勇者さえいなければ。
短い休憩を終え、祠から出ると、急な眩しさに視界が真っ白になった。
目を細め、手のひらをひさしにしながら、ゆっくりと作業場へと戻る。
視界が鮮明になると、雲一つない群青色の空が広がっていた。太陽から降り注ぐ光に、大地がキラキラと輝いている。外輪山を伝って流れてくる風が、草原を通り過ぎるたびに、草花がせわしなく揺れている。
「ずいぶんと、片付いたな」
三ヶ月前まで、大地に長く伸びていた白骨死体が、ほとんどその姿を消している。
遠くに見えるシュタインが、黙々と小さな骨の塊を割っている。
残っている骨は、尻尾の先端部分だけだ。
だが、その大半も、シュタインによって、ある程度の大きさまで割られている。
作業場に戻ると、休憩前に砕いていた骨は、きれいに片付いていた。
破片の一つもない。
ミーネが、さっさと荷台に運んだのだろう。
「あとは、今、シュタインが割ってる骨を砕いたら、終わりか」
骨を砕くだけの単調な仕事だが、終わりが近づいて来ると、さすがに達成感が込み上げてくる。
この現場でも、いろいろなトラブルがあった。
その中でも、最大のトラブルは、作業中に、ゴブリンと遭遇したことだ。
竜骨回収の基本は、魔物の目を盗んで行うことだ。
竜骨は、魔物にとって、依存性の強い魔力供給源であり、魔力中毒による強烈な禁断症状を和らげる役割も果たしている。
まさに薬物である。
そんな薬物を、患者の目の前で、勝手に回収すれば、言うまでもなく、激しい争いが起こる。そのため、竜骨の回収は、魔物のいない隙を狙って行うのがセオリーとなっている。
最も安全で、最もスムーズに作業を進めるためには、この方法しかない。
よって、今回の現場は、作業を行う時間帯を、危険なオスゴブリンが狩りに出ている時間に絞った。
結果として、見事に鉢合わせてしまったのだが。
そもそも、魔物の行動パターンなど、事前にどれほど調べても、よく分からないことが多い。
魔物との遭遇に関していえば、それほど珍しいことでもないのだが、今回は、竜骨の量が、過去一番に多かったため、その後の作業に、いろいろと支障をきたしてしまった。
俺たちと鉢合わせたことで、ゴブリンどもの警戒が一気に強まり、狩りに出る際も、交代で竜骨を見張るようになったのだ。
結局、作業の一時中断を余儀なくされた。
その間、俺たちは、隠れてゴブリンどもの監視を行い、奴らの行動パターンと、生活パターンを徹底的に分析していき、作業可能な時間帯を細かく割り出していった。
そして、奴らの監視を続けること一ヶ月。ついに、ゴブリンの警備が、極端に薄くなる時間帯を割り出した。
それは、午前2時から午前4時までの二時間。そして午後12時から午後13時までの一時間だった。
この時間帯にかけて、警備のゴブリンの数が急激に減ったのである。深夜の警備が薄くなるのは分かるが、真昼の警備が一瞬だけ薄くなる理由はよく分からない。昼休み休憩でも取っているのだろうか。
とにかく、空白の三時間が発見されたのだ。
そして、俺たちは、その三時間にすべてをかけた。
竜属性を宿し、竜耐性が付与された最凶最悪の竜化ゴブリンであっても、少数であれば、大した障害にはならない。警備のゴブリンは、ルピナスに速攻で排除してもらい、見つかると厄介な死体は、荷台の底に放り捨て、その上から砕いた竜骨を流し込んでいけばいい。これで死体隠蔽は完璧だ。
ただ、この空白の三時間で、突貫的な回収を行うと、いくら知能の低いゴブリンでも、さすがに気付く可能性がある。そこで、奴らが気付かないギリギリのレベルを維持しながら、こっそりと回収を進めていくことにした。
すると、作業開始してから、一週間を過ぎた辺りで、竜骨を警備をするゴブリンが徐々に減っていき、やがて、当たり前のように、みんなで狩りに出かけるようになった。
俺たちが、竜骨を奪いに来ないことに安心したのか。それとも、俺たちの存在自体を忘れてしまったのか。そこら辺は定かになっていない。
ただ、ゴブリンの知能が、猿並みで助かった。
その後は、ゴブリンと一度も遭遇することもなく、順調に作業は進んで行き、晴れて、竜骨回収の最終日を迎えることができた。
これぞ、必殺、コソ泥戦法。
竜骨回収業者となって二年。ありとあらゆるピンチとトラブルを経験したがゆえに、編み出すことのできた戦法だ。知能の低い魔物には、絶大な効果をもたらすことができる必殺技だ。
「さて、さっさと終わらせて、ずらかるか」
俺は、一心不乱に竜骨を砕き続けた。
竜骨を砕くたびに、青白い粘液が飛び散った。
粘液は空中で霧散し、きらきらと光の粒子へと変わった。
煌めきが宙を舞う。
竜の魔素だ。
俺は、魔素を吸い込まないように、覆っている布をしっかりと縛りなおした。竜の魔素が体内に入れば、魔力中毒になってしまう。
魔素には濃度があり、濃ければ濃いほど魔力量が多いとされている。しかし、生物が命を失えば、魔素から魔力の生成が行われなくなり、その濃度は徐々に薄れていき、やがて枯れ果て、消え去ってしまう。
魔物が捕らえた獲物をすぐに解体して、魔素を啜るのは、少しでも濃い魔素を体内に取り込み、自身の魔力を増加させるためだ。また魔素が濃ければ濃いほど、より甘美な味わいとなるようだ。
魔素は、持ち主が死ぬと、徐々に薄れ、やがて枯れ果て、消え去っていく。
これが、自然の摂理である。
だが、竜は違う。
竜は、命を失っても、魔素が消えることはなく、恒久的に魔力を生成し続ける。そのため、魔素を内包する竜骨からは、常に膨大な魔力が放出され続けるのである。その結果、竜骨を齧るだけで、一時的だが、膨大な魔力を取り込むことができ、竜属性が宿り、竜耐性が付与されるのである。
魔物にとって竜骨は、竜へと変貌するための禁断の果実なのだ。
そんな竜骨が、国中に放置され続けている。
そして、それは、今も増え続けている。
ある一人の男によって。
あの男をどうにかしない限り、竜骨は増え続けていくだろう。
そうなると、俺たちの仕事は永遠に終わらない。
この地獄の労働が、永遠に続いていくのだ。
そう考えるだけで、イライラしてくる。
シュタインから、最後の竜骨を受け取ると、俺は、思いっきりハンマーを叩きつけた。
骨から解放された青白い光の粒子が、煌めきながら、群青の空へと吸い込まれ、消滅していった。
もういっそ、あの男を殺すか。
俺は、何度も何度もハンマーを叩きつけ、竜骨を砕いていく。込み上げてくる怒りが、ハンマーを握る手に伝わり、爆発的な破壊力を産む。
無理だな。
この世界で、あの男を殺すことができるのは、たぶん、魔王だけだろう。
自分の無力さに、激しい怒りが込み上げる。腹の底が煮えくり返り、炎が噴き出し、荒々しい業火へと変わっていく。
怒りの業火を、竜骨に叩きつける。
あの男さえいなければ。
勇者。
勇者さえいなければ。
この地獄の労働から、解放されるのだ。
「コラ、止めんかっ!」
はっ、と我に返ると、目の前に、ミーネが呆れ顔で立っていた。
「なんじゃ、なんじゃ、目を血走らせおって、怖い奴じゃのう。もう、充分に砕けておるぞ」
ふと、足元に視線を落とすと、細かく砕けた竜骨の破片が、地面に深くめり込んでいた。
身に付けている鎖帷子には、飛び散った魔素がべったりと付着している。
ねばねばと垂れていた魔素は、徐々に空気へと溶け込んでいき、光の放ちながら消えていった。
湿っていた鎖帷子も、からりと乾き、爽やかな風が通り抜けていった。
「おぬし、あまりの寝不足で、おかしくなったのではないか?」
ミーネが怪訝そうに睨む。
「ああ、そうかもな」
「もうよい、後はワシがする。おぬしは出発まで寝ておれ」
「悪いが、そうさせてもらうわ」
俺はハンマーを地面に投げ、その場でごろりと横になった。
異世界に転移しても、万年睡眠不足は変わらない。
太陽が真上に差し掛かる頃、俺の仕事は終了した。