囮なんぞ、竜骨にやらせればよい。
竜骨を握った瞬間、魔物の動きが大きく変わった。
さっきまで、都市の周りを徘徊していた魔物たちが、一斉に、こちらへと向かって来ていた。
しかも、とんでもない速さで、こちらに向かって来ている。
その中には、赤帽子の王も混じっていた。
竜骨の甘美な誘惑は、死体を忌避する魔物の習性を、いともたやすく消し去ってしまった。
「おいおいおい、マズいことになってきたぞ!」
すかさず、シュタインが、俺の方へ、布の小袋を投げてきた。
魔封じの袋だ。
俺は、乱暴に紐を解き、袋の中に竜骨を押し込んだ。
途端、濁流のように押し寄せていた魔物の気配が、少しずつだが、分散していった。
安堵の溜息をこぼす。
ミーネが、こちらを睨む。
「安心するのは、まだ早い。死体が燃え尽き、魔力が消滅すれば、赤帽子どもは、都市に侵入して来るぞ!」
赤帽子は、人間の血を好む。
この都市の人間すべてを解体するまで、奴らの暴挙は終わらないだろう。
しかもその中には、赤帽子の王とかいう化け物じみた魔物までいる。
最悪の状況だ。
「とにかく、早く、ここを離れたほうがよさそうね!」
ルピナスが周囲に視線を配った。
「うむ、そうじゃな。中央広場は広く、障害物もない、囲まれたら、いろいろと厄介じゃ!」
雑魚の赤帽子を蹴散らしている最中に、赤帽子の王に追いつかれたら、完全にアウトだ。
「だからって、どこに逃げるんだ。都市の外は、まだ赤帽子でいっぱいだぞ!」
ミーネの目が鋭く光った。
「おぬし、生き残っとる連中は、貧民窟におるとか言っとな?」
「ああ、ちょっと待て、ちゃんと確かめてみる」
そう言うと、俺は、意識を集中させた。
現在、魔力探知は都市全体に広げている。その範囲を徐々に縮めていき、貧民窟の周辺に魔力を集中させる。そして、さっき感じることができた、僅かな揺らぎに意識を集中させる。神経を研ぎ澄ませ、貧民窟をなぞるように探していると、やはり、魔力が集中している場所を見つけた。
間違いない。
「やっぱり、生き残っている住民は、貧民窟にいるみたいだ!」
ミーネが「うむ」と頷いた。
「やはり、皆、考えることは同じみたいじゃのう」
「どういうことだ?」
「忘れたのか、貧民窟には、抜け穴があったじゃろう。恐らく生き残った住民どもは、抜け穴を使って、都市の外へ逃げるつもりだったんじゃろう。じゃが、あの騎士どもが、都市にいる赤帽子を殺し、死体を放置したことで、赤帽子が外に留まってしまい、逃げる機会を失ってしまったのじゃ」
確かに貧民街にある抜け穴なら、城門からも隔離されており、都市から少し離れた、人目のない平原に繋がっている。
「うむ、好機じゃ。外の赤帽子どもが、都市に侵入してきたタイミングを狙って、抜け穴から逃げ出すぞ!」
「そんなに上手くいくのか?」
魔力探知の範囲を元に戻し、赤帽子の様子を窺う。
赤帽子の動きは、かなり鈍いように感じた。
魔物は、魔力に魅かれる特性を持っているが、奴らは魔法が使えないため、地道に魔力の臭いを嗅ぎとって、獲物を探さなくてはならない。そのため、よほどの大きな魔力でもない限り、ある程度の距離まで近づかないと、魔力を察知することはできない。ましてや、小さな魔力の人間や、魔力のない人間は、かなりの至近距離でなければ、気付くことはできないはずだ。
「都市に向かっている奴らもいるが、外をうろついている奴らのほうが圧倒的に多いな。赤帽子の王に限っては、一向に動く気配がないな」
「さっきまで、ノートゥングで武装した騎士どもがおったからな。さすがに警戒しておるようじゃな……」
「どうする? 奴らが都市に侵入してくるまで、待つつもりか?」
「いや、そんな時間はない」
ミーネが唸りながら言った。
「教皇の犬どもに、ニーベルゲンの財宝を渡すわけにはいかん」
ミーネが、シュタインへ目配せした。
精悍で爽やかな少年が、黙って頷いた。
次の瞬間、シュタインが、俺の手から布の小袋を掠め取り、おもむろに中から竜骨を取り出すと、中央広場の中心に向けて、ポーンと投げた。
竜骨は、鮮やかな弧を描きながら、宙を舞い、地面に吸い込まれていった。
遠くで、コーンと弾ける音が聞こえた。
次の瞬間、静寂が、ざわめきへと一変した。
東西南北すべての城壁へ向かって、凄まじい勢いで赤帽子の群れが進撃してきた。
今まで、座して動かなかった赤帽子の王も、ゆっくりと動き始めた。
「お、おい、お前ら、何やってんだっ!」
ミーネは、ふんと鼻を鳴らした。
「囮なんぞ、竜骨にやらせればよい」