黙が答えだった。


 女の口元が、わずかに歪む。

「簡単よ」


 さらりと言う。

「ライブを滅茶苦茶にしちゃえばいい」


 ヒナタの思考が一瞬止まる。

「……は?」


「あなたがいないと回らないって、証明すればいい」

 静かな声。

 あまりにも自然に。


「私の“部下”を少し暴れさせるわ、それだけ」

 ぞくりとする。


「音響を乱す。

 照明を落とす。

 ちょっとした混乱を起こすだけ」


 女は淡々と続ける。

「それにあなたは何もしなくていい。

 ただ、高みの見物」


 ヒナタの呼吸が浅くなる。


「ライブが崩れれば、分かるわあなたの存在の重み」


 甘い。

 その言葉は、あまりにも甘い。

 壊してしまえば。


 証明できる?

 私が必要だって。

 でも。


「……怪我人とか、出たら」

 かすれた声。


 女は微笑む。

「そこまではしないから安心して」


 即答。


「ほんの少しの混乱よ。

 あなたを失った代償を、味わってもらうだけ」

 ヒナタの胸の奥で、黒い芽が揺れる。


 楽になりたい。

 見返したい。

 苦しみを分からせたい。


 その感情が、ゆらりと顔を出す。

「あなたは悪くない」


 またその言葉。

「傷ついた側なんだから」


 正当化。

 免罪符。


 女の影が、足元で不自然に揺れる。

「どうする?」


 問いかけ。

 夜は静かだ。

 遠くで車の音。

 コンビニの明かり。


 ヒナタの心は、大きく揺れている。

 壊せば、証明できる?

 それとも。


 壊した瞬間、本当に戻れなくなる?

 女は急かさない。

 ただ微笑んでいる。


 まるで、答えが分かっているかのように。

 ヒナタの指先が、わずかに震えた。


 「……やる」

 ヒナタは、小さく言った。


 女の瞳が、ゆっくり細まる。

「いいのね」


「怪我人は出さないって言った」


「ええ」

 女は微笑む。


「あなたは見るだけ、必要とされる瞬間を、ね」


 ヒナタは頷いた。

 胸が苦しい。

 でも。

 止まれなかった。



 ライブ当日。

 会場は満員に近い。

 ステージ裏。


「いける?」

 マドカが小さく拳を出す。


「もちろん」

 ムツミが笑う。


 まだどこか、無理をしている笑顔。

 ヒナタの姿はない。


 五人で円陣を組む。

「いくよ」


 掛け声。

 照明が落ちる。

 歓声が上がる。

 ライブは、順調だった。


 オープニング曲。

 フォーメーション。


 ムツミは堂々としている。

 観客の声も大きい。

 確実に、人気は伸びている。


 それでも。

 どこか、空気が重い。

 五人の視線の端に、いつもいないはずの影を探している。


 それでも、ステージは回る。

 問題なく。

 完成度は高い。



 客席の後方。

 帽子を深く被ったヒナタが立っている。

 隣に、あの女。


「……順調に回ってる」

 ヒナタの声は震えている。


「ええ」

 女は淡く笑う。


「だから、少し痛い目を見てもらうの」

 次の瞬間。


 サビ直前。

 照明が、一斉にちらついた。

 ざわり、と会場が揺れる。

 音が一瞬途切れる。


「……?」


 ムツミがわずかに視線を上げる。


 すぐに歌い直す。

 プロだ。

 観客は拍手で支える。


 だが。

 今度は低いノイズ。

 スピーカーから、歪んだ音が混じる。

 キィン、と耳鳴りのような高音。


 観客の悲鳴が混ざる。

 舞台袖でスタッフが慌てている。


「機材トラブル!?」

 マツリが目を見開く。

 アオイが必死にフォローする。


「大丈夫! みんな一緒に!」

 会場を繋ごうとする。


 だが。

 照明が突然、真っ暗になる。

 一瞬の完全な闇。

 ざわめきが恐怖に変わる。

 その闇の中で。


 ステージ脇に、黒い影が揺れた。

 人ではない何か。

 細長く歪んだ“影”が、照明機材に絡みつく。


 ヒナタの隣で、女が囁く。

「ほら」

 甘い声。


「あなたがいないと、崩れる」

 再び非常灯がつく。

 ステージは混乱している。


 曲は止まり、観客はざわめき、スタッフが走る。

 ムツミはマイクを握ったまま立ち尽くす。


 必死に声を出す。

「大丈夫です! 少しお待ちください!」


 だが声は震えている。

 それを見て。

 ヒナタの胸が、ぎゅっと締めつけられる。

 嬉しくない。

 勝った気もしない。


 ただ。

 壊れていく光景が、目の前にある。

 女は微笑む。


「もう少し壊しても良いよね?」

 黒い影が、さらに大きく蠢く。


 照明の一部が火花を散らす。

 観客の悲鳴が大きくなる。


 ヒナタの手が、震える。

 ――こんなはずじゃ。


 “少しの混乱”のはずだった。

 でも。

 ステージは確実に、崩れ始めている。


 ムツミが必死に観客を守ろうとしている姿が、はっきりと見える。

 その姿が。


 ヒナタの胸を、強く打った。

 女が静かに問う。


「どうする?」

 壊すか。

 止めるか。


 ライブ会場は、今まさに混沌の中にあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ