消えたミユキ
ミユキは、一人で立っていた。
夕暮れの廊下。
窓から差し込む光が、床に長い影を落としている。
――もう、近くにいちゃだめだ。
胸の奥で、何度もそう繰り返す。
西園寺玄弥の霊力。
あの血の気配。
考えないようにしても、身体が勝手に反応してしまう。
(次は……止まれないかもしれない)
あの広場での衝動が、はっきりとした“答え”だった。
距離を置く、関わらない。
それしか、選択肢はない。
ミユキは、ゆっくりと踵を返す。
誰にも告げない、引き止められたら、揺らぐから。
それが――自分なりの、守り方だった。
⸻
しばらくして。
「……あれ、そういえば今日はミユキを見てないな?」
玄弥は、違和感を覚えた。
寮の廊下、中庭、訓練場。
どこにもいない。
胸の奥が、ざわつく。
(嫌な感じがする)
ただ避けられている、それだけじゃない。
――いなくなった。そう直感した。
⸻
夜の街は、明るすぎた。
人の声、ネオン、人が行き交う気配。
ミユキはフードを深く被り、人混みの端を歩いていた。
(離れれば、平気だと思ったのに)
玄弥の気配は、もう近くにない。
それなのに――
胸の奥が、ひどくざわつく。
すれ違う人々の中から、
不意に“生きている匂い”が強く届く。
(……だめ)
喉が、乾く。
心臓が、早鐘を打つ。
足が、勝手に止まった。
視界の端に入ったのは、一人で歩く若い男性。
何でもない。
ただの通行人。
――それなのに。
身体が、そちらへ向かおうとする。
(違う、違う……!)
歯を食いしばり、爪が掌に食い込むほど、拳を握る。
でも。
衝動は、理性より早かった。
気づいた時には、
距離が一気に縮んでいた。
「……っ」
相手が振り向く前に、ミユキは我に返る。
肩に触れかけた手が震えながら止まった。
男性が、不審そうに眉をひそめる。
「……?」
その視線に、
ミユキははっとして、後ずさった。
「ご、ごめんなさい……!」
声が、かすれる。
逃げるようにその場を離れ、角を曲がった先で、壁に手をつく。
肩で息をしながら、自分の手を見つめた。
まだ、震えている。
(……やっぱり)
距離を置くだけじゃ、足りない。
街に出ること自体がすでに危険だった。
もし、もう一歩踏み込んでいたら。
もし、相手が抵抗しなかったら。
想像してしまった瞬間吐き気がこみ上げる。
「……最低」
自分に向けた言葉。
人の中にいちゃいけない。
誰のそばにも、いちゃいけない。
ミユキは、再びフードを深く被り、街灯の届かない方向へと歩き出した。
――
夜、寮にて。
寮へ向かう道を歩いているとナギサと遭遇した。
「ミユキさん、姿を消したわ‥寮にも、学園にもいない」
玄弥は、ゆっくり息を吐いた。
「やっぱりな……」
どこか、覚悟していた声音だった。
「霊力の痕跡が不自然に薄い、無理に抑え込んでる」
ナギサは、少しだけ言いにくそうに続ける。
「……西園寺くん、確認しておきたいんだけど」
「ミユキさんは――炎下家の人間よね?」
玄弥は、はっきりと頷いた。
「ああ」
「この学園に来る前も基本的には炎下家から通ってたんじゃないかな」
「じゃあ……」
ナギサの視線が、夜の向こうを見る。
「行き先は、一つしかないわね」
炎下家。
“疑って向かう場所”じゃない。
帰属として、最初からそこに結びついている家。
「炎下家は、ミユキさんの異常を知っている側」
玄弥の表情が、強張る。
「……それが一番、危ない」
「ええ」
ナギサも、同じ結論だった。
「助けを求めたのか、それとも――利用されるのか」
どちらにせよ、時間をかけていい話じゃない。
「行こう」
玄弥が、即断する。
「炎下家へ」
「今のミユキさんを、一人で“家”に戻させるのは危険よ」
「分かってる」
玄弥は、迷いなく前を向いた。
「でも――壊れるのを見過ごす気はない」
ナギサは、その横に並ぶ。
「私もよ」
二人は、夜の街を抜けていく。
目指すのは、ミユキが生まれ、そして“異常を与えられた”場所。
炎下家。
そこは彼女にとっての帰る家であり、
同時に――最も危険な檻の様な場所でもあった。




