誰かに本心を話すと、こんなにも恥ずかしさが込み上げてしまうのか。
深い森の中に、コバルトブルーの美しい湖が広がっていた。
そのほとりに、一匹の竜が、身体を丸め、静かに眠っていた。
森の若葉を散りばめたような、黄緑色の小さな竜。
燦々と降り注ぐ陽光が、水面に反射してきらきらと輝く。
静かに眠り続けている竜の背には、小鳥たちが止まっており、楽しそうに囀り合っている。
そんな穏やかな光景が、スクリーンには映し出されていた。
そこに、空から巨大な猛禽が舞い降りてきた。
グリフォンだ。
その嘴には、野ウサギが咥えられていた。
怪我を負い、弱っていた、あの子供のグリフォンが、森で狩りができるほどに、元気になっていた。
グリフォンは、捕らえたウサギを、眠っている竜の口元へと持って行った。
気配を感じた竜が、ゆっくりと瞼を開く。
美しい翠玉のような瞳。
ウサギを持ってきたグリフォンに、竜は、優しい眼差しを浮かべたまま、傍らに転がっていた、リンゴを口に含むと、ばりばりと音を立てて咀嚼した。
それを見たグリフォンも、ウサギを地面に置き、嘴で何度も啄み、千切った肉を、美味しそうに吞み込んだ。
その様子を見ながら、竜は、ゆっくりと、もう一つのリンゴを口の中に入れた。
それはどこか、家族で食事をしているような光景だった。
黄緑色の竜は、母親のような眼差しを浮かべ、グリフォンの食事を見ていた。そして、グリフォンもまた、母親を見るような眼差しで、竜の食事を見ていた。
それは、とても微笑ましい光景だった。
爽やかな風が、白いカーテンを揺らしていた。
揺れる白いカーテンに呼応するように、花瓶に刺さったグリフォンの羽根もくるくると回っていた。
目を覚ました俺は、ぼんやりとグリフォンの羽根を見つめていた。
夢の中で見たグリフォンは、ハーデブルクで見たグリフォンに間違いない。
だったら、あの竜は、何なのだろうか。
あの竜は、どこにいるのだろうか。
グリフォンが、ハーデブルクの上空を飛んでいたところを見ると、恐らく、周辺の森のどこかにいるのだろうが、ハーデブルク周辺で竜の話など聞いたことがない。長年、ヴィーネリントと交流のあるミーネでさえ、何も知らなかった。
竜の棲み処がある地域では、決まって、竜の伝説や、竜の信仰が伝わっている。
もし、ハーデブルク周辺の森に、竜の棲み処があれば、ハーデブルクには、必ず竜に関する逸話が残っているはずだ。
だがそれも、一切、聞いたことがない。
そもそも、ハーデブルク周辺の森に竜がいれば、必ず魔力探知に引っかかるはずだ。多くの聖職者がいる司教座都市で、竜の魔力に気付かないなどありえない。
つまり、あの竜は、魔力探知の及ばない、遥か遠くの森にいるということなる。
しかし、腑に落ちないことがある。
なぜ、グリフォンは、ハーデブルクの上空を飛んでいたのか。
わざわざ、遠くの森から、飛んできた意味が分からない。
獲物を求めて、ここまで飛んで来たのか。いや、グリフォンを見たのは平原だ。どう考えても、平原よりも、森のほうが、獲物が多いに決まっている。
考えれば、考えるほど、わけが分からなくなってきた。
いやいや、と俺は苦笑した。
グリフォンが、どこから飛んできたことなど、正直言って、どうでもいいことだ。
微笑ましい夢を見たため、どうにも感化されてしまったようだ。
それよりも、昨夜の出来事を思い出そう。
思い出すだけで、胸のドキドキが止まらない。
初めに言っておくが、いやらしいことは、何も行っていない。
ただ、ルピナスの胸に抱かれて、前の世界の話をしただけだ。
ルピナスは黙って、その話を聞いてくれた。
こうやって、誰かに自分のことを話すのは、生まれて初めてのことだった。
自分の本心を、誰かに聞いてもらうのは、初めてだった。
そして、誰かに心を開いたのも、初めてだった。
俺は、前世で経験したことを、ひたすらに話し続けた。辛かったこと、苦しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、そんな、面白くも何もない話を、ルピナスは黙って聞いてくれた。
俺なんかよりも、ずっと大変な人生を送ってきた彼女に、元社畜サラリーマンのくだらない愚痴を延々と零してしまった。
情けない男である。
でも、長年、心の奥底にへばりついていた、わだかまりが、すっきりと取れたような気がした。
自分の想いを、誰かに話し、誰かに共感してもらうことで、こんなにも心が軽くなるとは思ってもいなかった。
そして、ルピナスに散々グチったあげく、俺は疲れて、そのまま眠ってしまった。
何とも、無様な結果である。
同時に、猛烈な恥ずかしさが込み上げてきた。
昨夜は、完全に冷静さを失っていた。
感情の赴くままに、グチって、グチって、グチり倒してしまった。
誰かに本心を話したのは初めてだ。
誰かに本心を話すと、こんなにも恥ずかしさが込み上げてしまうのか。
ルピナスに会うのが恥ずかしい。
だが、俺のくだらないグチに、一晩中付き合ってくれた彼女に、お礼を言いたい。
俺は意を決し、ベッドから飛び降り、寝室の扉を開け、居間へと向かった。
時間はもう、お昼を回っている。いつもなら、呆れながらも、昼食の準備をしてくれているはずだ。
俺は、恥ずかしさを堪え、努めて冷静に、彼女のいる居間へと向かった。
しかし、そこに、彼女はいなかった。
テーブルの上には、シャルロッテから分けて貰ったライ麦パンと、ワインが置かれていた。
その隣には、小さな花瓶に刺さった、一輪の花が飾られていた。
ルピナスの花だった。