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呪壊の陰陽師 ―霊力ゼロの陰陽師が最強の妖狐と結ぶ仮初の契約―  作者: 仁科異邦
血の衝動、炎下家編

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姉だったモノ

 地下闘技場に満ちる空気は、重く澱んでいた。

 石床の中央に立つ女は、まるで置物のように動かない。

 人の形をしている。

 だが、生きていると呼ぶには、あまりにも気配が歪んでいた。


「……西園寺くん」

 ナギサが、慎重に息を潜める。

「この人……何か、おかしい」


「……ああ」

 玄弥も同じ違和感を抱いていた。

 次の瞬間。

 女の首が、不自然な角度で跳ね上がった。


 視線が絡む。

 感情の抜け落ちた瞳。

 それなのに、底の方で燃えるような衝動だけが蠢いている。

 ――来る。


 床が砕け、女が跳んだ。

 人間離れした踏み込み。

 一息で距離を詰め、爪が振り下ろされる。

「っ!」


 玄弥は即座に前へ出る。

 ナギサを庇うように位置を入れ替えた。


「ナギサ、下がって!」

「で、でも――」

「いいから!」

 霊符を叩きつける。

 衝撃が走るが、女は怯まない。

 むしろ、嬉しそうに歪んだ笑みを浮かべた。


 壊れている。

 完全に。

 痛みも、恐怖も、躊躇もない。

 ただ、目の前の存在を壊すためだけに動いている。


 そのとき。

「――よく見ておけ」


 闘技場の壁から、低く嗤う声が響いた。

 姿はない。

 声だけが、空間を支配する。

「それは、炎下ミユキの姉だったモノだ」


 一瞬、世界が凍りついた。

「……え?」

 ナギサの声が、かすかに震える。


 玄弥は理解できなかった。

 炎下ミユキの――姉?


「処理は済んでいる。人格も、記憶も、不要だった」


 女――ミユキの姉だったモノが、甲高い声を上げた。

 笑いにも、悲鳴にも似た音。

「聞くな、ナギサ!」

 玄弥は叫び、さらに前へ出る。

 攻撃が激しさを増す。

 動きは荒く、力任せ。

 まるで感情の残骸を叩きつけるように、玄弥だけを狙ってくる。


 理由も分からず、

 ただ壊れることだけを命じられた存在。

 玄弥は応戦する。

 受け、弾き、符を重ねる。


 だが――決定打を打てない。

 符を構えた手が、止まる。

 元は人、ミユキの姉だ。


 倒せない。

 どうしても。

「……っ!」


 迷いの刹那。

 女の拳が、霊装ごと玄弥を打ち抜いた。

 重い衝撃。

 身体が宙を舞い、床に叩きつけられる。

「西園寺くん!」


 立ち上がろうとするが、足に力が入らない。

 女が、ゆっくりと近づいてくる。

 歪んだ笑顔。

 かつて姉だった面影は、もうほとんどない。


「……くそ……」

 玄弥は歯を食いしばり、再び符を握る。

 完全に追い込まれている。


 殺せない相手に、

 殺されかけている。

 闘技場の奥で、誰かが愉しげに息を吐いた。

 ――まだ、終わらせるつもりはないらしい。


 床に叩きつけられた衝撃が、遅れて全身に回る。

 肺の奥から空気が押し出され、息が詰まった。


 視界の端で、女が首を傾げる。

 まるで獲物の反応を確かめる獣のように。


「……西園寺くん……立てますか」

 ナギサの声は震えているが、叫ばない。

 必死に平静を保とうとしている。


「……大丈夫」

 そう言いながら、玄弥は膝に手をつく。

 霊装が軋み、符が熱を失いかけているのが分かる。


 消耗が早すぎる。

 女が動いた。

 次の瞬間には、視界いっぱいに迫る影。


 反射的に符を展開する。

 防壁が張られるが、女の拳がそれを叩き割った。

 音が遅れて届く。

 衝撃が、骨を通して脳に響いた。


「ぐっ……!」


 吹き飛ばされ、壁に背中を打ちつける。

 視界が白く染まり、耳鳴りが続く。

 女は止まらない。

 一切の躊躇も、加減もない。


 ただ、壊す。

 それだけを目的に、玄弥へと迫る。

「やめ……っ」

 ナギサが一歩踏み出しかける。


「来るな!」

 玄弥は叫ぶ。

「これは……俺が受ける……!」


 その言葉に反応したかのように、女の動きがさらに荒くなる。

 怒りとも、喜びともつかない感情が、歪んだ霊圧として噴き出した。

 攻撃が連続する。

 受けるたびに、霊装が削られていく。


 ――削られている。

 霊力だけではない。

 判断力も、集中も、意識そのものが、少しずつ奪われていく。


 殺せない。

 封じる術式も、今は組めない。

 逃げるという選択肢は、最初からない。

 背後にナギサがいる。


 女の爪が、霊装の隙間を裂いた。

 浅いが、確かな痛み。


「……っ」


 血の気が引く。

 それを見て、女が笑った。


 声にならない笑い。

 かつて誰かを守っていたはずの口が、壊す喜びだけを形にする。

 その瞬間。

「――ほら、思い出せ」


 また、あの声。

 壁の奥から、愉悦に満ちた響き。

「姉は、妹を守るものだろう」

 女の動きが、ほんの一瞬だけ止まる。


 次の瞬間。

 今まで以上の速度で、玄弥へと突進してきた。

 防ぐ間もない。

 腹部に重い一撃。

 視界が跳ね、足が床から離れる。


 転がりながら、玄弥は思う。


 殺せない相手に、壊されていく過程を楽しむための。

 ‥見せ物じゃないか


 女が、再び腕を振り上げる。

 玄弥は符を握ろうとするが、指が言うことをきかない。

 もう一撃で、立てなくなる。

 それが、はっきりと分かる。

 それでも。

 玄弥は、歯を食いしばって顔を上げた。


 倒れない。

 まだ、倒れない。

 その意思だけが、かろうじて彼を繋ぎ止めていた。


 女の影が、再び視界を覆う。

 振り下ろされる腕。

 避けられないと悟った、その瞬間だった。

「……コロシて‥」


 囁き。

 確かに“声”だった。

 玄弥の意識が、そこで引っ掛かる。


「……今……なんだ……?」


 胸の奥が、冷たくなる。

 聞き間違いで済ませていい言葉じゃない。

 女の動きが、わずかに歪む。

 攻撃の軌道が乱れ、玄弥の肩をかすめて床を砕いた。


 その隙に、玄弥は立ち上がる。

 息が荒い。

 視界が揺れる。

 それでも。


「……分かった」


 誰に向けた言葉でもない。

 納得でも、諦めでもない。

 覚悟だけが、声になった。


 玄弥は、胸元の霊装に手を当てる。

 符が、淡く光り始めた。

「霊装に制約を――課す」


 霊力が、内側から一気に解放される。

 だが同時に、何かが“締め付けられる”感覚。


 霊装が応じる。

 光が収束し、形を変える。

「対象限定」

「人ならざるモノのみ――切断する、それ以外は切れない」


 言葉にした瞬間、膝が震えた。

 代償は重い。

 人である限り、この力は振るえない。

 逃げ道を、自分で塞ぐ制約。


 ナギサが息を呑む。

「……西園寺くん……?」


 答えない。

 答えられない。


 女が、再び吠えるように踏み込んでくる。

 狂気のままの攻撃。

 玄弥は、一歩も引かない。


 霊装が軋み、刃の輪郭が現れる。

 それは剣とも符とも違う、歪んだ光。

 振るう。


 ――切れた。


 女の霊圧が、明確に“削がれる”。

 だが、致命には届かない。

 女は笑う。

 壊れたまま、嬉しそうに。


「……そうか……」


 玄弥は、確信する。

 この相手は。

 人だった。

 そして今は――人ではない。


 だから切れる。

 だからこそ、救えない。

 女が、再び間合いに入る。

 今度は、玄弥の霊装の限界を見透かした動き。


 制約が、力を喰う。

 時間は、味方じゃない。


 それでも玄弥は構える。

「……ミユキ」


 名前が、喉で引っかかる。

 謝る相手は、ここにはいない。

 それでも。


「……必ず、連れ戻す」


 その誓いを聞いたかのように、

 女はさらに激しく、玄弥へと襲いかかった。


 刃が交錯する音が、広間に響いた。

 重い。

 一撃一撃が、命を削る重さだ。


 女――姉だったモノは、なおも止まらない。

 霊装の制約を嘲笑うかのように、間合いを詰め続ける。


 その時だった。

 ――ざわり。


 壁の奥。

 天井の梁。

 闇の向こう。


 気配が、増えた。

「……来た……?」


 ナギサが小さく息を吸う。

 だが、答えは言葉ではなかった。


 結界が、開く。


 段差の上。

 回廊の影。

 次々と姿を現す、炎下家の者たち。


 そして――


「はは……はははは!」


 誰かが、笑った。


「やはり、切れるではないかもっとやれ!」

「何が切れないだ!偽善者め」


 歓声。

 拍手。

 祭りを見るような声。


 玄弥の背筋が、凍る。


「……お前ら……」


 姉だったモノが、さらに激しく動く。

 まるで、その声に応えるように。


「もっとだ」

「もっと見せろ!」


「壊れるまで戦え!」

 歓声が、命令になる。

 姉だったモノの霊圧が、跳ね上がった。

 暴走。

 とうに限界は超えてる。


 玄弥は、膝をつく。

 制約が、霊力を吸い尽くしていく。

「……西園寺くん……!」


 ナギサの声が、遠い。


 姉だったモノが、玄弥の目前まで迫る。

 振り下ろされる腕。


 その刹那。

「……ミユキ……」


 玄弥の口から、名前が零れた。

 姉だったモノが、一瞬だけ止まる。

 本当に、一瞬。


 その隙を。

 玄弥は、逃さなかった。


「――っ」


 霊装が、悲鳴を上げる。

 制約が、完全に噛み合う。

 人ならざるモノのみ切る。

 それだけの力。


 刃が、振るわれた。

 光が、走る。

 ――切断。


 姉だったモノの動きが、止まる。

 攻撃が、途中で崩れる。

 霊圧が、音を立てて崩壊していく。


 一拍の静寂。

 次の瞬間。


「おおおおお!!」

 歓声が、爆発した。

「切ったぞ!」


 拍手。

 笑い声。

 喝采。


 まるで、見世物が大団円を迎えたかのように。

 姉だったモノは、ゆっくりと崩れ落ちる。

 その表情は、最後に――

 穏やかだった。


「……ミユ……キ……ごめんね‥」


 声にならない声。

 そして、消えた。


 玄弥は、その場に立ち尽くす。

 刃を握ったまま。

 震える手で。

「……俺が……」


 切った。

 倒した。

 救えなかった。

 その事実だけが、胸に残る。


 観ている者たちは、まだ笑っている。

 次の余興を待つように。


 この瞬間。

 玄弥は、はっきりと理解した。


 ――ここは、地獄だ。

 あいつらは許さない。

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