極彩色のノイズ
結人にとって、世界はいつだって、うるさすぎた。
夜明け前の静かな空の色は、まだ薄い藍色と白のグラデーションを保っている。そのわずかな安らぎを貪るように、結人はヘッドホンを耳に押し込んだ。それは単なる防音のためではない。耳栓や防具の全ては、「極彩色のノイズ」から脳を守るための、心許ない盾だった。
今日の現場は、都心にそびえ立つ高層ビルの建設現場だ。
ゲートをくぐった瞬間、世界は一気に色彩と音の奔流へと変わる。鉄骨の鋭い銀色の輝き、安全ベストの蛍光黄色の警告、そしてそれら全てをかき消す、人々の感情という名の音色。
結人の視界に入った瞬間、五十代のベテラン職人、古川の周りから、濁った茶色と赤が混じったもやが立ち上るのが見えた。同時に聞こえるのは、低音の「ブーン」という唸り。それは重機が出す音ではなく、古川の腹の底で渦巻く不機嫌と、朝から抱えている妻への愚痴が発する、生理的に不快な音だ。
「よお、結人。お前、昨日の締め作業、雑だったぞ」
古川の言葉は、まるで口から飛び出した黒いオイルのように、ねばつきながら結人の皮膚に張り付いてくる。視覚と触覚が混線し、息苦しさを覚える。結人の脳裏には、今日の作業が終わるまで、このオイルと低周波音に全身を晒さなければならないという絶望感がよぎった。
結人は深く息を吸い込み、「演技のマスク」を装着する。顔の筋肉を制御し、いつもの「穏やかで気の利く若手」の表情を作る。
「すみません、古川さん。すぐ確認します」
笑顔を貼り付け、その言葉の裏で、意識的に感情のシャッターを閉ざす。これで、今日の極彩色とノイズの浸食を、なんとか「窒息」寸前で耐えきることができる。だが、このマスクを維持するために消費する膨大なエネルギーが、一日の終わりに自分を波のように押し寄せ動けなくするのだ。
そして、その膨大な疲労が、一人になった結人を容赦なく、飲み込むのだった。




