眠り竜
「あの森に竜が生息していた? そんな馬鹿な?」
「実のところ、その竜の姿を見た者は、ほとんどいません。もちろん、私も見たことはありません。なぜなら、その竜は、魔力探知に引っかからないからです」
「魔力探知に引っかからない?」
俺は訝しんだ。
「それって魔力がない、ってことか?」
「いえ、魔力はあります」
確かに、竜に魔力がなければ、《竜骨生物群集帯》は生まれない。
「ただ、ちょっと特殊な能力を宿していまして……」
「特殊な能力?」
俺が首を傾げると、ケイが話を続けた。
「どうやら、その竜、眠っている間は、魔力が完全に消失するみたいで、探知することができなくなってしまうのです」
「マジかよ……」
以前、ミーネから、魔力操作は、高等技術であり、どれほど高位の魔導士であっても、自在に操ることは困難だと聞いたことがある。ちなみに、魔力操作に長けている魔族であっても、自らの魔力を完全に消失させることは難しいようだ。これに関しては、邪眼のバロールで、すでに立証されている。
魔力を完全に消失させる竜。
そんな竜が本当にいるのか。
「でも、その竜が起きている間は、魔力を探知することができるんだろ?」
「はい。ですが、それが難しいのです」
「難しい? どういうことだ?」
「その竜は、一日の大半を眠りに費やしているからです」
眠っている。
俺は、嫌な既視感を覚えた。
「私たちの間では《眠り竜》と呼ばれています」
《眠り竜》。
この胸の奥底から、沸々と湧き上がるざわめきは何だ。
「《眠り竜》の存在が明らかになったのは、今から二年前です。それまでは、存在すら知られていませんでした。どうやら、赤帽子の討伐クエストに参加していた冒険者が、彼らを追って、森の奥で迷ってしまい、偶然、《眠り竜》を見つけたそうです」
ケイが続ける。
「そこはとても不思議な場所だったらしく、深い森の中に、ぽっかりと草原が広がり、その中心に大きな湖があったそうです。《眠り竜》は、その湖畔で眠っていたそうです」
森の中。
湖。
竜。
嫌な単語が、次々と耳朶を打つ。
ざわつく感情の中、ケイは続けた。
「その後、私たちに、《眠り竜》の探索命令が下され、冒険者の証言に基づいて、《眠り竜》の探索を行いました。ですが、広大な森の中で、なおかつ魔力を探知することのできない《眠り竜》を探すのは困難を極めました。そして、結局、私たちは《眠り竜》を見つけ出すことができませんでした」
胸の奥のざわめきが、次第に激しくなっていく。
「しかし、都市近郊に竜の棲み処があるのは、由々しき問題であるため、私たちは根気強く魔力探知を続けました。その結果、ほんの僅かな時間ですが、魔力を探知することに成功しました。実際、確認したわけではありませんが、魔力を感じ取ることができた時間を、私たちは、起きている時間だと結論づけました。ただ、魔力を探知することはできましたが、あまりにその時間が短かったため、居場所を特定するまでには至りませんでした」
あの竜は、いつも眠っていた。
「竜の存在を確認した私たちは、定期的に竜の探索に乗り出しましたが、それでも、見つけ出すことは叶いませんでした。さらに、今年に入ってから、他の任務が急増したことで、探索に割く時間がなくなり、任務の合間を縫って、魔力探知することくらいしかできませんでした。結果、最悪の事態となってしまいました……」
暗い表情で俯くケイ。
俺は、彼女の隣で、燃え上がる怒りの炎に震えていた。
殺したのか?
殺したのか?
本当に殺したのかっ!
あの竜をっ!
「その竜って、黄緑色じゃなかったか?」
大きく目を見開き、ケイがこちらを見ている。
「そうです。冒険者の証言では、森の葉っぱのような色をしていたと聞いています。もしかして、エイミさん、その竜のこと、ご存知なんですか?」
「ああ、知っている。何度も夢で見た」
「夢?」
ケイが、何かに気付く。
「それって、エイミさんの夢魔法のことですか? 師匠から聞いています。エイミさんは、モノに宿った残留思念を夢で視ることのできるんですよね?」
これが魔法なのかどうなのかは、よく分からないが、今はそんなことどうでもいい。
「そこにグリフォンはいなかったか? ほら、群れからはぐれたグリフォンだっ!」
「グリフォン?」
ケイは小首を傾げた。
「当時、《眠り竜》を発見した冒険者からは、グリフォンのことは聞いていません。ただ、ここ一ヶ月の間で、ハーデブルク上空を飛び回るグリフォンの姿は、何度も目撃されています」
間違いない。
今朝の夢で、グリフォンの視点から、確かにハーデブルクを見下ろした。
俺は、込み上げる怒りを抑えるべく、ゆっくりと息を吸い込み、静かに吐き出した。
「勇者が、殺したんだな……」
自分でも驚くほどの底冷えした声に、室内が静寂に包まれた。
俺は歯噛みしながら、呻くように吐き捨てた。
「やっぱりアイツは、生かしておくべきじゃないな」