思い出のランジェリーと黒ビキニ
2022年8月思い出の黒ビキニとランジェリー。私生きてるから
休日の午後。福岡のアパートの窓から、夏の日差しが柔らかく差し込んでいた。エアコンの効いた部屋の中で、優馬はソファに寝転び、ぼんやりテレビを見ていた。隣では、美鈴がクローゼットをごそごそと漁っている。
「……ねぇ、優馬。ちょっと時間ある?」
「んー? あるけど、なんや?」
振り向くと、美鈴の手には、見覚えのある紙袋があった。そこから覗いていたのは、黒いレースの――ランジェリーと、水着。
「それって……! あの、幽霊ん時に、買ったやつやんけ!」
「うん……。でもあのときは、透けててちゃんと着てるって言えなかったから。今日は……“今の私”を、ちゃんと見てほしいんよ」
照れくさそうに俯く美鈴。その表情には、ほんのりと紅が差していた。
「な、なぁ……い、今ってことは……着るんか、それ」
「うん。だって、あたし……生きてるから。もう、ちゃんとあなたの目の前で、全部見せられるっちゃん」
数分後、部屋の向こうから「じゃ、いくけんね!」と声がして、優馬がドキドキしながら振り向く。
「……どや、優馬」
目の前には、黒いレースのブラとショーツに身を包んだ美鈴が立っていた。長い黒髪、すらりと伸びた四肢、そして透けていない確かな“生身”。生きているからこその、温もりと鼓動がそこにあった。
「や、やば……めっちゃ綺麗やんけ……」
優馬はしばし呆然とし、次の瞬間には鼻から血がツー。
「ちょ、ちょっと鼻血出とるやん! も〜、またそういうとこやってば!」
美鈴はぷいと顔を背けつつも、笑っていた。心の底から嬉しそうに。
「次はこっちね。例の黒ビキニ」
おもむろに姿を消した美鈴が、今度は黒のビキニ姿で登場した。身体のラインにぴったりと沿ったその布地に、優馬は目を奪われる。
「お、おいおい……! あかん、見たら死ぬっ!」
「もう、死んだらいかんとよ。ちゃんと、生きとって」
優しく言われたその一言に、優馬の胸がぎゅっと締めつけられる。
「……なぁ、美鈴。お前、生きとってくれて、ほんまにありがとうな」
「ふふっ。ありがと。でも、まだ“生き返った”実感、あんまりないと」
「……じゃあさ。これで、残しとこや。今のお前を、ちゃんと写真に残したい」
優馬はカメラを取り出し、慎重に構えた。
「構え方、カッコつけすぎやない?」
「真剣勝負やもん、これ」
カシャ――。
静かに鳴ったシャッター音。それがふたりの“今”を、はっきりと未来に刻み込んだ瞬間だった。
「見せて……どんな風に写っとる?」
カメラの液晶に映った自分を、美鈴はそっと覗き込む。そこには、生き生きと笑い、はにかむ美鈴の姿があった。幽霊だった頃とはまるで違う、“確かな実在”がそこにあった。
「……ねぇ、優馬。わたし、今まで幽霊やったとに、こんなにしっかり笑えてるの、不思議やね」
「お前の笑顔、俺の宝やで。これ、ぜったい消さへん。ずっと残す」
「消したら、コチョコチョの刑な?」
「わかったわかった! 消さんて!」
ふたりは、笑いながら自然と近づき、そのままそっと抱き合った。
「……わたし、ほんとに今、生きてる。ちゃんと、あなたとこうして触れ合える。夢じゃないとよね?」
「夢やない。現実や。お前とオレが、生きて出会って、今ここにおる。それだけで、最高やろ」
優馬の腕の中で、美鈴は小さく「うん」と呟いた。
そしてこの日撮った写真は、後にふたりの結婚式のスライドショーに、こっそり組み込まれ――
数年後、娘たちに見つかって「なんこれ!?」とツッコミを受ける未来が待っているのだった。
野球とラーメンと、奇跡の記憶
「ねえ、優馬。ぺいぺいドーム、行かん?」
日曜の朝、トーストをかじっていた優馬に、美鈴が身を乗り出してきた。目がキラキラと輝いている。
「ぺいぺい……あ、野球? ソフトバンクの試合?」
「うん。事故の前、何回か行ったことあってさ。ドームで声出して応援するの、すごく楽しくて……。もう一回、あの雰囲気を感じたいんよ」
そう言って、美鈴は、少し照れたように笑った。
「そっか。……じゃ、行こっか」
優馬が頷くと、美鈴は顔をほころばせ、「やったー!」と声を上げて飛び跳ねた。以前のような無重力じゃない、ちゃんと重さのある、実体のある跳ね方だった。
――それが、なんだかすごく嬉しかった。
ドームに向かう地下鉄の車内。混み合う中で、美鈴はぴとっと優馬の腕に寄り添い、指先でそっと手をつないだ。
「今でもね。夢みたいやって思うときあるとよ。こうして手、つなげるなんて」
「生き返ってくれて、ありがとうな」
優馬の言葉に、美鈴はそっと目を閉じて微笑んだ。
ドームに着くと、スタジアムのざわめきと応援の熱気が身体中を包み込んだ。応援団のリズム、選手の登場音楽、打球音――全部が美鈴にとっては、生きている実感を呼び覚ます音だった。
試合が始まると、美鈴は拍手し、歓声を上げ、ときに「ナイスプレー!」と叫んだ。
そして、ソフトバンクの主砲が豪快なホームランを打った瞬間――
「きゃーーーーっ!! やったぁぁぁっ!!」
美鈴の喜びが爆発する。スタンドで跳ねるように両手を掲げ、まるで花火のように笑っていた。
その横顔を見て、優馬は改めて思う。
――この笑顔を、また見られるなんて。
事故からずっと昏睡状態だった美鈴。どれだけ声をかけても反応がなく、それでも話しかけ続けた日々。今、こうして彼女の笑い声を隣で聞けることが、どれほどの奇跡か。胸が熱くなった。
「ありがとうな、美鈴。……生きとってくれて」
「うん。あたしも、ありがと、優馬」
試合が終わると、すっかりお腹が空いていたふたり。
「ねぇ、ラーメン食べに行かん? あの……博多といえば、とんこつ!」
「ええな。俺の行きつけ、連れてったる」
優馬が連れて行ったのは、雑居ビルの一角にある、小さな豚骨ラーメン屋だった。のれんをくぐると、大将が顔を上げた。
「おっ、小倉くん、久しぶりやん。今日は彼女さんか?」
美鈴はにこっと微笑んで、小さくうなずいた。
「はい。……実は、事故でずっと意識がなかったんです。でも、奇跡的に目が覚めて、こうして一緒に外出できるようになりました」
その言葉に、大将はしばらく目を見開いて、やがてぽんと手を打った。
「そりゃあ……なんちゅうか、めでたい話やなぁ。じゃ、今日はこの店から、ふたりの門出を祝わせてくれ」
「えっ?」
「ラーメン代、俺のおごりや。こんな話、なかなかない。お祝いせんと男が廃るけんな」
「……ありがとうございます」
美鈴の瞳に涙がにじんだ。その一言に、これまでの長い眠りと、それを見守った優馬への感謝と、今の自分の実感が詰まっていた。
ラーメンをすする美鈴の目の前で、優馬はそっと微笑んだ。
夜。帰宅して、お風呂に並んで浸かりながら、ふたりはぽつりぽつりと思い出を語り合う。
「野球、楽しかったなぁ」
「うん。やっぱり、生きてるって感じがした」
「豚骨も、うまかったな」
「……嬉しかった。おごりじゃなくて、“お祝い”って言ってくれたの、あれ一番じーんときたとよ」
その後は、いつものように、同じ布団に入って眠った。
手をつなぎながら、ぬくもりを感じながら――奇跡の続きを、静かに夢見ながら。
そして、笑いと涙の結婚式へ
「ねえ、寒くなってきたら、またもつ鍋食べに行こうね」
ソファでぴったり寄り添いながら、美鈴が呟く。
「ええな。あったかい鍋と、あったかいビールで乾杯や」
「……それ、絶対二日酔いになるやつやん」
そんな他愛ない会話を交わしながら、ふたりはついに――結婚式の準備を始めた。
結婚式の日取りが決まり、招待状を一通一通丁寧に送り出す。
かつて美鈴が勤めていた幼稚園の同僚、園長先生、友人たち。
そして、優馬の職場の同僚や上司、幼なじみたち。
もちろん、両家の両親や親せきも。
中には「えっ、美鈴ちゃんって、あの美鈴ちゃん!?」と、事故のあと消息が分からなかったことに驚く人もいれば、
「よかったなぁ、ほんとに生き返って……」と涙ぐむ園長先生もいた。
──そして、迎えた結婚式当日。
式場の扉が開くと、純白のウェディングドレスに身を包んだ美鈴が現れた瞬間、ざわめきが走った。
「おい……あれが花嫁さん……?」
「う、美しすぎる……!」
「あ、鼻血……っ!」
案の定、男性陣はあの“伝説の鼻血ブー”をリアルに再現する羽目になった。
新婦入場のあと、披露宴ではまず、ふたりの「馴れ初めVTR」が上映される。
ナレーションは優馬の同僚・久留米瑠衣と、美鈴の親友・里奈が担当。
軽快なツッコミとともに、優馬が引っ越してきたアパートで、美鈴(幽霊モード)との出会い、風呂場での絶叫、コチョコチョ大魔王の発動など、数々のドタバタシーンが流れる。
――場内、大爆笑。
「これ、ほんとに実話なんですか?」
「えぇ、えぇ、ガチですとも!」と、瑠衣が高らかに断言。
そして、スライドショーの最後には、あの“黒ビキニ姿でうっふんポーズ”や“黒ブラファッションショー”の記念写真が登場。
「キャー!! 見せんでよぉ〜っ!!」
美鈴が顔を真っ赤にして優馬の肩をバンバン叩くその姿に、また爆笑。
だが、その直後。画面には優馬が撮った、穏やかに笑う美鈴の一枚。
――病室で語り続けたあの日々。
――「生きてほしい」と願った奇跡の時間。
――“ただいま”と泣きながら抱きついたあの瞬間。
そこに込められた想いに、誰もが心を打たれた。
笑いがあって、涙があって。
たしかにこのふたりは、「普通」なんかじゃなかった。
でも、誰よりも「幸せ」を信じたふたりだった。
「私、いろいろありましたけど――本当に、生きてよかったです」
そう語る美鈴の言葉に、涙する者、笑顔で頷く者、拍手する者が一体となった。
式の終盤。
「では……誓います。生涯、エロ大魔王として、そしてコチョコチョ大魔王として、美鈴を笑わせ続けることを――」
優馬の誓いの言葉に会場中が「なんの宣言やねん!!」と総ツッコミ。
美鈴は涙を浮かべながら、こう言った。
「私は、ツッコミ大魔王として、あなたのボケに、全力で乗っかり続けることを誓います!」
そして、ふたりのキス……の直前に、
「ちょ、ちょっと待って!鼻血が!!」と叫ぶ男性陣の声が再び響き、
美鈴はいたずらっぽく微笑みながら――優馬の胸に飛び込んだ。