ここに、勇者はいない。
はっ、と目を覚ました。
俺の右手は、バルムンクの柄をしっかりと握っている。
完全に意識を失っていた。
どういうことだ。
白昼夢ってやつなのか……。
そして、映画館にいた女。
クリームヒルト。
彼女はどうして、俺の夢の中にいたのか。
千年前に命を落としたはずの彼女が、どうして、俺の夢の中に現れたのか。
何がなんだか分からない。
ただ、彼女が最後に残した言葉だけが、脳裏に焼きついていた。
――人間はね、絶滅するまで、呪いの渦の中で踊り続けることになるの。
絶滅?
一体、どいうことだ?
「エイミ、ちょっと大丈夫?」
ルピナスの声に、ようやく意識が鮮明になった。
彼女が隣にいたことに、今、気が付いた。
「バルムンクを握った途端、気を失っちゃったみたいだけど、大丈夫? そんなに魔力を吸い取られたの?」
彼女の不安そうな眼差しに、なぜか安堵を覚えた。
この温かい感情のこもった瞳は、紛れもなくルピナスだ。
クリームヒルトではない。
彼女の瞳は、どこか虚ろで冷たく、畏れすら感じさせた。
「俺にも、何が起こったのか、分からない……」
やはり、まだ混乱は続いている。
「俺は、どのくらい気を失っていたんだ?」
そう尋ねると、ルピナスが「うーん」と唸りながら答えた。
「たぶん、二分くらいだと思う……」
「二分だとっ?」
夢の中だと、二時間以上は、映画館に拘束されていた感覚だ。
たったの二分。
普段は、現実の時間と夢の時間は、体感的にほとんど変わらない。
八時間の睡眠であれば、八時間の上映時間だ。
あれは、いつもの夢じゃなかったのか。
「白昼夢、だったからか……?」
その言葉に、すぐさまミーネが反応した。
「むっ、白昼夢じゃと?」
ミーネが足早に近づいて来た。
「おぬし、もしや、バルムンクの残留思念を視てきたのか?」
「ああ、とんでもない偉人のオマケつきでな」
「なぬ? 偉人じゃと?」
ミーネが、訝しげに、こちらを睨んだ。
「いろいろと、わけの分からないことだらけなんで、夢の話は後でする」
俺は、続ける。
「まず、結論から言うと、ここに、勇者はいない」
「な、なんじゃと! どういうことか、説明せいっ!」
ミーネが、詰め寄ってきた。
「落ち着け、説明は後でする。まずは、バルムンクを回収するのが先だろ」
「むむ、そうじゃな……」
俺は、バルムンクの柄に力を込めた。
瞬間、ハーデブルクの凄惨な光景が、フラッシュバックされた。
思わず、左手で口を抑えたが、耐えきれず、嘔吐してしまった。
「ちょ、ちょっと、本当に大丈夫なの?」
すかさず、ルピナスが、俺の肩を抱き、背中を摩った。
「ああ、大丈夫だ。体調に問題はない。ただ、夢で見たことを思い出して、急に、気分が悪くなっただけだ……」
これまでに見た残留思念の中で、最も凄惨で陰惨な映像だった。
完全にトラウマを植えつけられてしまった。
俺は、ルピナスに支えられながら、胃酸の苦みを噛み潰し、魔導士から、ゆっくりとバルムンクを引き抜いた。
魔導士は、糸の切れた人形のように、力なく、その場に倒れ込んだ。
俺は、太陽の光を浴びて、金色の輝くバルムンクを睨んだ。
反射する光の中に、一瞬、クリームヒルトの顔が浮かんだ。
彼女は、婉然と微笑んでいた。
この魔剣の中に、彼女はいるのだろうか。
ニーベルゲンの呪い。
そう彼女は言った。
まったく、何が何やら、分からない。
「なんか、フツーに、バルムンク持っているけど、大丈夫なの?」
ルピナスにそう訊かれ、俺は、バルムンクを一振りしてみた。
金色の光芒が、横一線に流れた。
「うーん、確かに、魔力を吸い取られている感覚はあるが、問題なく力を込めることはできるな」
「ふう、相変わらず、底なしの魔力じゃのう。羨ましい限りじゃ」
ミーネが肩を竦めた。
「で、おぬし、勇者が、ここにはおらんとは、どういうことじゃ?」
「ああ、そのこと何だが……」
と、俺が、話そうとした時、何か違和感を覚えた。
手足に、何かが絡みついているような感覚。
これは、糸だろうか。
おもむろに、腕や脚に視線を向けるが、糸なんて絡みついていない。
見えない糸。
ふいに、糸が引っ張られた。
糸がピンと張ると、さすがに動きにくい。
「なあ、何か、手とか足に、糸が絡んでるみたいな感じがしないか?」
俺が訊くと、ミーネが、ゆっくりと視線をこちらへ向けた。
彼女の全身は、小刻みに震えていた。
「い、糸じゃと? 馬鹿なことを言うな。ワシは、荒縄で縛り上げられているような感覚じゃぞ……」
ルピナスが、勢いよく片膝を突いた。
「くっ、はぁっ、こ、この感覚、ほっんと、もう、サイアク! ぜったいに、ぜったいに、もう、嫌だった、のに……」
ルピナスが苦しみ喘ぎながら、吐き捨てた。
「お、おいっ、なんだ、どうしたんだ、お前らっ!」
ミーネが、絞り出すように言った。
「お、おぬし、勇者はここにおらん、そう、言ったな……?」
「ああ、勇者は、ここにはいない」
「だ、だったら、これはなんじゃ……?」
「ん? これって、この鬱陶しい糸のことか?」
見えてはいないが、絡みつく糸の感覚は明確にある。
「今、ワシらは、魔法攻撃を受けておる……」
「は? 魔法攻撃だと? 一体、どこから攻撃しているんだ?」
慌てて周囲を見渡すが、敵の姿は見えない。
そもそも、見えない糸を絡ませる魔法って何だ?
「お、恐らくじゃが、ハーデブルクから、攻撃を仕掛けてきておる」
「ハーデブルクだと……」
目には見えないが、感覚を頼りにして、糸が伸びている方向を辿ってみると、その先には、確かにハーデブルクがある。
だが、ハーデブルクには、赤帽子しかいないはずだ。知能の低い赤帽子は、魔法を使うことはできない。しかも、かなりの遠距離から攻撃を仕掛けてきている。こんな高度な魔法攻撃は、人間であっても、そう簡単には使えない。
「つーか、俺たちは、どんな魔法で攻撃を受けているんだ?」
俺には大した影響はないが、ミーネとルピナスは、完全に動きを封じられている。
「よおく、聞け、今、ワシらを攻撃している魔法は……」
ミーネの表情に、緊張が滲んだ。
「傀儡魔法じゃ」