潜入
寮の部屋。
机の上に、ナギサが古い図面を広げた。
「炎下家には、昔使われていた地下通路があるの」
玄弥は身を乗り出す。
「正門とは別?」
「ええ」
「表向きは封鎖されたことになってる」
「でも完全には潰していないと思う」
葛葉が、鼻で笑った。
『古い名家ほど、こういうものを残す』
『逃げ道でもあり、隠し道でもあるからの』
ナギサは続ける。
「この通路は、結界の“外側”を通ってる」
「だから正面みたいに弾かれない」
「じゃあ誰でも使えるのか」
「無理」
「入口そのものが、血筋を選ぶ」
玄弥が顔を上げる。
「水瀬家の血?」
「正確には“四家に連なる血”」
「私なら、扉を開けられる」
葛葉が頷く。
『なるほどのう』
『血を鍵にした通路か』
ナギサの表情が、少し曇る。
「ただし中に入れば、炎下家の結界圏内」
「見つかれば、即包囲される」
玄弥は迷わず言った。
「それでも行く」
「目的は?」
ナギサが問い返す。
「ミユキの居場所を確認する」
「無事なら、連れ出す」
葛葉が低く言う。
『欲張りじゃな』
『じゃが、玄弥らしい』
ナギサは深く息を吸った。
「地下通路は、一度入ったら引き返せない」
「途中で崩落しても、助けは来ない」
玄弥は静かに頷く。
「分かってる」
「……私も行く」
その言葉に、玄弥が首を振る。
「ダメだ」
「西園寺くん」
ナギサは、はっきり言った。
「通路を開けられるのは私だけ」
「それに、中で迷えば案内役が必要」
葛葉が、二人を見て言う。
『二人で潜入』
『わしは外で結界の変化を見る』
「援護は?」
『限界までやる』
『じゃが、見つかれば自己責任じゃ』
玄弥は、拳を握った。
「それでいい」
ナギサは図面を畳む。
「入口は、旧別邸の地下」
「今は誰も使ってない」
玄弥は顔を上げた。
「そこから炎下家に入る」
「ええ」
こうして炎下家潜入作戦は実行された。
夜は、音を吸い込んでいた。
人の気配が消えた学園の裏手を抜け、二人は言葉少なに歩いていた。
月は雲に隠れ、足元は影ばかりだ。
玄弥は前を見据えたまま言う。
「……本当に、誰も使ってないんだな」
「ええ」
ナギサの声は低い。
「使われなくなった、じゃない」
「“使わないことにした”場所」
その言い方が、妙に引っかかった。
森の奥。
苔に覆われた石造りの別邸跡が現れる。
崩れかけた壁。
割れた窓。
人が寄りつかなくなって久しい空気。
「ここ」
ナギサが、建物の裏手に回る。
地面に半分埋もれた鉄扉があった。
錆びついているのに、壊された形跡はない。
「……閉じてるな」
「鍵じゃない」
ナギサは、そっと扉に手を置く。
一瞬、空気が変わった。
ひやりとした感覚が、玄弥の肌を撫でる。
次の瞬間、扉の表面に薄く術式が浮かび上がった。
「血を、少し」
ナギサが短く言う。
そして迷わず、指先を切った。
血が、石に落ちる。
術式が、静かに反応した。
ぎ……ぎぎ……と、重い音を立てて扉が開く。
中から、冷えた空気が流れ出した。
土と、古い水と、わずかに鉄の匂い。
「行くよ」
ナギサが先に足を踏み入れる。
玄弥は、一度だけ背後を振り返った。
夜の森は、何事もなかったように静かだった。
そして、扉が閉まる。
音は、驚くほど小さかった。
⸻
地下通路は、想像より狭かった。
人が一人、ようやく通れる幅。
天井は低く、少し背を丸めないと歩けない。
壁には、古い札が等間隔で貼られている。
ほとんどが色褪せ、文字も読めない。
「……まだ、生きてる術式がある」
ナギサが小声で言う。
足を進めるたび、微かな違和感が増していく。
霊力が、吸われているわけじゃない。
ただ、ここでは“流れが違う”。
音が、遅れて届く。
足音が、自分のものじゃない気がする。
「なあ」
玄弥が囁く。
「ここ、何に使ってたんだ」
ナギサは、少しだけ間を置いた。
「昔はね」
「“運ぶ”ための通路だったって聞いたことある」
「何を」
「人」
短い答えだった。
それ以上、聞けなかった。
通路の途中、壁に黒ずんだ跡が残っている。
爪で引っかいたような痕。
何度も、同じ場所を。
玄弥は、無意識に拳を握る。
「……ミユキも、ここを通ったのか」
「分からない」
ナギサは前を向いたまま言う。
灯り代わりの符が、ふっと揺れた。
その一瞬。
通路の奥で、何かが動いた気がした。
気のせいか。
それとも――。
玄弥は、足を止めなかった。
ここまで来た以上、引き返す道はない。
地下の闇は、静かに二人を飲み込みながら、
炎下家の“内側”へと続いていた。




