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呪壊の陰陽師 ―霊力ゼロの陰陽師が最強の妖狐と結ぶ仮初の契約―  作者: 仁科異邦
血の衝動、炎下家編

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閑話 風の吹く先

 その子は、よく笑う子だった。


 誰にでも話しかける。

 身分も家柄も関係ない。

 強い者にも、弱い者にも、同じように。

 風のように軽く、木漏れ日のように柔らかく。

 だから、周囲からは好かれていた。


 だが――。

 その家は、そういう在り方を良しとしなかった。


 礼節を重んじ、格式を守れ。

 風木の名に恥じぬ振る舞いを。

 幼い頃から、何度も言われた言葉。


「友を選びなさい」

 穏やかな口調で、しかし拒絶を許さない声音。

「特に――西園寺の者とは接触するな」

 その一言だけが、やけに冷たかった。


 理由は語られない。

 古い因縁だとか、家同士の立場だとか、濁した説明だけが並べられる。

 だが彼女には分からなかった。

 あの少年が、何をしたというのか。

 無愛想で、不器用で、でもどこか放っておけない人。


 家の事情で線を引く理由が、理解できなかった。

「どうして?」


 初めて、家族に声を荒げた。

「家の決まりだ」


「昔からそうなの」


「あなたは風木の人間でしょう」

 答えはいつも同じ。


 決まり、伝統、家のため。

 それは便利な言葉だ。

 誰かの気持ちを押し潰す時に、ちょうどいい。


「私は……」

 唇を噛む。

「私は、家のためだけに生きるつもりはない」


 部屋の空気が凍った。

 風木の家に生まれた者が、口にしてはいけない言葉。

 静かな怒りが、家族の目に宿る。


「それならば」

 父が言った。


「この家の名を背負う資格はない」

 その言葉は、刃よりも鋭かった。


 胸が痛む。

 でも、足は止まらなかった。

 部屋に戻り、必要最低限の荷物をまとめる。

 廊下を歩く足音が、やけに響く。

 誰も止めない。


 止めてくれない。

 門を出る時、ほんの少しだけ振り返る。

 長く暮らした屋敷。

 整えられた庭、風に揺れる木々。


 それでも。

「……さよなら」

 小さく呟き、前を向く、夜風が頬を撫でる。

 怖くないと言えば嘘になる。


 けれど。


 胸の奥には、不思議と後悔はなかった。

 選びたかった。


 誰と笑うか、誰と並ぶかを。

 家に決められるのではなく、自分で。


 夜の街へと歩き出すその背中は、

 どこか少しだけ震えていて。

 それでも風は、確かに彼女の背を押していた。


――


 行く当てがなかったわけじゃない。


 門を出たとき、真っ先に思い浮かんだのは、あの人の顔だった。

 少し離れた街に住む姉。

 家を出て、ひとりで生きている人。

 風木の名に縛られず、自分で選んだ道を歩いている人。

 インターホンを押す指が、少し震えた。

 扉が開く。


 そして。

「いらっしゃい」

 それだけだった。

 驚きも、問い詰めもない。

 ただ、柔らかく笑って。


「寒いでしょ。入りなさい」

 その一言で、張りつめていたものがほどける。

 部屋は思ったより質素で、でも温かい。


 観葉植物がいくつか置かれ、壁には知らない女の子たちのポスターが貼ってあった。

 キラキラした衣装、笑顔、ステージの写真。


 姉は何も聞かない。

 お茶を出して、向かいに座る。

 沈黙は重くない。


 やがて、小さく口を開く。

「……しばらくいる?」

 問いではなく、確認。

 責める響きはない。

 それだけで、十分だった。

 うなずく。


 喉がうまく動かない。

 姉は、それ以上何も聞かなかった。


 なぜ来たのか、家で何があったのか。

 理由を求めない。

 ただ、受け入れる。

「お姉ちゃん、仕事は?」


 ようやく落ち着いてから聞くと、姉は肩をすくめた。

「実はプロデュース業やってるの」


「……何の?」


「アイドル」

 思わず目を瞬く。

「アイドルって、あの?」


「うん。歌って踊って、笑って、夢を売るお仕事」

 壁のポスターに視線を向ける。

 若い女の子たちが、まぶしい笑顔で写っている。


「大変じゃないの?」


「大変だよ。でもね」

 姉は笑う。


「自分で選んだ道だから」

 その言葉が、胸に落ちる。

 家に残れば、安定はあった。

 名も、立場も、未来も。


 それは“選ばされた”未来だ。

 しかし姉は違う。

 自分で選び、自分で責任を取っている。


 その背中が、少しだけ眩しい。

「……私も」

 呟く。


「自分で選びたい」

 姉は何も言わない。

 ただ、穏やかに微笑む。

 窓の外で、風が鳴る。

 あの家の庭を揺らしていた風とは違う。

 もっと自由で、軽い風。


 夜はまだ長い、けれど。

 初めて、自分の足で立った気がした。


 夕食のあと、姉はノートパソコンを開いていた。


 画面の中では、女の子たちが踊っている。

 スポットライト。

 歓声。

 笑顔。


「……すごい」

 思わず漏れる。

「でしょ?」


 姉は楽しそうに笑う。

「この子たち、最初はみんな普通の子だったんだよ」


「普通?」


「うん。特別な家柄でも、特別な才能でもない。ただ、“やってみたい”って言っただけ」

 その言葉が、少しだけ刺さる。


 “やってみたい”。

 それだけでいいのだろうか。

 家では、何かを選ぶには理由が必要だった。


 血筋、格式、将来への影響。

 でも、ここには違う空気がある。

 姉はふと、こちらを見る。


 じっと、値踏みではない。

 観察でもない。

 可能性を見る目。

「……やってみる?」


「え?」


「アイドル」

 あまりにも自然に言うから、理解が追いつかない。

「む、無理だよ。私、そんなの――」


「明るいし、人懐っこいし、誰とでも話せる。向いてると思うけどな」

 軽い口調。


 でも、冗談ではない。

「歌もダンスも、あとからどうにでもなる。大事なのはね」


 姉は指を立てる。

「ステージに立ちたいかどうか」

 胸が、少しだけ高鳴る。

 ステージ。

 誰かに見られる場所。


 選ばれる側ではなく、選ぶ側に立つ場所。

「……私なんかが」


「“私なんか”は禁止」

 即座に遮られる。


「やるか、やらないか。それだけ」

 沈黙。

 頭の中に、家の言葉がよぎる。


 友を選べ、西園寺と関わるな。

 風木の名を背負え。

 そして、もう一つ。


 自分で選びたい。

 その気持ち、姉は急かさない。


 ただ、待つ。

 窓の外で、風が揺れる。

 あの日、門を出た時と同じ風。


「……考えさせて」

 小さく言う。


「うん」

 姉は笑う。


「ステージは逃げないよ」

 その言葉が、やけに優しかった。


 もしかしたらこれは逃げじゃない。

 新しい居場所を、探すことなのかもしれない。


 風は、止まらない。

 どこへ吹くかは――まだ、誰にも分からない。

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