拓かれる世界線
週末、結人は優妃と駅前広場で待ち合わせをしていた。
休日で沸き返す駅前は、以前の結人なら数分で吐き気を呼ぶほどの「情報の濁流」だった。焦燥感を表すチカチカした蛍光イエロー、疲労の重たい灰色、そして欲望のけばけばしいピンク色。それらが音と共に視界を埋め尽くしている。
だが、今日の結人は違った。
彼は駅の柱に背を預け、深呼吸をして「フィルター」を起動する。
『あれは、ただの通行人のざわめき。害はない。あの怒鳴り声の赤色は、無関係な色めきだ』
意識的にノイズを背景へと追いやる。その作業に集中していると、雑踏の中に、ぽっかりと「静寂」の空間が空いているのが見えた。
優妃だった。
彼女の周りだけ、まるで高原の朝のような、澄み切った透明な空気が漂っている。彼女自身が「色のない世界」に生きているからこそ、結人にとって彼女は、この極彩色の世界で唯一の「余白」だった。
「結人さん」
優妃が気づいて手を振る。その声は、水面に落ちる雫のように、結人の脳内のノイズを波紋となって静めていく。
「待たせてごめん。……大丈夫? 人が多いけど」
優妃が見上げてくる。結人は少し誇らしげに微笑んだ。
「平気だよ。今日は、君に見せたいものがあるんだ」
二人は喧騒を離れ、少し静かな公園のベンチに座った。そこからは、通りを行き交う人々や、大道芸をしているパフォーマーが遠くに見える。
「優妃、今から僕が見ている世界を、言葉にするよ」
結人は、遠くでサックスを吹いている大道芸人を指差した。
「あの音、聞こえる?」
「うん。少し寂しいメロディだね」
「僕にはね、あの音色が『藍色』に見えるんだ。夜明け前の、深く静かな青。でも、時々高い音が混じると、そこに金色の粉がキラキラって舞うんだよ」
優妃は目を閉じ、結人の言葉を反芻するように小さく頷く。
「夜明け前の藍色に、金色の粉……」
「そう。そして、あそこで笑っている親子の声は、温かいオレンジ色だ。焼きたてのパンみたいな、柔らかくて丸い色」
結人は、一つ一つのノイズを丁寧に「選別」し、優妃のために「翻訳」して手渡していった。
これまで「苦痛」でしかなかったノイズが、優妃に伝えるための「言葉」に変わる瞬間、結人は不思議な感覚に包まれた。
毒々しいと思っていた世界が、言葉というフィルターを通すことで、美しい「画集」のように整理されていくのだ。
「不思議だね」
優妃がゆっくりと目を開けた。その瞳には、今まで見たことのない微かな光が宿っているように見えた。
「結人さんの話を聞いていると、私のモノクロの世界に、温度が生まれる気がする。藍色の冷たさと、オレンジ色の温かさ。……私、今、すごく『感じてる』よ」
その言葉を聞いた瞬間、結人の胸の奥で、今まで感じたことのない色が生まれた。
それはノイズのような不快な色ではない。優妃の存在と同じ、透き通るような、しかし確かな熱を持った「純白」の輝きだった。
『これが、俺自身の感情の色……?』
他人の感情に侵食されるばかりだった結人が、初めて自分自身の内側から湧き上がる「愛おしさ」という色を認識した瞬間だった。
「ありがとう、優妃。君のおかげで、僕はこの世界を少しだけ好きになれそうだ」
結人は、優妃の手の甲にそっと自分の手を重ねた。
極彩色のノイズは消えない。世界は相変わらず騒々しい。
だが、二人の手が重なったその場所だけは、どんなノイズも届かない、二人だけの静かな聖域となっていた。




