勇者を超える化け物。
燃えるような赤い目玉が、炯々と光っている。
醜悪な老人のような表情に、下顎から突き出た鋭い牙。黒く長い髪は、やたらと湿っており、肩や背中に張り付いている。手には斧や鉈が握られており、足は錆の浮いた鉄製の大きな長靴を履いている。
そして、被っている三角頭巾は、赤黒く染まり、てらてらと滑りを帯びた光沢に覆われている。
赤帽子。
けたたましい金属音と奇声を上げ、数十匹の赤帽子が、こちらに突進して来るのが見えた。
「おいおい、どういうことだ。俺たちって、魔力を抑制しているはずだよな?」
俺とルピナスは魔法式服を着用し、ミーネはネコに変化し、シュタインは髭を剃って、魔力の抑制を行っている。
今の俺たちは、魔力のない、ただの人間と、ただのエルフ。そして、ただの野良ネコと、ただの乞食の少年だ。
「うむ、やはり、竜骨鋼に反応したようじゃな……」
「ふざけんなっ、結局、魔物を引き寄せてんじゃねえかっ!」
「言ったであろう、まだ試作段階じゃと。魔素が纏っておる魔力を、自在に制御することができた時、初めて竜骨鋼は完成するんじゃ!」
「なにを偉そうに言ってんだ! 魔物が寄って来きたら、ただの竜骨と変わらんだろうがぁっ!」
「バカタレ! ただの竜骨じゃったら、数万匹の魔物は引き寄せるわい! 数十匹に抑えておるだけでも凄まじい進歩であると、なぜ分からん!」
「分かるかっ!」
瞬間、俺の頬をかすめ、一条の光が走り抜けていった。
白銀に輝く矢が、一匹の赤帽子の額を穿った。
赤帽子は、呻き声を漏らしながら、地面に崩れ落ちた。
矢継ぎ早に放たれる白銀の矢。
空気を切り裂きながら、赤帽子の額へと次々に吸い込まれていく。
額を撃ち抜かれた赤帽子たちが、あっという間に地面にひれ伏していく。
「すごい、一撃でしとめられるわっ!」
ルピナスが白銀の矢を引きながら、嬉々として叫んだ。
確かに、竜化した魔物であれば、矢を食らって倒れても、すぐに起き上がり、体液を撒き散らしながら襲い掛かってくる。
だが、倒れている赤帽子たちが、起き上がってくる気配はない。
頭蓋骨から垂れ流される液体が、どろどろと地面に染みこんでいく。
そんな中、高らかに屹立した矢だけが、鮮やかな光を放っていた。
「これは、竜属性を完全に相殺してるってことか」
その時、矢の豪雨から逃れた一匹が、俺に襲い掛かってきた。
俺は、瞬時に魔力を高ぶらせて、渾身の力で竜骨鋼のハンマーを振り抜いた。
鈍い衝撃が全身に伝わると同時に、赤帽子は、くるくると回転しながら、天高く舞い上がっていった。
浮遊する赤帽子に向け、すかさず白銀の矢が放たれる。
矢は天を切り裂くように、駆け上っていき、赤帽子のこめかみを、ピンポイントで貫いた。
赤帽子は、空中で体液を撒き散らしながら、力なく落下し、地面に叩きつけられた。
「異世界転移して、初めてチートって感じだな」
この二年間、《竜骨生物群集帯》において幾度となく繰り広げられた魔物とのバトルは、常に生死をかけたギリギリの泥仕合ばかりだった。これほど余裕のあるバトルなどしたことがない。
「ラクショーだな、この調子でバンバンしとめていくかっ!」
俺がハンマーを振り上げた、瞬間、ミーネが苦々しい声を上げた。
「おい、あまり調子に乗らないほうがよさそうじゃぞ……」
緊張を含んだミーネの声。
「ん、なんだ? 念願の異世界チート無双に水を差す気か?」
足元の黒猫に視線を落とすと、彼女は一点を睨んだまま、全身の毛を逆立てていた。
「魔力探知してみろ。すぐに分かる」
「はあ? 今さら赤帽子の魔力なんて探知してどうすんだ?」
「いいからやれっ!」
相変わらず偉そうなガキだ。いやネコか。
俺は、仕方なく、言われるがまま、魔力探知を行った。
「うっ!」
瞬間、全身が泡立つのが分かった。
本能が、怯えていた。
「お、おい、なんだ、この魔力は……」
強大な魔力を宿す〝何か〟が、こちらへと近づいて来るのが分かった。
「分からん。今のワシは、魔力を極限まで抑えておるから、魔力探知も、超至近距離で、しかも一瞬しか使うことができん。じゃが、その一瞬であっても、はっきりと、このおぞましい魔力は感じることができた……」
「これは魔物なのか……?」
「雑多な魔力が複雑に入り混じり合っておったからな。人間なのか魔物なのかさえも分からん。しかし、これほどまでに、おぞましく醜悪な魔力は初めてじゃ……」
異世界転移して二年。《竜骨生物群集帯》で数多の魔物と対峙してきた。伝説級の魔物とも戦ったことはある。だが、それら歴戦の魔物よりも、今、こちらへ近づいてきている得体の知れない〝何か〟の方が、圧倒的に魔力が高い。
何なんだコイツは……。
俺は、ハッとあることに気付いた。
「おい、もしかしてコイツの魔力って、勇者より高くないか?」
「ふふ、おぬしの超低性能の魔力探知でも分かったか。その通りじゃ。こやつの魔力は、勇者を遥かに上回っておる」
「マジかよ……」
「魔力探知だけでは、明確な魔力量は分からんが、少なくとも、勇者の魔力を超える〝何か〟が、こちらに近づいてきておるのは間違いない」
所詮、魔力探知で分かる魔力は、その上澄みだけだ。つまり上澄みの魔力だけで、勇者の魔力を遥かに上回っているということだ。底に沈殿している魔力のことを考えると怖気がする。
とにかく、勇者を超える化け物が、こちらへと近づいて来ていると言うことだ。
一体、何かどうなっているんだ。
ミーネが、ピンっと耳を立てた。
「うむ、撤退じゃ!」
「おう、賢明な判断だな!」
俺は、ルピナスとシュタインに大声で呼びかけた。
不思議そうに首を傾げる二人に、俺は早口で理由を告げると、ミーネが大声で鳴いた。
「早く、おぬしたちのハンマーと弓を荷台に積み込め、シュタインは、すぐに、それらを魔封じの布で覆え。あと、ここじゃと、目立ちすぎる、一旦、どこかに身を隠すぞ、急げっ!」
「とりあえず、ハーデブルクに行くか。あそこだったら建物も入り組んでいるし、隠れる場所ならいくらでもある」
ついでに、ヴィーネリントの司教との約束もある。
「うむ、そうじゃな、荷物をまとめたら、急ぎハーデブルクに向かうぞっ!」
俺たちは、ミーネからの支持をテキパキこなしていき、ハーデブルクに向かって全力で走った。