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極彩色の窒息  作者: 八宮泉


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7/15

解放と聖域の輪郭

「静かな聖域」での出来事以来、結人の日常は確実に変わった。建設現場のノイズは相変わらず凶暴だが、結人はもはやそれらに潰されることはない。優妃という「静かな協力者」の存在が、彼に戦うための冷静な距離を与えていた。

その夜、結人は優妃とのチャット画面を開いた。

『今日の現場で、また古川さんが「黒いオイル」を出してた。あれは本当に厄介だ。まるで、周りの空気を全て吸い込んでしまうみたいで、作業が滞る』

すぐに優妃から返信が来た。

『黒いオイルか。それはきっと、ご本人が一番苦しい証拠だね。結人さんがその色を「情報」として冷静に分類できていることが、すごいことだよ。』

『分類はできるけど、避けきれないんだ。俺の周りにも、少しだけその黒いオイルが飛び散る。そうすると、優妃の「純白」が少しだけ曇ってしまう気がして、怖くなる』

優妃は少し考える時間(既読から返信までの間)を置き、その間に一語一語を大切に選んでいることが伝わってきた。

『結人さん。私の世界は、結人さんがくれる色によって初めて温かくなる。黒いオイルが少しついても、すぐに洗い流せるよ。それは私を汚さない。だって、結人さんがその色に侵食されまいと戦っている「純白」の方が、ずっと強いから。』

結人は、自分の感情を「純白」と表現されたことに、胸が熱くなるのを感じた。

『純白、か。優妃がそう言ってくれると、その色を失いたくないって、強く思える』

『そうだよ。結人さんは、私の感情の色見本であり、私にとって世界を繋ぐ「光」だもの』

「光」という言葉。結人は、優妃にとって自分が単なる「翻訳機」ではないことを知った。彼女にとって、自分は世界を照らし、生きる力を与える存在なのだ。

結人は布団の上に倒れ込み、天井を見つめた。

これまでの人生で、誰かにそこまで必要とされたことなどなかった。彼は、自分の能力を「呪い」として隠し、孤独の中で耐えることしか知らなかったのだ。

数日後の夕方。優妃が、結人のアパートの最寄り駅まで来てくれた。

「結人さん、お仕事お疲れ様。よかったら、少し歩かない?」

優妃と一緒に歩く夜道は、建設現場の喧騒とは違う、穏やかなノイズに満ちていた。街灯の暖かな黄色、車のテールランプの遠い赤、そして何よりも、隣にいる優妃の周りにある「静寂」の透明な光。

「今日、現場でね、面白いノイズを見たんだ」

結人は話し始めた。

「新しく入った若い作業員が、全然仕事を覚えられなくて、ずっと『焦り』の黄色を出してた。でも、ベテランの職人さんが、その子の肩を叩いたんだ。その時、職人さんの周りから『信頼』の明るい青色が出て、焦りの黄色と混ざり合った」

「どうなったの?」優妃が興味深げに尋ねる。

「黄色と青が混ざって、『希望』の鮮やかな緑色になった。その緑色を見た瞬間、作業員の子が迷いを捨てて、次の作業に集中し始めたんだ。俺、初めて見た。ノイズが、誰かを救う力になるのを」

優妃は立ち止まり、結人の顔を見つめた。

「それは、結人さんが『希望の緑』を見つけたからだよ。以前なら『焦り』と『戸惑い』の二色しか見えなかったはず。結人さんの心が、より多くの色を理解し始めた証拠だ」

優妃の言葉は、いつも結人の自己肯定感を静かに満たしてくれた。

結人は、優妃が持つ不思議な力に気づき始めていた。優妃は「色」を知らない。しかし、結人が「言葉」で翻訳して渡すと、彼女はそれを感情の「輪郭」として受け取り、結人に返すときには、その感情に「意味」と「価値」をつけてくれる。

「優妃」

結人は優妃の手を取った。優妃の手は、冷たすぎず、温かすぎず、ちょうど良い温度だった。

「俺はね、優妃と出会うまで、自分の心が何色なのか、わからなかったんだ。だって、いつも他人の色に汚されてたから」

彼は優妃の目をまっすぐ見て、震える声で続けた。

「でも、優妃といると、俺の周りに『純白』が見える。それは、君が俺を俺自身として見てくれるから、生まれる色なんだと思う。その色を、俺は失いたくない。……優妃が、俺の世界にいてほしい」

結人の言葉に、優妃の表情が微かに揺れた。夜の街灯に照らされた彼女の顔が、わずかにピンク色に染まっているように見えた。それは結人の視覚が、優妃の「戸惑いと喜び」という微かな感情を捉え始めた、初めての瞬間だった。

「結人さん」

優妃は、結人の手を強く握り返した。

「私は、結人さんの『純白』が、大好きだよ。そして、その純白は、結人さんが私に『愛おしさ』の『純白』を見せてくれた時から、私の中でずっと輝いている。……私も、結人さんの隣で、この世界を見ていたい」

二人の手のひらが触れ合っているその場所だけが、すべての極彩色とノイズから切り離された、本当の二人の聖域になった。

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