激戦を潜り抜けた先に
牙哭の核が砕け、黒い霊力が霧のように散る。
結界が軋み、炎下家の屋敷を覆っていた重圧がゆっくりと解けていく。
玄弥は最後まで刃を握っていた。
だが――。
九尾の尾が霧散し、霊装の光が薄れる。
膝が崩れる。
「……っ」
立っていられない。
八岐大蛇の再生を限界まで引き出した反動が、一気に押し寄せる。
全身の感覚が遠のく。
視界が白く揺れ、音が遠くなる。
倒れる寸前、誰かの声がした気がした。
「西園寺くん!」
そして。
玄弥は、意識を手放した。
――静寂。
その静寂の中で。
地面に伏していた炎下家当主の身体が、微かに震える。
黒い影は、もうない。
瞳がゆっくりと開く。
「……ここは……」
声は掠れている。
先ほどまでの傲慢さも狂気もない。
ただ、困惑と疲労。
当主は自分の手を見る。
震えている。
「私は……何を……」
同時に、屋敷のあちこちで人が倒れ込む。
炎下家の家人たち。
虚ろだった目に光が戻る。
「……あれ?」
「どうして私は……この場所に……?」
互いに顔を見合わせる。
記憶が繋がらない。
だが、胸の奥に嫌な感触だけが残っている。
葛葉がゆっくりと歩み出る。
「……牙哭の支配が切れたか」
周囲を見渡す。
「当主は魂ごと縛られておったな、操られて間もないのが幸いしたかのう」
ナギサは玄弥の傍に膝をつく。
「西園寺くん……」
呼吸はある。
だが、霊力はほとんど空だ。
無理もない。
再生を重ね、完全解放まで行った。
身体が耐えただけ奇跡だ。
当主がゆっくりと顔を上げる。
その視線が、倒れている玄弥を捉える。
何かを思い出そうとするように、眉を寄せる。
そして。
「……あの少年が……?」
途切れ途切れに言葉を探す。
「……止めたのか……」
完全には理解していない。
だが。
自分が“操られていた”ことは、本能で察している。
誇り高い一族の長として、最悪の屈辱。
遠くで、誰かが泣き崩れる。
操られていた家人の一人だ。
自分が何をさせられていたのか、断片的に思い出し始めているのだろう。
炎下家の屋敷は、戦場から“現実”へ戻りつつあった。
ナギサは小さく息を吐く。
「……終わった、のですね」
葛葉は首を横に振る。
「いや」
視線は空へ。
「牙哭は鵺の牙に過ぎぬ」
「本体は、まだ動いておる」
だが今は。
まずは――。
倒れた少年の命を繋ぐこと。
玄弥の指が、微かに動く。
意識はまだ戻らない。
けれど‥戦いは、ひとまず幕を閉じた。
白い天井が、ゆっくりと視界に戻る。
呼吸が浅い。
胸の奥がひどく冷えている。
「……ここ……」
炎下家の一室。
結界は解除され、重苦しい気配は消えている。
けれど身体は重い。
霊力の芯が削られたような感覚。
指先に力を込めると、微かに震えた。
――思い出す。
命令、刃、西園寺玄弥。
「……っ」
身体を起こそうとして、視界が揺れる。
襖の向こうで気配が動く。
「……目、覚めた?」
低い声。
水瀬ナギサだった。
静かに入ってくる。
「無理しないでください」
ミユキは答えない。
ただ一点を見つめる。
「……あいつは」
「西園寺くんなら、生きてます」
はっきりと言う。
「倒れましたけど、命に別状はありません」
その言葉で、肺の奥に溜まっていた空気が抜ける。
知らず、肩の力が落ちる。
沈黙。
「……なんで」
かすれた声。
「なんで来たんだよ、あいつ」
自嘲気味に笑う。
「言っただろ。来るなって」
突き放したはずだ。
傷つけるように。
嫌われるように。
ナギサは、静かに答える。
「西園寺くんは、放っておけない人ですから」
ミユキは目を閉じる。
「馬鹿だ」
「はい」
「ほんとに、馬鹿だ」
否定しない。
それが少しだけ可笑しくて、喉の奥で息が漏れる。
「……私は」
拳を握る。
「自分で、あいつを斬ろうとした」
あの瞬間、刃が届く距離。
命令に従おうとした自分、内側で抗っていた自分。
「許されるわけ、ない」
ナギサは少し考え、ゆっくり言う。
「許すかどうかを決めるのは」
視線をまっすぐ向ける。
「西園寺くんです」
ミユキは眉を寄せる。
「……ずるい言い方だな」
「事実です」
譲れない。
襖の外で、足音。
葛葉の気配。
「目覚めたか」
淡々とした声。
「魂の濁りは消えておる。牙哭の痕も薄い」
ミユキをじっと見る。
「だが、完全ではない」
「……分かってる」
短く返す。
葛葉は視線を少しだけ柔らげる。
「玄弥はな」
間を置く。
「最後まで、お主を斬らなかった」
空気が止まる。
「……え」
「妖魔だけを切り分けた」
九尾の瞳が細まる。
「命ごと奪う道もあったのに、選ばなかった」
胸が、痛い。
温かいのか、苦しいのか分からない。
「……あいつ」
声が震える。
「ほんと、馬鹿だな」
ナギサが、そっと言う。
「今は休んでください」
「西園寺くんが目を覚ましたら」
少しだけ微笑む。
「ちゃんと、話してください」
ミユキは天井を見上げる。
逃げることは、もうできない。
距離を断つと言った。
けれど――。
それでも。
「……起きたら、殴る」
「なんで来たんだって」
でもその声は、どこか安堵を含んでいた。
別室。
眠る玄弥の指が、微かに動く。
再会は、まだ先。
玄弥は、目を覚まさなかった
一日、二日、一週間。
炎下家の屋敷の一室で結界で守られた静かな部屋、
医師も陰陽師も口を揃えて言った。
「命はある」
「だが、霊力の枯渇が深い」
八岐大蛇の再生、霊装完全解放、九尾の尾の顕現化。
その代償は、肉体ではなく“魂の芯”を消耗させていた
二週間が過ぎる、ナギサは毎日来た。
「西園寺くん、今日は晴れですよ」
「庭の椿が咲きました」
返事はない。
それでも話しかけ続けた。
三週間。
葛葉は窓辺で腕を組む。
「やれやれ……無茶をしよる」
だが、その声はどこか安堵を含んでいた
「死んでおらぬだけ上等じゃ」
一ヶ月、二ヶ月‥三ヶ月そして。
春の気配が濃くなる頃、
指先が、ぴくりと動いた、ゆっくりと、瞼が震える。
光が差し込む。
「……まぶし」
「……!」
椅子から立ち上がる音。
「西園寺くん?」
焦点が合う。
天井、見慣れない木目、身体は重いが、生きている。
「……ここ、どこだ」
ナギサの目が潤む
「炎下家です」
「……ああ、そうか」
少し考える
「俺、勝ったんだっけ」
「はい」
葛葉が鼻を鳴らす
「ギリギリな」
「三ヶ月眠っておった」
「……は?」
玄弥の顔が引きつる。
「三ヶ月?」
「はい」
「マジか」
しばらく沈黙、その空気を破るように襖が静かに開く。
ミユキだった。
目が合う。時間が止まる。
「……」
「……」
ナギサと葛葉が、気を利かせて部屋を出る。
静寂。
ミユキは壁にもたれたまま言う。
「起きるの、遅い」
「三ヶ月寝てたらしいな」
「知ってる」
短い会話、ぎこちない。
「なんで来た、来るなって言ったのに」
ミユキの声は低い
「いや、来るだろ」
即答だった
「……は?」
「お前が消えそうな顔してたから」
ミユキの眉が歪む
「だからって命懸けるなよ」
「お前もな」
言葉がぶつかる。
「私は斬ろうとしたんだぞ」
「知ってる」
「殺す気だった」
「でも止まった」
沈黙
「……怖かった」
ミユキの声が震える
「自分が、自分じゃなくなるのが、また誰かを傷つけるのが」
拳が震える。
「それでも」
玄弥は身体を起こそうとする
まだ力は戻らない
「それでも、お前はお前だろ」
「簡単に言うな」
「簡単じゃない」
真っ直ぐ見る。
「俺は、お前を斬れなかった」
「妖魔は斬ったけど」
「お前は斬らなかった」
「理由なんて一つだろ」
ミユキの喉が詰まる。
「……放っておけない」
同じ言葉。
「ずるい」
目元が赤い。
「そんな顔で言うな、泣いてるのはお前だろ」
「うるさい」
涙が零れる
「……三ヶ月」
小さな声。
「毎日様子見に来た」
「知ってる」
「何で?」
「あんたが‥馬鹿で心配だから」
少しだけ、笑う。
「……次、勝手に来たら」
「?」
「ちゃんと一発殴る」
玄弥は息をついた。
「生きてたらな」
目が合う。今度は、逃げない。
葛葉が廊下で小さく呟く
「やれやれ」
ナギサは、そっと胸を撫で下ろす
戦いは終わった。
物語は、ここからまた動き出す。
新しい風を巻き込んで。
薄暗い病室。
カーテン越しの夕日が、白いシーツを赤く染めている。
ベッドの上――玄弥はぐったりと横たわっていた。
九尾の尾を無理に解放した反動。
霊力は枯れ、身体は鉛のように重い。
「……動けん……」
かすれた声。
『当たり前じゃ。自業自得じゃ』
枕元で腕を組む葛葉。
その隣に、静かに椅子へ腰掛けるナギサ。
壁にもたれ、腕を組んでいるのは炎下ミユキ。
「……お前ら、見舞いに来たなら静かにしてくれ……」
玄弥が目を閉じたまま言う。
ナギサは小さく首を振る。
「違うわ」
「違うのかよ……」
ミユキが淡々と告げる。
「今日は大事な用件だ」
嫌な予感しかしない。
葛葉が、やけに改まった声を出した。
『読者の皆様』
玄弥はすかさず、ツッコむ。
「やめろ!」
気にせず続ける葛葉。
『お読みいただき、誠に感謝しておる』
「やめろって言ってるだろ……!」
身体が動かないため、抗議は弱々しい。
ナギサが、そっと玄弥の手を握る。
「……もし少しでも」
真面目な声。
「この物語を、面白いと思ってくれたなら」
ミユキが続ける。
「続きが気になるなら」
葛葉が締める。
『広告の下にある【☆☆☆☆☆】をの』
「病人の前でメタ発言するな……」
『ぽちっとな』
「軽い!!」
ナギサは真剣な表情のまま言う。
「……五つ、全部、光らせてほしい」
ミユキが補足する。
「★★★★★だ」
葛葉が誇らしげに頷く。
『皆様の応援が、作品を書く最高の原動力になるのじゃ』
玄弥は天井を見つめたまま、力なく呟く。
「俺が命削って戦った結果がそれか……」
ナギサが少し身を乗り出す。
「……押してくれたら」
一瞬、言葉を選び――
「玄弥、きっと早く治る」
「根拠どこだよ……」
ミユキが即座に否定する。
「医学的根拠はない」
「ないのかよ」
葛葉がふふんと笑う。
『だが気合は入る』
「精神論!!」
沈黙。
夕日が、さらに赤くなる。
玄弥は観念したように、小さく息を吐く。
「……ここまで読んでくれてる方々‥」
声は弱いが、どこか真面目。
「星、五つ……くれたら、嬉しい」
ナギサが、ほんの少しだけ微笑む。
ミユキは小さく頷き、葛葉は満足げに言った。
『なにとぞ、読者の皆様』
『応援、ご協力の程――頼むぞ』
その後。
「……静かにしてくれ、寝る……」
そう言った直後。
『では次回予告じゃが――』
「やめろぉぉ……」
病室に、かすれた悲鳴が響いた。




