人だったモノ
地下通路を抜けた先に広がっていたのは、意外なほど整えられた空間だった。
石壁は煤けているものの、崩れた様子はなく、等間隔に並ぶ灯籠が赤々とした火を揺らしている。
通路の中央には一本道――いや、“用意された道”がまっすぐ奥へと伸びていた。
「……静かすぎる」
玄弥が小さく呟く。
さきほどまでの異形との死闘が嘘のように、空気は澄み、敵意すら感じられない。
だが、それが逆に異様だった。
本来、侵入者を拒むはずの結界も、警戒の気配もない。
むしろ――招かれている。
足を進めるたび、灯籠の炎がひとつ、またひとつと強く燃え上がる。
まるで通過を確認するかのように。
「……完全に気づいてるな、これ」
炎を操る名家、炎下家。
その当主が、この状況を見逃すはずがない。
やがて通路は大広間へと繋がった。
天井は高く、円形の空間の中央には、巨大な火鉢。
その中で燃える炎は、通常の火ではない。赤でも橙でもなく、深紅に近い色をしていた。
そして――
「ようこそ」
炎の向こうから、朗らかな声が響いた。
人影が現れる。
派手な和装、金糸の刺繍。年齢は四十代半ばほどだろうか。
だが、その立ち姿には一切の隙がない。
「夜分にご足労いただき、感謝する」
男は両手を広げ、まるで客人を迎えるかのように笑った。
「……侵入者に対する態度じゃないな」
「ははは、そうかな」
男は気にした様子もなく、指を鳴らす。
すると、壁沿いの灯籠が一斉に揺れ、通路の奥――さらに深部へ続く扉が、自ら開いた。
「ここは前座だ。本番は奥だよ」
玄弥は歯を食いしばる。
「わざと、通してるのか」
「もちろん」
男はあっさりと肯定した。
「侵入者を門前で潰すほど、炎下家は短気じゃない。
せっかくここまで来たんだ――見せ場くらい用意しないと失礼だろう?」
その言葉と同時に、空気が変わる。
熱が、じわりと肌にまとわりつく。
だが男はあえて道を譲るように一歩下がった。
「安心したまえ。ちょっとした余興みたいなものさ、せいぜい頑張りたまえ」
そう言い残し、霧の様に消えた。
ナギサが小さく息を吐く。
「……完全に、盤上だね」
「でも――」
玄弥は、霊装を握り直し、奥へ続く扉を見る。
「行かない理由もない」
炎が揺れ、扉の向こうが赤く照らされる。
炎下家は、侵入者を逃がさない。
その覚悟を飲み込むように、二人は奥へと足を踏み入れた。
地下通路を抜けた先は、広間だった。
天井は異様に高く、壁一面に走る赤い紋様が、まるで脈打つ血管のように淡く光っている。
炎下家の屋敷内部――だが、人の住まう場所というより、見世物小屋に近い。
「……わざと、ここに通したね」
玄弥が低く呟く。
逃げ道はない。
背後の通路は、いつの間にか封じられていた。
前方。
広間の中央に、ぽつんと一つの台座がある。
その周囲を取り囲むように、人が並んでいた。
全員、同じだ。
何故か期待に満ちた目をしている。
「侵入者が三人も来るなんて、久しぶりですね」
奥から声がした。
当主ではない。
年配の男だが、纏う空気は異様に軽い。
楽しげですらある。
「せっかくです。少し――余興を」
合図と共に、台座の床が開いた。
ぎ、と鈍い音を立てて、何かが引き上げられてくる。
鎖。
いや、最初に見えたのはそれだけだ。
「……人?」
ナギサの声が、わずかに揺れる。
台座に現れたのは、人型だった。
痩せ細った身体。
衣服の名残のような布切れ。
だが――顔が、分からない。
皮膚が曖昧で、輪郭が溶けている。
目の位置も、口の位置も、どこかズレていて、“人だった頃”の名残を雑に貼り付けたような違和感がある。
「元は、うちの者です」
炎下家の男が、さらりと言った。
「色々ありましてね。
このまま遊ばせておくのはもったいないと、侵入者の皆さんに使わせていただこうかと」
鎖が外れる。
その瞬間。
“それ”は、ぎこちなく首を動かし――
こちらを見た。
視線が合った瞬間、玄弥の背筋を冷たいものが走る。
敵意ではない。
殺意でもない。
――空腹だ。
「来る……!」
ナギサが一歩引き、構える。
次の瞬間、“それ”は跳んだ。
人間の動きじゃない。
床を蹴ったというより、引き寄せられるように距離を詰めてくる。
玄弥は霊装を展開する。
霊力が身体を包み、視界が研ぎ澄まされる。
「っ……!」
斬撃が走る。
だが、手応えが薄い。
肉を斬った感触ではなく、何か粘ついた膜を裂いたような感覚。
“それ”は怯まず、腕を振るう。
腕――いや、途中から形が変わっている。
骨格が歪み、関節の数が増え、殴るというより叩き潰す動き。
「無理しないで!」
ナギサの声は、鋭さよりも必死さが勝っていた。
彼女の術が広間に展開され、動きを僅かに鈍らせる。
それでも、“それ”は止まらない。
攻撃を受けながらも、まるで**“人だった頃の癖”を思い出すように**、
中途半端な回避や、無意味な踏み込みを繰り返す。
――分かってしまう。
これは、壊れた怪物じゃない。
壊され続けた人間の成れの果てだ。
「……炎下家……」
玄弥の奥歯が軋む。
周囲の炎下家の者たちは、誰一人止めようとしない。
試すような目で、ただ見ている。
「どこまで持つか見ものですね」
――ふざけている。
侵入者としてではなく、“どれだけ出来るか”を。
“それ”が、再び跳ぶ。
今度は、真正面から。
玄弥は踏み込み、霊力を引き上げた。
「……終わらせる」
刹那。
斬撃が走り、広間に重い音が落ちる。
“それ”は、崩れ落ちた。
完全に動かなくなる、その直前。
玄弥には――一瞬だけ、人の目が戻ったように見えた。
広間に、拍手が起こる。
「見事です」
炎下家の男が、満足そうに頷いた。
「では――次の奥へ、どうぞ。当主も、きっと喜ばれるでしょう」
歓迎の言葉。
だが、その笑みは、はっきりと告げていた。
――ここからが、本番だ。




