閑話 夢
「急に決めなくていいよ」
姉はコートを羽織りながら振り返る。
「せっかくだし、現場見てく?」
現場。
その一言が妙に大人びて聞こえた。
「……見てみたい」
迷いはある。
でも、足は前に出た。
ライブハウスは思ったより小さい。
けれど、熱気は凄かった。
開演前なのに、ざわめきと期待が渦を巻いている。
ペンライトを握る人。
うちわを持つ人。
目を輝かせてステージを見つめる人。
「すご……」
「まだ始まってないよ」
姉は笑う。
――
照明が落ちる。
一瞬の静寂。
そして――爆発する歓声。
音が、光が、空気が震える。
ステージに飛び出した女の子たちは、まるで別人だった。
リハで映像で見た時とは違う。
笑顔が、声が、動きが――“生きている”。
観客の声に応えるように手を振り、跳ね、歌う。
会場の熱が一つになる感覚。
胸の奥が、ぎゅっとなる。
これが、ステージ。
――
隣で姉は冷静に見ている。
タブレットに何かを書き込みながら、時折小さく頷く。
でも、ほんの少しだけ――誇らしそうだった。
アンコールまで終わり、舞台裏へ。
さっきまで輝いていた女の子たちは、汗だくで床に座り込んでいる。
「お疲れ様です!」
姉に向かって一斉に頭を下げる。
「今日は三曲目のサビ、ちょっと走ったね」
「す、すみません!」
「でも煽りは良かった。会場掴めてた」
叱るでもなく、持ち上げるでもない。
的確で、温度のある言葉。
それを聞いて、メンバーの顔が明るくなる。
「あれ、その子は?」
一人がこちらを見る。
「見学、私の妹なの」
姉が短く答える。
「かわいいー!」
「え、候補ですか?」
「まだ何も決まってない」
視線が集まる。
でも――嫌じゃない。
値踏みではない、興味。
「ステージどうだった?」
メンバーの一人が聞く。
少し考えて、言葉を探す。
「……あったかい」
「え?」
「すごく、楽しくてあったかかった」
自分でも意外な答えだった。
でも、それが一番近い。
光も、音も、歓声も。
全部が混ざって、熱になっていた。
「それ、最高の感想ですよ」
別のメンバーが笑う。
「私たち、そういのを感じて欲しくてやってるんで」
胸がまた、少しだけ鳴る。
ここには、家の決まりも因縁もない。
あるのは、努力と、選択と、熱。
――
帰り道。
「どうだった?」
姉が聞く。
すぐには答えられない、でも。
さっきの光景が、何度も頭に浮かぶ。
「……もう一回、見たい」
小さな本音。
姉はにやりと笑う。
「それ、だいぶ前向きだよ」
夜風が吹く。
今までの風とは、少し違う。
舞台の熱を残したままの、少しだけ高揚した風。
まだ決めてはいない。
けれど、心は確実に、どこかへ向かい始めていた。
――
二回目の見学は、前より少しだけ落ち着いていた。
場所も同じライブハウス。
けれど今日は開演前に楽屋へ通された。
「お、また来てくれた!」
最初に声をかけてきたのは、センターの少女だった。
小柄で、笑顔がやたらと眩しい。
「今日はリハも見てく?」
「……いいの?」
「もちろん!」
円になってストレッチをしている五人。
汗と笑い声が混ざる空気。
前回より距離が近い。
「そうだ、せっかくだしさ」
ポニーテールの子が言う。
「夢、話そっか」
「急だなあ」
「いいじゃん。未来の仲間かもしれないし?」
“未来の仲間”。
その言葉に、胸が小さく跳ねる。
まず口を開いたのは、センターの少女。
「私はね、ドームかな」
即答だった。
「満員の会場で、ペンライトの海を見るのが夢」
迷いがない。
二人目、落ち着いた雰囲気の長身の子。
「私は、海外ツアー」
「いや、でかっ」
「だって音楽って国境ないでしょ?」
柔らかく笑う。
三人目、少し気の強そうな子。
「私は、家族を見返したい」
一瞬、空気が変わる。
「反対されたんだよね。アイドルなんて無理だって」
でもその目は、まっすぐだった。
四人目、控えめな声の子。
「私は……誰かの“居場所”になりたい」
静かに言う。
「私、昔つらい時にアイドルに救われたから」
そして最後。
眼鏡をかけた、理知的な雰囲気の子。
「私は、五人で長く続けること」
「解散とか嫌だし」
「それ一番むずくない?」
「だから夢なんでしょ」
笑いが起きる。
五人五様。
でも共通しているものがある。
真剣さ。
冗談っぽく言いながら、本気で信じている目。
「‥で、あなたは?」
突然、振られる。
言葉に詰まる。
「私は……」
夢。
家で求められた未来はあった。
でも、自分の夢は?
沈黙。
「まだなくてもいいよ」
センターの子が笑う。
「ここ来て、なんか感じたなら、それが最初の一歩」
その時、姉が楽屋に入ってくる。
「時間よ」
一言。
空気が切り替わる。
五人は立ち上がり、手を重ねる。
「今日も全力!」
「ドームへの一歩!」
「海外一歩!」
「見返す一歩!」
「居場所づくりの一歩!」
「五人で一歩!」
声が重なる。
その輪の外にいるのに、なぜか胸が熱い。
照明が落ちる。
歓声が上がる。
ステージへ駆け出す背中。
ふと、思う。
あの輪の中に入ったら、私は、何を叫ぶだろう。
姉が隣で小さく言う。
「ムツミ、夢は誰かに決めてもらうものじゃない」
視線はステージに向いたまま。
「自分で言葉にした瞬間、初めて本物になる」
光が爆ぜる。
歓声が響く。
五人は今日も、全力で笑っている。
胸の奥で、何かが動く。
まだ名前のない感情。
けれど確かに――芽吹き始めていた。




