15. ラスボスが強すぎて無理ぃぃぃ!!
オークヒル市に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。これまで戦ってきたどの街とも比較にならない、重く陰鬱な雰囲気が一行を包み込む。
「うわぁ……」
トム全員が絶句した。
街全体が暗い霧に覆われ、建物という建物に「キング・オブ・モラハラ市長万歳」という看板が掲げられている。そして何より——街を歩く人々の表情が完全に死んでいた。
「みなさん……生きてるんでしょうか……」
マリアが震え声で呟く。市民たちは皆、うつろな目をしてゾンビのようにふらふらと歩いている。笑顔を浮かべている者は一人もいない。子供たちでさえ、まるで魂を抜かれたような虚無の表情だった。
「これがキング・オブ・モラハラ市政の『成果』です」
オークヒル市の学生ユースが、死んだような声で説明する。彼自身もまた、以前の活気を失っていた。
「この街の市民は、全員がキング市長に完全服従を誓わされています」
「完全服従って……」
「はい。朝起きたら『キング市長に感謝します』、食事の前には『キング市長のおかげで頂けます』、夜寝る前には『キング市長万歳、今日もありがとうございました』を必ず唱えなければなりません」
もはや宗教というより、完全な思想統制だった。
「もし逆らったら?」
るなが恐る恐る聞く。4戦連続で戦い抜いてきた彼女だったが、この街の異様な雰囲気に飲まれ、疲労がピークに達した体がさらに重くなる。
「『思想矯正施設』に送られます」
ユースが周りを警戒しながら小声で答える。
「そこで洗脳されて、完全にキング市長の奴隷になるんです。戻ってきた人は皆……」
言葉を濁すユース。想像するだけで恐ろしい現実が見えてきた。
「洗脳……」
「そうです。この街では『個人の意見』『個人の感情』『個人の価値観』、全てが禁止されています。許されるのはキング市長への絶対服従のみ」
るなの理不尽センサーが激しく反応するが、疲労のせいで反応が鈍い。体が重く、いつものような怒りのエネルギーが湧いてこない。
「るな様……」
リサがさすがに心配になってくる。
「本当に大丈夫ですか? 顔色が土色になってますよ?」
「大丈夫……じゃないかもしれません……」
るなが正直に答える。これまでにない弱音だった。
「でも、やるしかないですよね……」
その時——
「何者だ!」
突然、大勢の黒服の男たちに囲まれた。彼らの目も市民と同様、完全に死んでいる。
「我らがキング市長様に無許可で近づく者は、全員逮捕だ!」
「逮捕?」
「そうだ。この街では、キング市長様の許可なく活動することは重大犯罪だ」
黒服の男たちが手錠を取り出す。その動きも機械的で、まるでプログラムされたロボットのようだった。
「ちょっと待ってください」
リサが慌てて挑戦状を取り出す。
「これをキング市長にお渡ししたいんです」
黒服の一人が挑戦状を見て——
「これは……」
急に顔色を変え、慌てて無線で連絡を取り始めた。
「キング市長様、例の女が来ました……はい……分かりました」
無線を切った黒服が、今度は恐る恐るといった様子で言った。
「キング市長様がお呼びです。すぐにお越しください」
-----!
オークヒル市長官邸は、これまで見たどの建物よりも巨大で威圧的だった。まさに悪の要塞そのものである。
「城ですね、これは……」
ガルス団長が見上げる。黒い石で作られた建物には無数の監視塔が立ち、まるで中世の暗黒城塞のようだった。
「この建設費も、全て市民の税金です」
ユースが悲しそうに説明する。
「キング市長の贅沢のために、市民は重税に苦しんでいます」
「重税?」
「はい。収入の8割を税金として取られます。でも市民は『キング市長様のおかげで2割も手元に残して頂ける』と感謝するよう洗脳されています」
るなの理不尽センサーが激しく反応するが、体が重くてうまく動けない。これまでにない疲労感だった。
官邸の中は、まさに王宮そのものだった。天井は30メートルはありそうで、壁一面に金の装飾が施されている。床は大理石、柱は純金で覆われている。
そして玉座の上に座っていたのは——
「フハハハハ!ついに来たか、宇佐美るな!」
60代くらいの巨大な男性だった。身長は2メートルを超え、体重は優に200キロはありそうだ。豪華な王冠を被り、金の装飾だらけのマントを着ている。
「私がキング・オブ・モラハラだ!」
その存在感は、これまでの相手とは桁違いだった。ただ座っているだけで、室内の空気が重くなる。
「あ……」
るなが思わず後ずさりする。
「どうした? 怖気づいたか?」
キングが哄笑する。その笑い声だけで、窓ガラスがビリビリと震えた。
「当然だ。私はこの地域の絶対君主。お前のような小娘が勝てる相手ではない」
「絶対君主って……」
「そうだ。私に逆らう者は存在しない!」
キングが立ち上がる。その瞬間、凄まじい威圧感が室内を満たした。
「うわぁ!」
理不尽撲滅隊のメンバーたちが吹き飛ばされそうになる。
「これは……」
ガルス団長が驚愕する。
「今まで戦った相手とは格が違いすぎます……」
「私の実力を教えてやろう」
キングがゆっくりと玉座から降りてくる。その一歩一歩で床が震える。
「私は元Sランク冒険者だ」
「Sランク?」
るなが青ざめる。これまでの相手は最高でもAランクだった。Sランクは、さらに一つ上のレベルだ。
「数々の伝説的魔物を屠り、王国最強クラスと謳われた男だ」
キングから放たれるオーラが、室内の空気を震わせる。圧倒的な実戦経験に裏打ちされた威圧感だった。
「その力で、この地域の全市を統一したのだ」
「統一?」
「そうだ。グランベル市、ベルモント市、シルバーウッド市、アイアンクロー市……全て私の支配下にある」
キングが不敵に笑う。
「お前が改心させたつもりの連中も、実は私の手駒に過ぎない」
「え?」
「見せてやろう」
キングが手を叩くと——官邸の扉が開き、見覚えのある人物たちが現れた。
ドラコニア・ザ・タイラント、グリード・マネーハンター、ゴルド・コラプション、アクティブ・ハラスメント。
「え……」
るなが愕然とする。
「みなさん……改心したんじゃ……」
「改心?」
ドラコニアが冷笑する。
「そんなわけないだろう。あの程度で心が変わるものか」
「我々はただ、キング市長様の指示に従っていただけだ」
グリードも平然と言う。
「お前を油断させるために、改心したふりをしていたのさ」
「それに、真の改心など一時的なものよ」
ゴルドが付け加える。
「結局、人間は楽な方、得する方に流れる。それが現実だ」
「そんな……」
るなが膝をつきそうになる。自分が救ったと思っていた市民たちは、結局救われていなかった。これまでの戦いは、全部茶番だったのだ。
「どうした? 絶望したか?」
キングが哄笑する。
「当然だ。お前の『正義』など、所詮は子供のままごとに過ぎない」
「ままごとって……」
「そうだ。真の力、絶対的な権力の前では、正義など無意味なのだ!さあ、お前たち」
キングが手下たちに命令する。
「この小娘の仲間どもを始末しろ。手加減はするな」
「はい!」
4人の手下たちが、理不尽撲滅隊のメンバーに襲いかかった。
「《タイラント・クラッシュ》!」
ドラコニアがアランに向けて強烈な攻撃を放つ。
「《マネー・ストーム》!」
グリードがマリアを金貨の嵐で攻撃する。
「《コラプション・ハンマー》!」
ゴルドがガルス団長に腐敗の槌を振り下ろす。
「《インテリジェント・ブレイク》!」
アクティブがトムの思考を破壊する攻撃を仕掛ける。
「きゃー!」
「うわぁ!」
仲間たちが次々と倒されていく。るなの取り巻きでしかない彼らには、フルパワーの敵は強すぎた。
「みんな!」
るなが立ち上がろうとするが——
「動くな」
キングの威圧で体が動かない。まるで巨大な重力に押し潰されるような感覚だった。
「お前の仲間は全員殺す」
「やめて……」
「そして最後に、お前も殺す。これで理不尽撲滅隊とやらも終わりだ」
「やめてください……」
るなの心が折れそうになる。疲労と絶望で、もう戦う気力が残っていない。
「これが現実だ、小娘よ」
キングが勝ち誇る。
「正義など、絶対的な力の前では塵芥に等しい!」
その時——
「るな様……」
倒れたリサが、血を流しながら呟いた。
「諦めないで……」
「リサ……」
「あなたは……私たちみんなの希望なんです……」
リサの言葉に、他の仲間たちも力を振り絞る。
「そうです……」
アランが立ち上がろうとする。
「るな様がいたから、僕たちは本当に変われたんです……」
「私も……」
マリアが血を拭いながら続ける。
「るな様のおかげで、本当の正義を知ることができました……」
「俺たちも同じです……」
ガルス団長とトムも立ち上がろうとする。
「るな様と一緒に戦えて、心から誇りに思います……」
仲間たちの言葉が、るなの心に深く響いた。
「みんな……」
るなの目に涙が浮かぶ。そして——胸の奥で、何かが熱く燃え上がった。
確かに、改心させたと思った敵たちは元に戻っていた。でも、仲間たちは違う。理不尽撲滅隊のメンバーたちは、本当に変わったのだ。彼らの心は本物だった。
「そうだ……」
るなが立ち上がる。キングの威圧に抗って。
「私は一人じゃない……」
「何をブツブツ言って——」
「キング・オブ・モラハラ」
るながキングを真っ直ぐ見据えた。
「あなたは根本的に間違っています」
「間違っている? 何がだ?」
「正義は無力じゃありません」
るなの声に力が戻ってくる。理不尽センサーが再び反応し始めた。
「確かに、あなたの手下たちは改心しませんでした」
「当然だ」
「でも、私の仲間たちは本当に変わりました」
るなが仲間たちを振り返る。皆、傷だらけになりながらも、確かな意志を目に宿している。
「みんな、最初は違いました。でも、一緒に戦ううちに、本当の正義とは何かを知ったんです」
「正義だと?」
キングが鼻で笑う。
「はい」
るなが一歩前に出る。キングの威圧に負けずに。
「理不尽に立ち向かう勇気。弱い者を守る心。仲間を信じる気持ち」
「綺麗事を言うな!」
キングが激怒する。その怒りで室内の空気が歪む。
「そんなものに何の意味がある!」
「あります」
るながはっきりと答える。理不尽センサーが完全に復活していた。
「それが人間らしさです」
疲労はまだ残っているが、仲間たちの支えで立ち上がることができる。いや、立ち上がらなければならない。
「人間らしさだと? 笑わせるな!」
「そうです」
るなが拳を構える。
「あなたには分からないでしょうね。力だけを信じて、人の心を踏みにじってきたから」
「力こそが全てだ! 力なき正義は無力だ!」
「違います」
るなの声が官邸に響く。
「心こそが全てです。心なき力は暴力です」
「黙れ、小娘!」
キングが本格的に戦闘態勢を取った。Sランク冒険者としての真の力を解放する。
「《キング・プレッシャー》!」
これまでで最強の威圧感がるなを襲う。空気そのものが重くなり、呼吸すら困難になる。
「うっ……」
るなが膝をつきそうになる。Sランクの威圧は、想像以上だった。
「どうだ! これが絶対君主の力だ!」
「確かに……強いです……」
るなが認める。
「でも……」
「るな様!」
仲間たちの声が聞こえた。
「負けないで!」
「私たちがついてます!」
「一緒に戦いましょう!」
仲間たちの声援が、るなに力を与える。威圧に押し潰されそうになりながらも——
「ありがとう……みんな……」
るなが立ち上がった。
「それでまだ立ち上がるつもりか?」
キングが次の技を繰り出す。
「《アブソリュート・オーソリティ》!」
絶対権力による精神攻撃。強制的に服従心を植え付ける洗脳技だった。
「私に従え! 跪け!」
「従いません」
るながきっぱりと答える。
「なぜだ! 私は絶対君主だぞ!」
「絶対君主なんて存在しません」
るなが反論する。
「人は人を支配するために生まれてきたんじゃありません」
「支配こそが秩序だ! 強者が弱者を導くのは自然の摂理だ!」
「違います」
るなの理不尽センサーが激しく反応する。
「協力こそが真の秩序です。共に歩むことこそが人間のあるべき姿です」
「ならば力で分からせてやる!」
キングが構える。Sランクの戦闘技術が炸裂する。
「《キング・オブ・デストラクション》!」
キングが最大の必殺技を放った。巨大な破壊の波動がるなに迫る。これまでの相手とは桁違いの威力だった。
「うわぁ!」
るなが必死に回避するが、完全には避けきれない。衝撃で壁に叩きつけられる。
「るな様!」
「大丈夫です!」
るなが立ち上がる。ダメージは大きいが、心は折れていない。
「無理ィィィィ!!」
反撃に出る。だが——
「遅い!」
キングが片手で受け止めた。
「この程度か?」
そして反撃。
「《タイラニー・ハンマー》!」
暴政の鉄槌がるなを襲う。
「きゃー!」
再び壁に叩きつけられるるな。
「るな様! もうやめて!」
仲間たちが心配そうに叫ぶ。
「まだです……」
るなが血を拭いながら立ち上がる。
「まだ戦えます……」
「無駄だ」
キングが冷笑する。
「お前と私では、レベルが違いすぎる」
確かにその通りだった。Sランクとしての経験、技術、パワー、全てにおいてキングが圧倒的だった。
でも——
「レベルが違っても……」
るなが拳を構える。
「正義の心は負けません!」
「無理無理無理無理ィィィィ!!」
今度は連続攻撃で挑む。だが——
「無駄だ!」
キングが全ての攻撃を防ぐ。そして——
「《アブソリュート・ドミネーション》!」
絶対支配の究極技が炸裂する。
「ぎゃう!!」
るながヒロインにあるまじき声を出しながら吹き飛ばされる。今度は立ち上がるのに時間がかかった。
「もう限界だろう?」
キングが勝ち誇る。
「お前の正義とやらは、この程度か」
「まだ……まだです……」
るなが震える手で拳を上げる。
その時——扉が開いて、新たな人影が現れた。
「私たちも!」
草の根連合のメンバーたちだった。エドワード、ナース、ワーカー、マザー、ユース……各市の良心的な市民たちが集まってきた。
「みなさん……どうして……」
「あなたに希望をもらったからです」
エドワードが答える。
「たとえ一時的でも、理不尽に立ち向かう勇気を教わりました」
「そうです」
ナースも続く。
「あなたのおかげで、諦めない心を知りました」
「私たちも変われたんです」
ワーカーが言う。
「完全じゃなくても、少しずつでも変わることができるって」
「バカな……」
キングが動揺する。
「なぜここが分かった?」
「市民の情報ネットワークです」
ユースが答える。
「地下に隠れて、情報を共有していたんです」
市民たちの声が、るなの心に響く。そして——体に新たなエネルギーがみなぎってきた。
「みなさん……」
疲労が嘘のように軽くなっていく。
「みんなの心が、私に力をくれるんです」
「そんなバカな!」
キングが信じられないという顔をする。
「精神論で力が増すものか!」
「増します」
るなが微笑む。
「愛と友情と正義の心が、最強の力だからです」
そう言うるなの理不尽センサーはこれまでで最大の振れ方をしていた。