灰色の境界線
建設現場での一件から数日後。結人と優妃は、平穏を取り戻したかのように見えた。しかし、九条の影は着実に優妃の日常へと忍び寄っていた。
優妃が一人、図書館で静かに本を読んでいた時のことだ。彼女のモノクロームの世界に、突如として「異物」が紛れ込んだ。
視界の端に、周囲のグレーとは明らかに質の異なる、光を一切反射しない「漆黒の輪郭」が現れる。優妃が顔を上げると、そこにはあの日、結人が話していた男――九条が立っていた。
「驚かせてすみません。少し、お話を聞かせていただければと思いまして。……『色のない世界』の住人さん」
優妃の心臓が大きく跳ねた。なぜ、彼が私の秘密を知っているのか。
九条の声は、優妃の耳には「重く湿った砂が崩れる音」のように響いた。彼の周囲だけ、空気が真空になったかのように音が吸い込まれていく。
「結人くんの『純白』は、あなたというフィルターを通すことで完成される。非常に興味深いサンプルだ。ですが、あなたは気づいていますか? 彼の純白が強まれば強まるほど、あなたのモノクロームの世界は、より深く、より逃れられない『牢獄』になっていくということに」
九条の言葉は、優妃が心の奥底に封じ込めていた不安に、冷たい楔を打ち込んだ。
「彼はあなたの救いかもしれないが、あなたは彼を『こちらの世界』に繋ぎ止める重石でしかない。……彼をもっと自由にしてあげたいとは思いませんか?」
優妃の視界が、恐怖で細かく震え始める。九条の「漆黒」が、彼女の静かなモノクロの世界を侵食し、境界線を曖昧にしていく。
その時、優妃のスマートフォンが震えた。結人からの着信だ。
優妃は震える指で通話ボタンを押し、ただ一言、
「……助けて」
とだけ呟いた。




