赤帽子の王
ハーデブルク司教座都市。
都市の中は、不気味なほどに静まり返っていた。
どこを見渡しても、人の姿がない。
「誰もいない、な……」
重苦しい空気が立ち込める。
「みんな、どこかに避難したのか、な……」
ルピナスが周囲を見渡していると、ミーネが苦々しく言った。
「これは……最悪な事態になっておるかもしれんな……」
四人の間に沈黙が落ちた。
「最悪な事態、か……」
魔力探知をした時から薄々感じてはいたが、いざ、その状況を目の当たりにすると、恐ろしいほど現実味が湧かない。
ハーデブルク司教座都市の人口は、約五千人といわれている。そのすべてが、まるで神隠しにあったかのように、忽然と姿を消してしまっている。
二週間前まで、当たり前のように日常を送っていた人々が、この数日の間に、一人残らず赤帽子よって喰われてしまったのか。
俄かに信じられない。
もし、これが事実であったとしても、その衝撃の強さから、簡単には、受け入れることができない。
あまりにも、おぞましすぎる。
「ハーデブルクには、かなりの数の騎士団や傭兵団、それに冒険者もいたはずだが、やはり竜化した赤帽子には歯が立たなかったのか……」
「うむ、ハーデブルク周辺の森には、数万匹の赤帽子が生息しておる。そやつらすべてが、竜化しておるとは考えにくいが、竜化した赤帽子に率いられ、大群で奇襲を仕掛けられたら、ひとたまりもなかろう」
何の前触れもなく、魔物が大群で押し寄せ、その中に、剣も魔法も通じない魔物が混じっていたら、間違いなく、現場はパニックに陥るだろう。そこを物量で圧し潰されたら、もはや成す術はない。
「ひどい……」
ルピナスが悲痛に顔を歪めた。
「ついに、恐れていた事態が起こったってことか……」
人間の生活域に《竜骨生物群集帯》が発生することが、どれほど恐ろしいことなのか。
頭では、充分に理解していたつもりだったが、目の前に、容赦のない現実を突きつけられると、絶望と無力感しか湧いてこない。
「恐らく、生き残っておるのは、魔力ない貧民ぐらいじゃろう。じゃが、赤帽子の習性を考えるに、すべての貧民が無事だとは言い難いな……」
赤帽子は、人間の血を好む。
人間を殺し、その血を自らの帽子に塗り込む習性があるため、人間を見つけると、率先して襲ってくるのだ。この凶暴性と残虐性が、ゴブリンとは大きく違う点である。
人間の血と魔力に魅かれる魔物。
それが赤帽子だ。
「すぐに、竜骨の回収に向かったほうがよさそうね。このままじゃハーデブルクの人たちが、みんな殺されちゃうわ!」
ルピナスの言葉に、ミーネが頷く。
「うむ、そうじゃな」
そして、神妙な表情を浮かべ、続けた。
「ハーデブルクの蹂躙は終わった。次の標的はヴィーネリントじゃ!」
俺たちが二年かけて回収したすべての竜骨が、ヴィーネリント小教区に保管されている。
もし、赤帽子によってヴィーネリントが蹂躙され、すべての竜骨が奪われたら、間違いなく世界は終わる。
世界は、魔物に支配される。
それだけは、何としても、防がなければならない。
「ルピナスの言う通り、早いとこ、竜骨を回収して、赤帽子の魔力源を断つしかないな」
生き残っている貧民たちを見捨てて行くのは忍びないが、早急に竜骨を回収しなければ世界が終わってしまう。俺たちは、たった四人しかない。できることは限られている。ここで選択をミスれば、取り返しのつかないことになる。
そう、取り返しのつかないことになる。
ふいに、この地獄を生み出した元凶に、怒りが込み上げた。
勇者は、取り返しのつかない過ちを犯した。
ハーデブルクの住民、五千人を見殺しにしたのだ。
欲望の赴くままに《竜骨生物群集帯》を生み出したことで、五千人の命が奪われた。
勇者が、五千人の人間を殺したのだ。
そう考えると、怒りで頭がおかしくなりそうになる。
俺は、静かに深呼吸をした。
勇者に怒りを滾らせても、奴は、ここにはいない。
奴を憎むことよりも、俺にはやるべきことがある。
目の前の仕事に、集中しなければならない。
俺が、必死で心を落ち着かせていると、足元でミーネが鳴いた。
「悪いが、すぐに魔力探知をしてくれんか?」
黒猫が、こちらを見上げる。
「あ、ああ、分かった。ハーデブルク全体でいいのか?」
「いや、その周辺までたのむ。あと、今後、その範囲を維持したまま、現場まで移動してくれんか。ワシは、さっきの魔力探知で、魔力をほとんど使い果たしてしもうた。これ以上、魔力を消費してしまうと、動けんくなってしまう」
まあ、動けなくなったら、動けなくなったで、ルピナスが喜んで抱っこするだろうが。
「別にいいが、索敵を、そこまで広範囲にする必要があるのか……」
と、自分で言って、すぐにハッとなった。
「ハーデブルクの外におった得体の知れん化け物のことじゃが、もしかすると、赤帽子の王かもしれん」
「赤帽子の王? そんなもんがいるのか?」
「赤帽子は、侏儒族じゃった頃から、厳しい階級社会を構築しておった」
ミーネが続ける。
「奴らは、人間の血を好み、人間を襲う種族でもある。じゃが、その身体能力は、同じ種族のゴブリンをとさほど変わらないため、人間に返り討ちにあうことが多かった。そこで奴らは、本能の赴くまま人間を襲うのではなく、組織化して人間を襲うようになったのじゃ」
確かに、赤帽子を単独で見かけることは滅多にない。遭遇すると、必ず集団で襲い掛かってくる。
「その組織を動かしているのが、赤帽子の王ってことか」
「そういうことじゃ。恐らく、ハーデブルクの住民で、とりわけ魔力の高い人間は、根こそぎ王に捕食されてしまったのじゃろう。あの雑多で強大な魔力は、そうとしか考えられん」
魔力の高い人間。
大司教や司教、そして貴族も捕食されてしまったということか。
「勇者を超える魔力に加えて、奴は竜属性を宿しておる。到底、ワシらの敵う相手ではない。よって、奴に遭遇することだけは、絶対に避けねばならん」
「剣も魔法も通用しない勇者を、相手にするようなものか……」
いや、それ以上の相手か。
もはや、インフレが進み過ぎて、想像が追いつかない。
「ルピナスのノートゥングであれば、対抗できるかもしれんが、奴は規格外の魔物じゃ。どんな〝異能〟を持っておるか分からん。戦うには、あまりにも危険すぎる」
「異能?」
赤帽子に異能なんてあるのか?
疑問に思っている俺を無視して、ミーネが続けた。
「早急に竜骨を回収し、赤帽子の王の魔力源を絶ち、奴から竜属性が消えた瞬間を狙って、ワシら全員で、全魔力を駆使して、集中攻撃をかける。奴を斃すには、これしか方法はない」
「うげー、めちゃくちゃ大変そうだな」
と、言うか、なぜ俺たちが、赤帽子の王を討伐しなければならないのか。件の元凶である勇者が討伐するのが筋だろう。もういい加減、奴の尻拭いは勘弁してくれ。
「よしっ、魔力探知、任せたぞっ!」
「へいへい、分かりやした」
俺は、小さく詠唱して、魔力探知を発動させた。