笑いで生き返ったけん
一筋の涙 〜ツッコミで、生き返ったけん。
午後7時過ぎ。
優馬は、今日もいつものように市内の病院の一室をそっとノックした。
返事はない。だが、それがもう日常やった。
「ただいま、美鈴……今日もほんに疲れたばい〜」
個室のベッドには、静かに眠り続ける黒崎美鈴がおった。
白いリネンとかすかに響く機械の音だけが、病室を静かに包んどる。
優馬はいつものようにリュックから缶コーヒーとおにぎりば取り出して、ベッド脇の椅子に腰ば下ろした。
「今日はな、朝から上司にガミガミ言われたっちゃん。まぁ資料送るの忘れたオレが悪かっちゃけど……それでも怒鳴られると腹立つとよねぇ」
とりとめのない話ば、優馬はぽつりぽつりと語っていく。
笑えるような話も、ちょっとしんどかったことも。
まるでそこに、美鈴がいつものように隣でツッコミ入れてくれるかのように。
「お前が目ぇ覚ましてくれたらよかとになぁ……」
「また、あのバカみたいやった日々ば……笑って過ごせるっちゃけどなぁ……」
視線を落としたときやった。
——光の中で、ほのかに揺れるものが見えた。
美鈴の左頬ば、一筋の涙が静かに伝っとった。
「……え……?」
優馬は思わず息ばのんだ。
脳波は変化してない。モニターにも変化はなか。
けど、確かに今、彼女の頬ば涙が伝ったんや。
「美鈴……聞こえとったと……?」
震える手で、美鈴の手ばそっと握った。
「お前……もしかして……ずっと、聞いとったと……?」
優馬の声が少しだけ、かすれた。
「オレな、お前が目ば覚ましたら、ちゃんと言うつもりやったっちゃん」
「生き返って、リハビリ終わったら……結婚しような」
「正式に。ちゃんと、籍も入れて。お前の親にも、きちんと挨拶行くけん。……その日まで、オレ待っとくけんね」
言葉ば絞るように、でもまっすぐに。
その声が病室に、やさしく響いた。
——もう返事はないかもしれん。
でも、それでも優馬は毎日ここへ通い続ける。
彼女が目ば覚ますその日まで。
それが、生きてる人間にできる、一番まっすぐな愛のかたちやと信じて。
──
その夜。
誰もおらん病室に月明かりが差し込む。
眠る美鈴の目元が、もう一粒、そっと濡れとった。
──
霊界審判 〜ツッコミ大魔王、出動命令
ぼんやりとした意識の中。
光でも闇でもなか、淡い霧のような空間に、美鈴の姿がふわりと浮かんどった。
——ここはどこやろ?
そう思った瞬間、どこからともなく響く低うて重たい声。
「黒崎美鈴。お前を、霊界裁判所に召喚する。」
ふいに足元がすうっと消えて、美鈴の身体は吸い込まれるようにして、まばゆい光の中へ。
気づいたら、そこは荘厳な神殿のような場所やった。
天井には雲が流れ、柱には神々しかお笑い芸人の肖像が浮かび上がっとる。
玉座のような席に鎮座しとったのは、白髪をオールバックにしたスーツ姿の霊界裁判官。
厳かか顔で、眼鏡の奥から美鈴ば見据えとる。
「黒崎美鈴。お前にはまだ、現世での使命が残っとる。」
「……使命?」
美鈴はおそるおそる問いかけた。
裁判官は頷きながら、手元の分厚い帳簿ばパタンと閉じた。
「お前のギャグセンス、そしてそのキレッキレのツッコミ。生前、どれほどの者がその一撃で笑い転げたことか。……霊界での記録によれば、“脇腹クラッシャー”の称号すら得ておる」
「いやなんちゅー称号! ツッコミで骨折させたことなんか一度も……あるけどっ!」
「うむ。すばらしか。だが、それだけやなか」
霊界裁判官は立ち上がり、美鈴に近づく。
「お前の笑いは、人の心ばあたため、孤独ば救う。幽霊になってからも、優馬という青年の暮らしに明るさと笑いば与えたこと、これは霊界でも高う評価されとる」
「……あいつ、ほんっとバカでエロくて、でも優しかったもんね……」
ふっと、美鈴の目に優馬の顔が浮かぶ。
「ゆえに、決定が下された。お前は意識ば取り戻して、人間界に戻ることば許可される」
「えっ!? ほんとに!?」
「ただし——」
裁判官の表情がピシッと引き締まる。
「お前に与えられた使命はただ一つ。優馬とのボケツッコミで、笑いによって世の中ば変えていくこと。」
「笑いで……世界ば?」
「そう。深刻な問題にこそ笑いが必要や。
そして、お前たちの掛け合いは、笑いの霊力ば高め、あらゆる暗闇ば吹き飛ばす」
「な、なんかすごい壮大な話になってきたばってん!?」
裁判官は満面の笑みば浮かべ、片手ば挙げた。
「黒崎美鈴、笑いの守護者として——現世に、還れっ!」
ぱあああっと光が満ち、美鈴の身体が霧のように溶けていく。
「ま、待って、優馬ぁあああ!! ツッコミ大魔王、帰還しまぁぁあす!!」
その声がこだまするなか、彼女の魂は静かに、再び現世へと戻っていくんやった。
目覚めと再会、そしてこれから
翌朝、病室。
美鈴の指が、かすかに動いた。
優馬はいつものように語っとった。
「瑠衣には『もっと段取りしときんしゃい』って怒られるし、陸斗は後ろで『これ伝説回っす!』って爆笑しよるし」
寝とる美鈴の髪ば見つめながら、優馬はふっと笑った。
「ほんま、家帰ったらツッコまれたかとに……『詰めが甘い!』って、コチョコチョ返しされそうやわ……」
そこへ、扉が静かに開いた。
美鈴の両親やった。事情ば聞いて、そっと病室へ。
優馬は、出会いから今までのことば包み隠さず話した。
幽霊として出会い、ドタバタな日々、そして今も信じとること——
母は泣きながら娘の手ば握り、父はただ「ありがとう」と言うた。
それだけで、すべてが伝わる気がした。
*
その夜。
家に帰ると、美鈴(幽霊ver)が待っとった。
「おかえり〜〜〜! 待っとったよ〜〜!」
その直後、病院からの連絡。
美鈴が意識ば取り戻した——
急いで病院に向かう優馬。
*
目ば開けた美鈴は、ぼんやりと天井ば見上げとった。
「……ここ、どこ?」
ベッドのそばで、男が涙ば浮かべて微笑んどる。
「美鈴……!」
……誰?
「えっと……どちら様?」
「えぇ!? オレやん、小倉優馬やん! 忘れたんか!?」
「うーん……なんか、ツッコミたくなる顔しとる……」
「それやぁああ! それが美鈴やぁああ!」
記憶はまだ曖昧。
でも、彼の手ば握った瞬間、あたたかさが心に広がった。
「この手、知っとる……落ち着く……」
「なぁ、美鈴。ちょっとだけ手……握ってもよか?」
「……ん」
彼女の目が細まり、微笑みが浮かぶ。
「私たち……めっちゃバカやってた関係?」
「ボケとツッコミとコチョコチョと、ちょっとエロも混じっとったな!」
「……ちょっと、あんたっ!!」
ツッコミが炸裂して、病室に笑いが戻った。
*
まだ思い出せんことはたくさんある。
でも、こうして笑っていられるなら、きっと思い出せる。
「私、リハビリ頑張る。終わったら、あの懐かしかアパートに帰るけん」
優馬は彼女に約束して、再び彼女の“明日”に会いに行く。
「また、明日な」
そう言って扉ば閉めたあと——
美鈴は心の中で、そっとつぶやいた。
「……私、眠っとる間に、どんなことしとったんやろ……」
きっと、彼が全部教えてくれる。
——そう思いながら、彼のぬくもりば思い出していた。