決別
ミユキの背中が、足早に遠ざかっていく。
――やっぱり、おかしい。
玄弥はそう確信して、追いかけた。
「ミユキ!」
呼び止めても、返事はない。
むしろ、歩調が速くなる。
避けられているそれも、意図的に。
「待ってくれ!」
広場に出たところで、ようやく彼女は立ち止まった。
振り向いたミユキの表情に、玄弥は息を呑む。
顔色が悪い何となく、目の焦点が、微妙に合っていない気がする。
「……来ないで」
声は低く、荒れていた。
「急にどうしたんだよ。さっきまで――」
言い終わる前に、ミユキの霊力が、はね上がった。
びり、と空気が震える。
玄弥の身体が、無意識に強張る。
「近づくなって……言ってるでしょ」
歯を食いしばるような声。
その瞬間だった。
ミユキの足が、地を蹴る。
「――っ!?」
反応する間もない。
肩を掴まれ、そのまま勢いよく地面に押し倒された。
ごん、と背中に衝撃。
「ミユキ!?」
組み敷くように、上から押さえつけられる。
力は、必要以上に強い。
でも――攻撃じゃない。
震えている。
ミユキ自身が。
「……っ、だめ……」
彼女の声が、掠れる。
玄弥のすぐ近くで、荒い呼吸が聞こえた。
目が、危うく揺れている。
まるで、何かと必死に戦っているみたいに。
「ミユキ、落ち着け!」
玄弥は、抵抗しなかった。
霊力も、使わない。
ただ、まっすぐに声をかける。
「俺だ。玄弥だ」
その名前に、ミユキの身体が、びくりと強く震えた。
「……っ、やめて……」
掴む手に、力が入ったり、抜けたりする。
理性と衝動が、せめぎ合っている。
血の匂いでも、傷でもない。
霊力そのものが、引き金になっている。
「……離れろ……」
ミユキが、震える声で言った。
命令じゃない。
懇願だった。
「このままだと……本当に……」
言葉が、続かない。
次の瞬間、ミユキは、はっと我に返ったように身を引いた。
玄弥の上から転がるように離れ、数歩、後ずさる。
「……ごめん」
それだけ。
顔を伏せたまま、視線を合わせようとしない。
広場には、二人の荒い呼吸だけが残っていた。
玄弥は、ゆっくりと起き上がる。
そして、確信した。
――これは、ただの気まずさじゃない。
ミユキは、何かと必死に戦っている。
しかもそれは、自分に関係している。
「……話せる時でいい」
玄弥は、静かに言った。
「でも、一人で抱えるな」
ミユキは、何も答えなかった。
ただ、震える手を強く握りしめていた。
沈黙が、長く続いた。
広場の空気はまだ、どこか張りつめたまま。
ミユキは玄弥から距離を取ったまま、背を向けて立っている。
その背中が――
拒絶を選んだものの重さを、はっきり語っていた。
「……もう、いい」
先に口を開いたのは、ミユキだった。
声は低く、感情を削ぎ落としたみたいに平坦。
「さっきのことは、忘れて」
玄弥が何か言おうとするより早く、続く。
「いや、違う。忘れなくていい」
少しだけ、言い直す。
「でも――関わらないで」
その言葉に、玄弥の眉がわずかに動いた。
「どういう意味だ」
「そのままの意味」
ミユキは、振り返らない。
「これからは、必要以上に話さない」
「近づかない」
「同じ場所にいても、距離を取る」
一つ一つ、線を引くように言葉を重ねていく。
「……理由を教えてくれ」
玄弥の声は、静かだった。
問い詰めるでも、怒るでもない。
ただ、納得したいという声音。
ミユキの肩が、ほんの少しだけ揺れた。
「理由は……関係ない」
そう言い切るまでに、一拍の間があった。
「知ったら、あんたは止まらないでしょ」
初めて、少しだけ棘のある言い方になる。
「余計なこと考えて、無理して、踏み込んでくる」
それは、責めているわけじゃない。
むしろ――玄弥を“正しく理解している”からこその言葉だった。
「だから、ここで終わり」
ミユキは、ようやく振り向く。
その表情は、冷たい。
でも、目の奥だけが――痛々しいほど張りつめている。
「私は危ない」
短く、はっきり。
「自分で制御できない衝動がある」
「さっきのは……その前兆」
玄弥の胸が、わずかに締めつけられる。
「次は、止まれる保証がない」
ミユキは、視線を逸らした。
「だから、離れる」
「それが一番、合理的でしょ」
合理的。
それは、感情を殺す時に使う言葉だ。
玄弥は、一歩踏み出しかけて――止まった。
今ここで近づけば、
彼女の覚悟を踏みにじることになると分かっていたから。
「……分かった」
そう答えるしかなかった。
その言葉に、ミユキの指先が、ぎゅっと握りしめられる。
「ありがとう」
小さな声。
感謝なのか、別れの挨拶なのか。
「それと――」
一瞬だけ、目が合った。
「私のこと、気にしないで」
「げん‥西園寺は……西園寺のままでいなさい」
それだけ言って、ミユキは背を向ける。
もう、振り返らない。
足音が遠ざかっていく。
玄弥は、その場に立ち尽くしたまま、動けなかった。
突き放されたのに、優しさだけが残っている。
それが一番、胸に刺さった。
――こうして、ミユキは自分から距離を断った。
壊さないために。
壊れないために。
その選択が、本当に正しかったのかは――まだ、誰にも分からない。




