表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
極彩色の窒息  作者: 八宮泉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/15

色彩のない微笑

図書館の事件から数日。結人の世界は、かつてないほど「平穏」だった。

街の喧騒は耳に届く前に霧散し、不快な感情のノイズも、視界を刺す光の乱反射もない。すべては、結人が無意識に望む「静寂」へと塗り替えられていた。

しかし、その平穏こそが、結人にとっての最大の地獄の始まりだった。

アパートの小さなキッチンで、優妃が朝食を作っている。

不意に、彼女の手が滑り、お気に入りのマグカップが床に落ちて砕け散った。

「あ……」

結人は反射的に思った。

(彼女が悲しまないでほしい。この静かな時間を壊されたくない)

その瞬間、結人の脳裏に白い閃光が走り、不可視の「波」が室内を駆け抜けた。

割れた陶器の破片は、結人の視界の中で一瞬だけ輪郭をぼかすと、まるで最初からそこになかったかのように消滅した。床には汚れ一つ残っていない。

「結人くん、ごめんなさい。私、せっかくのカップを……」

謝ろうとした優妃の言葉が、途中で止まった。

彼女の瞳から、困惑や悲しみの色が急速に抜け落ちていく。代わりに浮かび上がったのは、絵画のように美しく、そして一切の感情が籠もっていない微笑だった。

「……ううん、なんでもないの。私、何をしようとしてたんだっけ?」

優妃は、自分が大切にしていたカップを割ったことさえ、数秒前の「痛み」さえも、結人の能力によって上書き(消去)されてしまったのだ。

「優妃、今、カップが……」

「カップ? そんなの最初からなかったじゃない。それより結人くん、コーヒーのおかわりは?」

彼女の「琥珀色の温もり」は、今や結人の好みに合わせて調整された、一定温度の「記号」に成り果てていた。結人が「こうあってほしい」と願う理想の優妃が、目の前で完璧に演じられている。

「違う。そんな、人形みたいな顔をしてほしいわけじゃないんだ……!」

結人が彼女の肩を掴んで揺さぶる。しかし、優妃はただ穏やかに微笑むだけだ。彼が彼女の「動揺」を拒絶している限り、彼女は二度と取り乱すことさえできない。

その時、スマートフォンの通知音が、静寂を切り裂いた。

『第二段階:環境適応を確認。

 被検体A(結人)による、被検体B(優妃)の精神的再構築。

 "理想郷"への進捗率、72%』

結人は、戦慄した。

自分が彼女を守ろうとすればするほど、彼女の魂は削り取られ、彼専用の「静かな飼い犬」へと作り変えられていく。

「九条……っ! 貴様の仕業か!」

結人の叫びに応じて、部屋の壁が、天井が、まるで劣化したデジタルデータのようにノイズを吐き出し、歪み始める。

結人の怒りさえも、世界を破壊する「上書き」の力となって溢れ出していた。

「結人くん、どうしたの? そんなに怖い顔をしないで。私は、ここにいるよ」

優妃が、感情のない、澄み切った声で囁き、彼に抱きつく。

彼女の心音を聴こうと胸に耳を当てても、そこには以前のような「繊細なバイブレーション」はなかった。ただ、結人の心音と完璧に同調した、メトロノームのような正確で冷たいリズムだけが刻まれている。

結人は悟った。

彼女を「人間」として取り戻すためには、この心地よい静寂を自ら破壊し、彼女に「痛み」を、自分に「地獄のようなノイズ」を再び引き入れなければならないのだということを

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ