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極彩色の窒息  作者: 八宮泉


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9/15

不協和音

結人と優妃が愛を告白し合ってから、二人の世界は完璧な調和を保っていた。結人は優妃という「静かな中心」を持つことで、現場のノイズを完全に制御下に置き始めていた。

ある日の昼休み、結人がいつものように優妃にメッセージを送ろうとしたとき、建設現場の休憩所に、一人の男が足を踏み入れた。

背広姿のその男は、結人の勤務する建設会社とは無関係に見えた。年齢は三十代半ば。その男が扉を開けた瞬間、結人の視界が一瞬にして歪んだ。

「ドオオォン」という、胃の底を圧迫するような重い低音。そして、結人がこれまでに経験した中で、最も濃く、最も粘着質な「漆黒」のノイズが、男の全身から溢れ出し、休憩所の空間を満たした。

その黒は、古川の「自己嫌悪と責任転嫁」から出る黒とは質が違った。それは、底の見えない沼のような、純粋な「悪意」と「操作欲」の色だった。

結人は反射的に両手を握りしめた。ノイズを遮断するためにシャッターを閉ざそうとするが、その黒いノイズはあまりに強大で、結人の防御を内側から破壊しようとする。まるで、彼の神経回路に直接、毒を流し込まれているようだった。

『なんだ、このノイズは!』

男は涼しい顔で、現場監督の島田に近づき、書類の束を差し出した。

「保険関係でね、少しお話を聞きたいだけです。ああ、それに、この現場で働いている風変わりな青年について、一つ確認したくて」

その「風変わりな青年」という言葉が、直接、結人に向けられた音波となって飛んできた。男の言葉に添えられたノイズは、尋常ではない「探り」の薄い灰色と、結人に対する「明確な興味」を示す鮮やかな紫色を帯びていた。

結人はその場で動けなくなった。あまりのノイズの圧力に、周りの作業員の「退屈」のくすんだグレーや「空腹」の淡いオレンジ色さえも、完全に押し潰されていた。

「風変わりって、誰のことですか?」島田監督が訝しげに尋ねる。

「ああ、いつも耳を塞ぐように、肩に力を入れて作業している方がいると聞いて。少し、精神的なケアが必要なのかなと思いまして」

結人は息を飲んだ。この男は、彼の能力の存在を知っているのではないか。少なくとも、彼がノイズを避けようとしている挙動を、外側から明確に観察していた。

休憩所の隅で、結人は優妃に送るためのメッセージを必死で打ち込んだ。手が震えて、まともに文字が打てない。

『助けて。黒いノイズ。今までで一番強い。…君の純白が…必要だ』

男は結人の視線に気づいたように、ゆっくりと結人の方に顔を向けた。その目が結人を捉えた瞬間、漆黒のノイズが一層強くなり、結人の視界が暗転しそうになった。

「君、結人くんだね?」

男の口調は穏やかだったが、結人には、その言葉が鋭利な刃物となって心臓を刺し貫くように感じられた。

結人が返事をすることも、目を逸らすこともできないでいると、彼のスマートフォンが震えた。優妃からの返信だ。

『結人さん、深呼吸して。私の「純白」を思い出して。その漆黒を、「情報」として分類するんだ。結人さんのフィルターは、もう破られない。』

『今、あなたを傷つけようとしているその漆黒を、私に「翻訳」して渡して。そうすれば、それはただの「道具」になる』

優妃のメッセージを読み込んだ瞬間、結人の脳裏に、優妃の周りに広がる「静寂の純白」のイメージが閃光のように蘇った。

結人は、まるで冷水を浴びたかのように冷静になった。

『そうだ。これは、俺の苦痛じゃない。優妃に渡すべき情報だ』

彼は震えを止め、意識を集中させた。漆黒のノイズを、自分の防御シャッターで無理やり受け止めるのではなく、意識的に「情報収集窓」だけを開けて、その成分を分析しにかかる。

『成分分析。この漆黒は……「支配欲」と「嫉妬」だ。島田監督の権威を奪おうとしている。そして、俺の挙動は、彼の操作欲を満たすための「実験台」**にされている』

結人がそのノイズを「個人的な攻撃」から「解析すべき情報」へと分類し直した瞬間、漆黒の粘着性は薄れ、彼の内側への浸食がピタリと止まった。

結人は、男の顔を見返した。

「保険の件ですか? 僕は、特に現場の管理に関わっていないので、監督に聞いてください」

いつもの「穏やかで気の利く若手」のマスクを被り、その言葉の裏に、「あなたには興味がない」という、無感情な「透明」のノイズを乗せて返した。

男は、結人が瞬時に立ち直ったことに驚いたように、一瞬表情を硬くした。彼の漆黒のノイズが、微かに「苛立ち」の紫を帯びて揺らいだ。

「そうか。失礼しました」

男はそれ以上追求せず、島田監督の元へと戻っていった。彼の漆黒のノイズは、結人が分析に成功したことで、もう結人の「純白」を脅かすことはなかった。

その日の作業後、結人は急いで優妃に会うため、彼女のアパートへと向かった。

インターフォンを鳴らす。扉が開き、優妃の姿を見た瞬間、結人はたまらず彼女を抱きしめた。

「優妃、助かった。あのノイズは、僕の防御を初めて破ったんだ。君がいなかったら、今頃、僕はまた逃げ出していただろう」

優妃は、結人の背中を優しく撫でた。

「大丈夫。私は、結人さんの『光』だよ。どんなに強い黒も、光を消すことはできない。あの漆黒を翻訳したとき、結人さんの純白は、もっと強くなったよ」

二人は、最も強大なノイズに直面し、それを乗り越えたことで、お互いの存在がもはや単なる愛ではなく、「生存のための必需品」であることを再認識した。

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