危機
歓声の中心。
拍手の渦が、自然と道を作る。
そこに――
一人の男が、ゆっくりと姿を現した。
炎下家当主。
豪奢な和装に身を包み、感情を抑えたままの顔。
「見事だな、西園寺玄弥」
声は低く、よく通る。
賞賛とも、嘲りとも取れる調子。
「我が家の“成果”を、最後まで付き合ってもらおう」
当主は、視線を横に流す。
「……来い、ミユキ」
その名に、玄弥の心臓が跳ねた。
「……ミユキ?」
空気が、揺れる。
回廊の奥。
結界の向こうから、足音が響く。
現れたのは――
炎下ミユキだった。
無事だ。
立っている。
こうして、目の前にいる。
「……っ!」
玄弥の顔が、思わず明るくなる。
「ミユキ……! 生きて……!」
一歩、踏み出しかけて。
その動きが、止まった。
ミユキの目が――
虚ろだった。
焦点が合っていない。
表情が、ない。
人形のように、当主の隣に立つ。
「……ミユキ?」
返事はない。
当主が、静かに告げる。
「命令だ」
その一言で。
ミユキの身体が、跳ねた。
霊力が、異常なほどに噴き上がる。
質が違う。
歪んだ、強制的な流れ。
「――排除せよ」
次の瞬間。
ミユキが、消えた。
「……え?」
視界が、歪む。
衝撃。
玄弥の身体が、横から吹き飛ばされた。
地面を転がる。
「がっ……!」
「……西園寺くん!」
ナギサの叫び。
玄弥は、慌てて起き上がる。
目の前に、ミユキ。
躊躇がない。
感情がない。
ただ、殺すための動き。
「ミユキ、やめろ!」
「俺だ、玄弥だ!」
名前を呼んでも。
声を張っても。
ミユキの瞳は、何も映さない。
再び、攻撃。
霊力を纏った一撃が、容赦なく迫る。
「……っ!」
玄弥は、防ぐしかない。
切れない。
切ってはいけない。
その迷いを、当主は見逃さない。
「良い反応だ」
当主が、微笑む。
「愛着は、制御を鈍らせる」
「なあ、ミユキ」
当主は、娘に向けて言葉を投げる。
「この男が、分かるか?」
反応は、ない。
「分からぬか。ならいい」
当主は、淡々と続ける。
「“人ならざるモノ”として、処理しろ」
その言葉で。
ミユキの霊力が、さらに歪む。
玄弥は、歯を食いしばる。
「……ふざけるな」
再会だった。
喜ぶはずの瞬間だった。
なのに。
刃を向けられ。
殺意を向けられ。
しかも、それを命じているのが――
父親だという事実。
「……ミユキ……」
玄弥は、構え直す。
救いたい。
止めたい。
だが、目の前にいるのは――
“意識のない凶器”。
そして、炎下家はそれを愉しそうに、見ていた。
――
闇の中。
沈む感覚。
音が、遠い。
身体の輪郭が、曖昧。
――また、ここ。
ミユキは思う。
思考だけが、辛うじて残っている。
動こうとしても、動けない。
声を出そうとしても、喉がない。
代わりに。
外側で、自分の身体が勝手に動いているのが分かる。
――違う。
――それは、私じゃない。
誰かの命令で。
誰かの意思で。
霊力をぶつけている。
目の前の存在を、排除しようとしている。
――やめて。
心の奥で、微かな抵抗が生まれる。
その瞬間。
“名前”が、聞こえた。
「……ミユキ!……」
胸が、軋む。
あの声。
何度も呼ばれた、名前。
意識が、わずかに浮上する。
視界の端。
西園寺玄弥の姿。
傷だらけで。
それでも、刃を向けきれずにいる。
――逃げて。
――来ないで。
叫びたい。
なのに、唇は動かない。
次の瞬間。
頭の奥に、冷たい圧が走る。
記憶が、削られる感覚。
感情が、薄くなる。
優しさ、躊躇、名前に宿る温度。
それらが、剥がされていく。
当主が、静かに声を上げた。
「まだ甘いな」
観客席が、ざわつく。
当主の視線が、ミユキを射抜く。
「霊装を顕在させろ」
その言葉に。
ミユキの身体が、震えた。
霊力が、強制的に集束する。
本来なら、本人の意思が必要な工程。
それを、無理やり。
「倒せ」
命令は、短い。
「その男を、完全に」
霊力が、爆ぜる。
ミユキの背後に、歪な霊装が浮かび上がる。
美しく。そして、どこか欠けた形。
――やめて。
意識の奥で、必死に叫ぶ。
――それは、私のじゃない。
――そんな力、欲しくない。
だが。
霊装は、完成していく。
当主が、満足そうに頷く。
「そうだ。それでいい」
「それが、炎下の器だ」
観衆から、再び歓声。
期待と興奮。
次は、どんな惨劇が見られるのかという顔。
その全てが。
ミユキの“内側”を、さらに静かに殺していく。
ただ一つ。
完全に消えきらないものがあった。
――ごめんね。
あの時、聞こえた声。
姉の最期と、重なる感覚。
だから。
だからせめて。
――お願い。
――生きて。
外側で、霊装を纏ったミユキが、構える。
内側で、ミユキが、祈る。
その二つが、決定的に噛み合わないまま。
次の一撃が、放たれようとしていた。
霊装が、吼えた。
それは武具ではなく、獣だった。
ミユキの背後に顕現した霊装は炎と影を混ぜたような異形の輪郭を持ち、脈打つたびに周囲の霊気を喰らって膨張していく。
次の瞬間。
ミユキが、消えた。
「――っ!」
玄弥は反射で地を蹴る。
直後、さっきまで立っていた場所が、爪で抉り取られる。
速すぎる。
人の踏み込みじゃない。
何か別の瞬発力だ。
背後、横、頭上。
ミユキは、空間を跳ぶように現れては消え、容赦なく攻撃を叩き込んでくる。
「どうだ、ミユキの霊装は?これは妖魔の力を取り込んだ”特別製”だからな」
炎の刃、影の触手。
霊装から派生した妖魔の力が、波状に襲いかかる。
玄弥は、霊装を展開しきれない。
切れない、斬れない、制約がある。
人ならざるモノのみを切るという、あの誓約。
目の前の敵は。
――人だ。
ミユキだ。
「くっ……!」
結界が軋む。
防御霊符が、一枚、また一枚と焼き切られる。
衝撃が、骨に響く。
内臓が揺れる。
防ぐ、避ける、耐える。
それしか、できない。
ミユキは、止まらない。
感情のない瞳で、淡々と攻撃を繰り返す。
そこにあるのは殺意ですらない。
“排除”それだけ。
妖魔の力が、さらに解放される。
霊装が変形し、獣の顎のような形を取る。
噛み砕くための構造。
炎と霊力が渦を巻き、圧縮され――
「――っ、来る!」
直撃。
玄弥は霊障壁を最大出力で展開するが、それでも吹き飛ばされる。
地面を転がり、背中を強打。
息が詰まる。
立ち上がろうとした瞬間、足元に影が絡みつく。
妖魔の拘束。
逃げ場はない。
ミユキが、ゆっくりと近づいてくる。
その一歩一歩が、重い。
霊装が、歓喜するように脈動している。
観ている者たちの、歓声が重なる。
玄弥は、歯を食いしばる。
刃を握る手が、震える。
――切れない。
――でも。
このままじゃ、殺される。
ミユキの内側に、微かな抵抗があることを、玄弥は知らない。
ただ目の前の現実として。
圧倒的な力を持つ霊装をミユキが。
妖魔の力を完全に制御し、人である自分を、確実に追い詰めている。
逃げ場は、もう残っていなかった。
玄弥は、刃を構えたまま動けなかった。
霊装は応えている。
斬れと、叫んでいる。
それでも。
目の前にいるのは、敵ではない。
ミユキだ。
あの夜、ぶっきらぼうに言葉を投げてきて。
距離を置くと、はっきり告げて。
それでも、どこかで玄弥を気にしていた、あのミユキだ。
人ならざるモノのみを切る。
そう制約を課したのは、自分だ。
なら、今この刃は――
「……っ」
迷いが、ほんの一瞬だけ生まれる。
その一瞬を。
ミユキは、見逃さない。
霊装が吼え、妖魔の力が一気に収束する。
炎と影が絡み合い、一本の“矢”のような形を取る。
直感が叫ぶ。
――これは、避けられない。
致命の一撃。
霊装の全力。
人の防御を想定していない一撃。
玄弥は、反射的に防御符を展開する。
だが、それは紙細工のように砕け散る。
距離が、詰まる。
ミユキの瞳が、間近に迫る。
そこには感情がない。
ただ命令に従うための、空白。
「ミユキ……!」
呼んだ声は、届かない。
刃を振れ。
霊装が、最後の警告を発する。
それでも玄弥は。
腕を、振り切れない。
この一撃を受ければ、どうなるか分かっている。
骨が折れる、内臓が潰れる。
下手をすれば、ここで終わる。
それでも。
彼女を切るくらいなら。
――受けきる。
ミユキの霊装が、完全に解放される。
妖魔の力が、臨界を超える。
世界が、白く染まった。
衝撃が、玄弥の視界を叩き割る。
身体が宙に浮く感覚。
致命圏に、踏み込んだ。
玄弥は刃は、最後まで振れなかった。




