断じて、獣などではない。
これは、初めての感情だった。
いつもなら、ルピナスがいなくても、気にはならない。
どうせ、どっかの森で、草花や小鳥と戯れているのだろう、と、勝手に想像して終わりだ。
だが、今の俺は、明らかに違っていた。
ルピナスがいないことに、不安を感じている。
彼女のことが、気になって仕方がない。
彼女のことが、心配で仕方ない。
どっかの森で、草花や小鳥と戯れている最中に、魔物に襲われてはいないだろうか。
まあ、大抵の魔物は、彼女に瞬殺されるだろうが、それでも心配で仕方がない。
途方もない不安に圧し潰されそうだ。
もしやこれが、恋愛における束縛というものなのか。
恋愛バラエティ番組などで、恋人を束縛するか否かで、議論している風景を見たことがある。大抵の場合、過剰な束縛を行っている者を、周囲がドン引きして、責めるような流れだ。俺自身も、過剰な束縛を行う者に対して、軽蔑の念を抱きながら見ていた。こんな奴らが、いろいろとこじらせて、ストーカーになるのだろうと、勝手に想像していた。
だが、本気の恋に目覚めてしまうと、束縛は、否応なしに絡みついてくるのだと知った。
信じられない。
まさか、この俺が、ここまで誰かに執着することになるとは。
他人に一切の興味を抱いたことのない、この俺が、だ。
これでは、恋愛バラエティ番組に出演していた脳味噌お花畑のバカップルどもと、何ら変わらないではないか。
くっ、恋の病は、人間の価値観を根底から変えてしまうようだ。
長年、築き上げてきた、俺という人格が、脆くも崩れ去っていくのが分かった。
よし、まずは、落ち着こう。
そうだ、飯を食おう。
俺は、テーブルに置かれているライ麦のパンをかじり、ワインを含んだ。
カッチカチ、パッサパサのパンが、ワインで、ゆっくりと、ふやけていく。
ふやけたパンをワインと一緒に飲み込む。
「ふう……」
俺は、齧りかけパンと、飲みかけのワインを、静かに、テーブルの上に置いた。
まったくもって、食欲が沸かない。
食べること以外に、大した娯楽のないこの世界で、食欲を失うなど、今までなら絶対にありえないことだった。
よく恋愛ドラマでなどで、衝撃的な恋に落ちると、食事が、まったく喉を通らなくなる、みたいなシーンがある。正直、病気やストレス以外で、食欲がなくなることがあるのだろうか、と疑問に思いながら見ていた。これはドラマの過剰な演出だろうと、勝手に思い込んでいた。
だが、それは誤りだった。
本気の恋に落ちてしまった時、人間は三大欲求の一つを失うのだ。
もはや、この現状を受け入れるしかなかった。
檻の中に閉じ込められた獣のように、うろうろと部屋の中を歩き回る。
胸の奥が、ざわざわして、どうにもこうにもいかない。
くそっ、落ち着かない。どうすればいいんだ。
ただ会いたい。
とにかく会いたい。
会って、強く抱きしめたい。
そんなことできないけど。
それでも、ルピナスに会いたい。
はっ、と閃く。
「魔力探知すれば、一瞬でどこにいるのか分かるじゃないかっ!」
俺の魔力を駆使すれば、ヴェスト村はおろか、エッケヴァルト領内全域、いや、その周囲に広がる森、いやいや、本気を出せば、聖ライン河を越えて、隣国まで探知することができる。
ルピナス、お前の居場所など、俺の有り余る魔力を使って、一瞬で暴いてやる。
俺は、口を尖らせて、下手くそな詠唱を早口で紡いでいった。
そこで、はっ、と我に返った。
あれ、これって、もしかして、ストーカーじゃねえ?
好きな女性の居場所を暴き、相手の了承もなく、唐突に会いに行く。
これは、ストーカー行為に合致する。
もしかすると、俺は、この上なく、恋愛をこじらせているのかもしれない。
よく、ニュース番組で、ストーカー事件を取り上げられることがあるが、犯人の多くが、恋愛経験の少ない、もしくは恋愛経験ゼロの非モテのオッサンが多かったような気がする。
きっかけは、些細なことだったのかもしれない。普段から、よく話しかけてくれた、とか、普段から、優しく接してくれた、とか、普段から、軽いボディタッチが多かった、とか、そんな程度のことだったかもしれない。
だが、そういった日常の何気ない行為によって、勘違いが生まれ、それが好意へと変わり、やがて、溢れ出す感情を抑えることができなくなり、行き場を失った想いが暴走して、ストーカーへと変わってしまうのかもしれない。
ストーカーという名の獣へと、豹変してしまうのかもしれない。
落ち着け、理性を保て、道を踏み外すな。
俺は、ストーカーではない。
断じて、獣などではない。
そう、俺は、ルピナスの安否が心配なだけなのだ。
そんなこんなで、俺は、一気に魔力探知を広げた。
ルピナスの魔力は、すぐに見つかった。