誰かに必要とされると、人はすごく強くなりますよ。
大陸全土が、深い森で覆われている世界では、移動手段が限られている。
一つは、街道を利用することだ。
街道は、別名〝国王の道〟と呼ばれており、軍事上、経済上の目的で、国王の命令によって引かれた道だ。そのため、王城や王都、大都市、そして砦などと直接結ばれており、道幅も広いため、馬車での往来も可能となっている。
しかしながら、街道は、森の中を走っているため、魔物との遭遇が多く、非常に危険な道とされている。そのため、街道を通る際は、騎士や魔導士を従軍させるか、傭兵や冒険者を雇うのが常識となっている。そのため、街道を利用する者は、王族や貴族、高位の聖職者、そして、大商人といった一部の特権階級に限られている。
よって、この国の人々の大半は、もう一つの移動手段に頼っている。
それが、聖ライン河を利用することだ。
聖ライン河は、ブルグント王国の北から南を横断するように流れ、緩やかな蛇行を繰り返しているため、その流域に多くの人が集まり、街や村が作られていった。また聖ライン河には、魔力浄化作用があるため、魔物の脅威に怯えることなく、街や村は発展を遂げていき、やがて都市へと変わっていった。
そして、聖ライン河で発展を遂げた多くの都市は、地方の交易の拠点となり、同時に交通の要所となっていった。
この世界において、聖ライン河は、最も安全な道なのである。
場所によっては、街道を利用した方が早い場合もあるが、魔物に襲われ、命を失う危険を天秤に掛ければ、遠回りであっても、聖ライン河のルートを選択したほうが賢いと言える。
そのため、聖ライン河には、多くの船が浮かんでおり、上流から下流、下流から上流とせわしなく行き交っている。
そんな往来していく船を、俺は、ぼんやりと眺めていた。
甲板のない小さな帆船には、多くの人々が乗っている。
一番に目に付くのは、やはり商人たちである。都市で仕入れた商品を、村へ売りに行く行商人や、都市間で、商品を運んで商売する交易商人など、様々な商人が船に乗っている。ちなみ行商人よりも交易商人のほうが、遥かに良い身なりをしている。
次に目に付くのは冒険者だ。聖ライン河沿いには、都市がいくつも点在しており、数多くの冒険者ギルドがある。よって、クエスト攻略で各地に向かうためには、必然的に船で出発することになる。
その他にも、司教区や小教区へ向かう聖職者の一団や、聖地へ向かう巡礼者、各地を放浪して、踊りや占いを生業とするジプシーや、音楽や詩を伝える楽師や吟遊詩人なんかもいる。
「この人の多さ、ハーデブルクに《竜骨生物群集帯》が発生しているとは思えないな」
せわしなく行き交う船を眺めていると、隣にいたケイが苦笑いを浮かべた。
「《竜骨生物群集帯》の存在を知っているのは、一部の王族や貴族、あと竜骨の回収に駆り出されたことのある傭兵や冒険者くらいですからね」
ケイは続ける。
「実際のところ、私自身も《竜骨生物群集帯》に足を踏み入れたことがありませんので、その脅威は理解できていても、正直、うまくイメージすることができません」
基本、竜は、険しい山脈の頂上や、大森林の奥深く、毒ガスに満ちた湖の中、そしてダンジョンの最深部など、おおよそ人が立ち入らないであろう場所を棲み処としているため、一般の人々が直接目にすることは、ほとんどないだろう。
多くの竜がそういった僻地に棲息しているため、勇者によって討伐され、《竜骨生物群集帯》が発生したとしても、人間に直接的な被害として繋がらないのは当然のことである。
「私たちは、師匠やエイミさんたちのおかげで、《竜骨生物群集帯》の脅威に晒されることなく、生活することができています。本当にありがとうございます」
ケイが深々と頭を下げた。
「あっ、いや、そうなのか、な?」
俺は、異世界転移してから、ただ、金を稼ぐためだけに、がむしゃらに働いてきた。正直、この世界のことなど、微塵も考えたことはない。とにかく、さっさと金を稼いで、さっさとリタイアして、さっさと異世界スローライフを送ることだけを考えてきた。
それだけの二年間だった。
だが、結果として、この二年間の働きは、この世界の平和に繋がっていたということか。
確かに、これまで、一度として、《竜骨生物群集帯》が、人間の脅威となったことはない。
俺、ルピナス、ミーネ、シュタインが、それぞれの目的のために働いてきたことが、結果として、この世界の人々を救っていたということか。
そう想うと、柄にもなく、感慨深い気持ちになる。
もしかすると、仕事とは、そういうものなのかもしれない。
一人ひとりは、目先の報酬のために必死で働いていても、それは巡り巡って、多くの人々を救っている。
真っ当な仕事であれば、必ず、どこかで、誰かが、救われているのかもしれない。
そう考えると、このくそったれな仕事も、少しはやる気が出てくる。
まあ、ほんの少しだが。
「この世界は、エイミさんたちを必要としています」
ケイが強い眼差しを向けた。
「必要とされている、か……」
前世が社畜で、会社の歯車の一部だった頃は、必要とされている感覚は微塵もなかった。当時の上司の口癖は、お前の替わりなんぞいくらでもいる。会社の方針に従えないなら、さっさと辞めろ、だった。
俺の替わりは、いくらでもいる。
歯車に使うネジは、そこら中にストックがあったのだ。
「んー、やっぱ、ピンとこないなぁ……」
ケイが柔和な笑みを浮かべた。
「でも、誰かに必要とされると、人はすごく強くなりますよ」
「強くなる?」
「はい、だって私は、師匠に必要とされたから、すごく強くなることができました」