物言わぬ石像。
「コイツが、バロール……」
俺は、スクリーンを睨みながら、歯噛みした。
邪眼のバロール。
魔王の側近であり、魔王軍の総指揮官。ルピナスの故郷であるイースラントの人々を石に変えた張本人だ。
「この魔族と知り合いなの?」
興味深そうに、クリームヒルトが訊いてきた。
「俺の同僚と、深い因縁のある魔族だ」
「へえ、ずいぶんと感情的になるのね」
「まあ、同僚から色々と聞いているからな。非道な奴だってことは理解している」
「へえ、そうなの」
クリームヒルトは、どこか含みを持たせながらも、スクリーンに視線を戻した。
俺は、椅子から乗り出し、スクリーンを凝視した。
「バ、バロール?」
魔導士は明らかに狼狽していた。
「バロールって、ま、まさか、あの邪眼のバロールですか? 魔王の側近が、どうしてこんなところに?」
邪眼のバロールは、魔導士を見下ろしたまま、ゆっくりと口を開いた。
「哀れな娘よ。お前たちは、抗うことすら許されない大罪を犯した。もはや償うことさえ許されない大罪だ。もう、どうすることもできない。じきにこの国は、竜どもによって蹂躙されるだろう。哀れな娘よ。巻き込まれたくなければ、今すぐ、この国を出よ」
「な、なにを言っているのですか?」
当惑する彼女に背を向け、バロールは扉の方へ歩き出した。
「待てよ、コラぁっ!」
獰猛な、がなり声が聞こえた。
「テメエが、邪眼のバロールかっ!」
瞬間、ベッドから戦士が飛び出し、すかさず壁に立てかけていたバトルアクスを手に取り、一気にバロールに襲い掛かった。
「火炎黒蜥蜴の尻尾」
バロールの仙骨部分から、無数の黒い炎が立ち昇ると、瞬時に収束し、巨大な炎の尻尾が形成された。尻尾は、不気味にうねりながら伸びていき、突進して来る戦士に、炎を上げて襲い掛かった。
「叩き斬ってやるっ!」
戦士が、大上段から、一気にバトルアクスを振り下ろした。
一閃、バトルアクスが炎の尻尾を断ち斬った。
「火炎黒蜥蜴の鱗」
次の瞬間、バロールの全身が黒い炎に包まれると、無数の炎に枝分かれし、それらは、猛烈なスピードで、幾重にも重なっていき、巨大な菱形の炎へと形作られた。
戦士が斬撃が届く前に、バロールの鎧は完成した。
「この野郎っ!」
バトルアクスによる渾身の一撃は、無残にも、炎の鎧によって弾き返された。
攻撃の反動で、後ろへと飛ばされる戦士。空中で身体ひねりながら、何とか両足で着地。たたらを踏みながらも、再び、バトルアクスを振り上げた。
バロールが溜息を吐いた。
「哀れな娘よ。悪いが、もう時間がないのだ」
「はあ? なに分けわかんねぇこと言ってやがる。この魔王の腰巾着がぁっ! ここでオレが始末してやるっ!」
戦士がバトルアクスを振り上げ、次なる攻撃のモーションに移った。
「どうやら、会話したところで無駄なようだな。できる限り、魔力を温存しておきたかったのだが、やむえまい」
バトルアクスを振りかざし、戦士が突進しようとした、その時、ぶちっ、ぶちぶちっ、と嫌な音がした。
肉が千切れるような、不気味で不快な音。
戦士は、驚愕の表情を浮かべている。
バロールの右眼が、大きく見開かれていた。
右眼は空洞だった。
真っ暗な空洞。
だが、その暗闇の奥で、ぷちっ、ぷちっ、ぷちっと、何かが弾けるような音がした。
漆黒の闇の中、何かの気配を感じた。
暗黒の底で、無数の小さな眼球が蠢いていた。
眼球は、ぞろぞろと闇の中心に集まっていき、一つの集合体を形成した。
瞬間、眼球たちが激しく震え始め、悲鳴を上げた。
耳をつんざく、赤ん坊のような悲鳴。
次の瞬間、集合していた無数の眼球の視線が、一点に合わさった。
その視線は、戦士を捉えていた。
途端、戦士の動きが止まった。
「お、おい、どうなってんだよ、おいっ!」
戦士の悲痛な叫びが響いた。
戦士の爪先から、灰色のセメントのようなものが、ずるずると這い上がってきた。
「や、やめろ、どうする気だっ!」
バロールは、戦士を一瞥すると、素早く踵を返し、何事もなかったかのように、扉へと向かって行った。
右眼は、すでに塞がっていた。
戦士を呑み込むように、セメントが這い上がっていく。
脚から腹部へと広がり、胸を経由して両腕へと浸蝕していき、首元まで到達。そこから顔面を目指して、ずるずると上っていく。
戦士の断末魔がこだました。
気が付くと、彼女は、物言わぬ石像へと成り果てていた。
「これより先に続くは地獄。石であるほうが遥かに幸せだろう……」
バロールはそう言い残し、部屋を去って行った。