英雄
「おいおい、なにがどうなってんだ? なんで広場にゴブリンがいんだよ!」
窓から身体を乗り出しながら、勇者が叫んだ。
「あ、あれは、ゴブリンじゃありません、赤帽子です……」
「レッド……なんだってっ?」
コイツは、赤帽子すら記憶にないのか。興味のないことは、端からすべて忘れていく脳味噌なのか。
「つーか、何やってんだ、アイツら、ゴブリンに喰われてんじゃねえかっ!」
「騎士たちの攻撃が、赤帽子にまったく届いていません!」
「あん、どういうこった?」
「私にも分かりません」
勇者と魔導士のやり取りを見る限り、赤帽子が、竜化していることには気付いていないようだ。そもそもコイツらは、《竜骨生物群集帯》の存在を知っているのだろうか。
ふと、ブルグント魔導団のケイの言葉が蘇った。
――《竜骨生物群集帯》の存在を知っているのは、一部の王族や貴族、あと竜骨の回収に駆り出されたことのある傭兵や冒険者くらいですからね。
コイツら、もしかして《竜骨生物群集帯》を知らないのか。
いや、勇者はともかく、魔導士の経験と知識ならば、絶対に知っているはずだ。
――私自身も《竜骨生物群集帯》に、足を踏み入れたことがありません。だから、その脅威を頭では理解できていても、正直、うまくイメージすることができていません。
もしかして、今の状況と《竜骨生物群集帯》が、繋がっていないのか。
その時、激しい音とともに、部屋の扉が破られ、赤帽子たちが、ぞろぞろと室内に侵入してきた。
その姿は、まるで血の池から這い上がってきた亡者のように、全身を真っ赤に染め、握っている斧の先端からは、ぼたぼたと赤い雫が滴り落ちている。
「うおっ、なんだ、なんだ、コイツら、勝手に入って来やがったぞ!」
魔導士は、壁に立てかけていた杖を手に取り、即座に詠唱した。
「氷結女神の唸り」
冷気の波動が、高速で床を這い、赤帽子たちに襲い掛かった。
一瞬にして、凍りつく、はずだった。
しかし、魔導士から放たれた精霊魔法は、赤帽子に辿り着く前に、霧となって散ってしまった。
「はあ? なにやってんだ、テメエ! 狙い外してんじゃねぇっ!」
杖をかざしたまま、魔導士は茫然と立ち尽くしていた。
「ま、魔法が、効きません……」
「はあ? なにボケてんだ、テメエっ!」
立ち込める冷気の向こうから、赤帽子が、勇者に向かって襲い掛かって来た。
勇者は叫びながら、壁に立てかけていた〝勇者の剣〟を手に取った。
バルムンクではなく、勇者の剣を手に取ったのである。
この時点で、勝敗は決した。
「この雑魚どもがぁっ!」
不格好な動きで、赤帽子を斬りつける勇者。
だが、その斬撃は、見えない何かに弾かれ、大きく虚空を踊った。
「なっ、どうなってんだ?」
次の瞬間、一匹の赤帽子が、素早く斧で斬り返した。勇者の肩口から鮮血が吹き上がり、悲鳴がこだまする。その一撃に続けと、他の赤帽子たちも、次々に勇者へと飛び掛かっていき、間断なく斬りつけた。
悲鳴を上げながら、ベッドの上に転がり込む勇者。赤帽子たちは、勇者を追って、次々とベッドに飛び乗り、集団で取り囲むと、一斉に斧を叩きつけた。幾度となく血しぶきが舞い、瞬く間にシーツが赤く染まっていく。
ふいに、一匹の赤帽子が、斧を振り下ろすのを止めた。すると他の赤帽子たちも、順々に攻撃の手を止めていった。
勇者の身体が、光り輝いていた。
無数にあった傷が、光の中で静かに塞がっていく。
「あれが、光属性か……」
勇者が宿す光属性には、強力な自己治癒機能が備わっている。また物理攻撃と魔法攻撃を半減する防御機能も備わっているため、赤帽子の苛烈な猛攻を受けても、致命傷には達しなかったようだ。
みるみるうちに傷口が塞がっていく身体に、赤帽子たちは、互いに顔を見合わせて、驚きの表情を浮かべている。
勇者は、自らの傷が治ったことに気付いていないのか、未だ、ベッドの上で震えながら丸まっている。
一匹の赤帽子が、仲間たちに合図を送ると、他の赤帽子たちが、それに呼応するように、再び、斧を振り上げた。
と、その時、室内に、もう一匹、赤帽子が入って来た。
ゆらり、と室内に入って来た、一匹の赤帽子。
その見た目は、他の赤帽子と何ら変わらない。
だが、すぐに、その異質さに気がついた。
「なんだ、コイツ……」
その赤帽子は、明らかに異質な雰囲気を漂わせながら、静かに勇者の元へと近づいて行く。
クリームヒルトが、小さく口を開いた。
「彼はね、英雄よ」