俺は、この世界に来て、お前以外で、エロい妄想をしたことはない!
ケイの本名は、市丸恵。
前の世界では、普通のOLをしていたそうだ。
異世界転移したきっかけは、俺と同じく過労死が原因だったらしい。
ケイの家庭は、早くに母親が離婚しており、加えて兄弟も多かったため、決して裕福ではなかった。彼女は、少しでも家計を支えるため、中学を卒業後、就職するつもりでいたが、教師と母からの強い勧めもあり、高校から大学までの学費を奨学金に頼ることとなった。その後、無事、大学卒業を果たし、見事、正社員として就職も決まり、晴れて社会人として自立することになったが、そこには、莫大に膨らんだ奨学金の返済が待ち受けていた。
正社員とは言っても、超就職氷河期の正社員である。会社からは、徹底的に足元を見られているため、給料は雀の涙ほどしかなく、生活をギリギリまで切り詰めない限り、返済分の金額を捻出することはできなかった。
しかもそこに、リーマンショックが襲い掛かり、彼女は、あっけなく、正社員から契約社員へと落とされてしまう。それにより、給料は激減、さらにボーナスもなくなり、奨学金の返済が一気に困難となった。
莫大な奨学金返済のため、ケイは、昼間はOLとして働き、夜間は風俗で働くこととなった。彼女は、不眠不休で働き続け、必死で奨学金の返済に勤しんだ。だが、そんなハードな日々を送り続けた結果、精神と肉体が限界を迎え、あえなく死んでしまったそうだ。
とんでもなく悲惨な人生である。
そもそも奨学金なんてものは、聞こえは良いが、単なる借金である。しかも、社会のことを何もわかっていない未成年に、莫大な金額を貸し付けるのだから、とんでもなくタチが悪い。
だいたい、超就職氷河期からのリーマンショックである。まともな仕事にありつくことなど不可能だ。そんな状況下で、まともに奨学金の返済などできるわけがない。その辺りを、教師や親が、事前に把握して、返済も視野に入れて、慎重に借りるべきなのだろうが、教師は、進学率を上げることしか考えていないし、親も金銭面おいて面倒臭いことを考えたくなかったのだろう。
そもそも、高校はともかく、大学は、バイトでコツコツ学費を貯めてから入学しても遅くないように思う。
だが、世間はそれを許さない。
特に、俺たちの親である団塊の世代は、やたらとプライドが高く、とにかく世間体ばかりを気にする。だからフリーターに対して、やたらと厳しく、やたらと見下す。こちらの人生プランなど聞く耳を持たず、怠け者だと一蹴する。
しかも、就職氷河期に対して、全く理解していない。
貴方がたの時代とは、まったく違うのですよ、と言っても、全く理解できない。
貴方がたは、単に、運が良かっただけなのですよ、と言っても、全く理解できない。
否、理解しようとしない。
そもそも聞く耳を持たない。
仕事に就けないのは、努力が足りないから。
仮に、必死に努力して、どうにか仕事に就いたとしても、そこが名も知れぬ小さな会社であれば、我が子であっても、馬鹿にして見下す。
これが、俺たちの親、団塊の世代のテンプレだ。
すべては自己責任。
これが奴らの言い分だ。
果たして、ケイの教師や母親は、自分たちが推し進めた選択によって、彼女の命が失われてしまったことに、気付いているのだろうか。
まあ、気付いていないだろうな。
所詮は、他人事だからな。
その後、ケイは、異世界転移を果たし、魔力の高さを認められ、ブルグント魔導団に入団した。そして、当時団長だったミーネの元で、魔法の修行に励んだらしい。
今となっては、国内屈指の魔導士部隊、ブルグント魔導団の団長にまで成り上がっている。
もはや、前世でのリベンジは完全に果たしている。
ケイにしろ、ハヤトにしろ、何だかんだ異世界で出世している。
別に、異世界で成り上がりたいとは思わないが、異世界で何かしらの結果を出している二人を見ると、どうしても眩しく見えてしまう。
二人とも、自信に満ち溢れている。
それが、どうにも羨ましく思えてしまう。
ハヤトは騎士としての成功体験が自信へと繋がり、ケイは魔導士としての成功体験が自信へと繋がっている。
人生において、成功体験は、揺るぎない自信へと繋がる。
が、残念ながら、俺には、成功体験がない。
だから、未だに自信がない。
俺は、異世界転移しても、中途半端なままだ。
だが、そこに、自己嫌悪などはない。
そもそも、俺の直近の目標は、異世界スローライフだ。
中途半端なままでも、達成できる目標だ。
ただ、この数日間で、少しだけ前向きなれたような気がする。
なぜなら、今の俺は、心のどこかで、何かに挑戦してみたい気持ちがあるからだ。
何かに一生懸命に打ち込んでみて、どんな結果が出るのか、この目で見てみたい。
もしそこで、成功体験を得ることができたなら、どんな自信が芽生えるのか感じてみたい。
ガラにもない前向きな自分に、思わず苦笑してしまった。
「なに、ニヤニヤ、してんのよ」
ルピナスが、じとっとした目でこちらを見た。
「いや、ちょっと、考え事していただけだ」
「へえ、美人で可愛い魔導士さんが、目の前にいっぱいいるから、エッチなことでも考えてたんじゃないの?」
ルピナスの冷たい視線が突き刺さる。
なんだ、おい、もしかして、とんでもない誤解が生まれていないか。
確かに、目の前にいるケイは、柔和な顔立ちをしているが、クールビューティーな雰囲気も漂わせている美人だ。また彼女の背後に立っている魔導士たちも、モデル系の美女から、アイドル系の美少女まで、抜け目なくいる。さすがは異世界である。
普通のボーイであれば、これほどの美女や美少女たちが目の前にいたら、即座に欲情するに違いない。
だが、俺は違う。
俺の欲情スイッチは、そう簡単にONにはならない。
ましてや、初対面の人物を、エロい目で見るなどありえない。
もし仮に、ケイで欲情スイッチをONにするならば、彼女の表情、喋り方、仕草、肉づき、そして、細かい動きなどを徹底的に観察し、脳内で完全なるケイを作り出してから、日々の日課である入眠前の妄想で、彼女とのエロい行為へと移ることができる。
ここでようやく欲情スイッチがONとなるのだ。
俺は苛立ちを覚えた。
そこら辺にいる発情した猿どもと一緒にしてもらっては困る。
俺は、本気のエロい妄想しかしない。
「心外だな……」
「は?」
ルピナスが眉根にシワを寄せた。
「ルピナス、お前は、大きな勘違いをしている!」
俺は、鋭い眼差しで、ルピナスを睨んだ。
「なに? どういうこと?」
ルピナスが、訝しげに、睨み返した。
「俺は、この世界に来て、お前以外で、エロい妄想をしたことはない!」
室内がしんと静まり返った。
ルピナスの顔が、一瞬にして赤く染まった。
「は、えっ、いや、は、えええええええっ!」
ルピナスの悲鳴がこだました。
ハヤトが、ひゅーうと口笛を鳴らした。
「な、仲がよろしいんですね……」
なぜか、ケイの顔も赤くなっている。一方、背後の魔導士たちは、どこか冷たい眼差しをこちらに向けている。
まずい、明らかに変な空気になっている。
やはり、俺の発言は、気持ち悪すぎたか。
そんなことは分かっている。
だが、男には、譲れない信念というものがある。
エロい妄想が、俺を救ってきたのは事実だ。エロい妄想がなければ、俺は、とっくの昔に、気が狂って死んでいる。
だから、これだけは否定したくない。
これこそが、俺の信念なのだ。
だが、この空気は何とかしなければならない。
横を向くと、ルピナスが顔を紅潮させたまま、うつむいている。
まさか、ここまで動揺させてしまうとは、想定外だった。
困ったぞ、こっから、どうしたらいいんだ。
俺は、チラッと、ハヤトへ視線を向けた。
ハヤトが肩を竦めて、嘆息した。
「よっおーし、それでは、本題に戻るとするかっ!」
ハヤトが大声で言うと、一瞬にして、場の空気が戻った。
おおっ、さすがだ。できる騎士は違う。
「ケイさんは、エイミとルピナスさんに用があって、こんなへんぴな村まで、はるばるやって来たんだよな?」
「あっ、は、はい」
急に本題へと戻り、慌てながらも、背筋を伸ばすケイ。
「で、用って、いったい何だい?」
ハヤトが、ニカッと白い歯を見せて笑った。
「実は……」
ケイの表情が、徐々に硬くなっていった。
「ある場所で、《竜骨生物群集帯》が発見されました」