教えてよ。エイミがいた世界のこと。
「起きてて、大丈夫なの?」
ルピナスは心配そうに近づいて来ると、俺の隣にスッと腰を下ろした。
ベッドの縁に並んで座る。
心なしか、距離が近いように思える。
彼女からは、どこか甘い香りがした。
「だっ、大丈夫だ。もう熱は下がったみたいだ」
いや、明らかに、熱はぐんぐんと上がっていっている。
「ほんとう? まだ、顔、赤いけど?」
すると、ルピナスが、また自分の額を、俺の額にピタリとくっつけた。
やめてくれっ、心臓が爆発する。
ルピナスの甘い香りと吐息に、意識がぼうっとなる。
「うわっ、やっぱり、熱いわよっ! て、ゆーか、さっきより熱いわよっ! もう、とにかく、寝てなさいっ!」
俺は、半ば無理やりに、ベッドに横になった。
恋の病って、これほど重症化するのか。
俺は、嘆息した。
シーツを被って、そのまま目を閉じる。
静寂の中、心臓の鼓動だけが、うるさいほどに聞こえてくる。
ルピナスは、ベッドに腰を下ろしたまま、なぜか、立ち去ろうとしない。
薄く目を開け、彼女の方を見た。
彼女は、穏やかで、どこか落ち着いた表情を浮かべていた。
「あ、ちょ、ちょっといいか?」
気付くと、言葉を発していた。
あの日から、ずっと、わだかまっていたことがある。
それは、心の奥底で、黒い靄となって、俺を苛んでいた。
たった一言。
たった一言で、黒い靄は消え去るのに、どうしても、その一言が、言い出せなかった。
ただ、今なら、言えそうな気がした。
素直な気持ちで、言えそうな気がした。
「ん、どうしたの?」
ルピナスが、こちらへ顔を向けた。
その表情は、微かにほころんでいた。
「ご、ごめんな……」
「えっ?」
ルピナスが小首を傾げた。
「あの時のことだよ」
「あの時?」
「酒場で、俺が行ったこと……」
――差別してんじゃねえ。
あの時、俺は、彼女を泣かせてしまった。
人生で、あれほど感情的になり、誰かを責めたのは、初めてだった。
あれからずっと、途方もない自己嫌悪と後悔に苛まれている。
誰かを責めることが、これほどまでに苦痛を伴うことなのだと、初めて知った。
謝らなければならないと、心の奥底でずっと想っていた。
でも、なかなか言い出すことができなかった。
たった一言。
そのたった一言が、出て来なかった。
ごめん。
やっと、言葉にすることができた。
俺は、小さく安堵しながらも、ルピナスの顔を見ることはできなかった。
静寂の中、シーツ越しに、ルピナスの言葉をジッと待っていた。
すると、ルピナスが穏やかに語り始めた。
「あたしの故郷、イースラントって、実は、エルフ族の国じゃないの」
「えっ、そうなのか?」
ルピナスの頷くような素振りが伝わった。
「大陸で魔物が出てきた頃、魔物から逃れるため、たくさんの種族が海へと出たの。そして、危険な航海を経て、大陸の遥か北にあるイーセン島に流れ着いたの。彼らは、長い年月をかけて、無人島だったイーセン島を開拓していって、小さな国を造り上げた。それが、今のイースラント王国の原型となったの」
ルピナスは続けた。
「だから、イースラント王国には、多種多様な種族がいたわ。エルフ族、獣人族、鬼人族、侏儒族、もちろん人間もいたし、あと、魔族だっていたわ」
「そうだったのか。俺は、てっきりエルフの国だと思っていたな」
「あたしの頃には、純血のエルフは、ほとんどいなかったわ。あたしだって、エルフと人間のハーフだし」
「まさかのハーフエルフってやつかっ!」
この世界が、改めて異世界ファンタジーだと実感する。
「珍しいことじゃないわ。つまりね、イースラント王国は、エルフ族の国なんかじゃなくて、異種族の国ってこと」
「王家も混血ってことか……」
人間の王家ならば、血への執着は凄まじいものだ。血脈を絶やさないために、近親相姦も持さないほどだ。血脈が途絶えれば、権力も途絶えるのだと思い込んでいるのだろう。こういった思想が、血族優性主義を築き上げている。確かに、前の世界でも、中小企業の社長なんかは、やたらと息子に後を継がせたがる。大体、テンプレとして、後を継いだ息子が、どうしようもないボンクラで、結果、会社を潰してしまうパターンが多い。
世界や時代が変わっても、人間特有ともいえる血族優性主義は、皮肉なほど変わらないということだ。
ルピナスの話を聞いていると、血族優性主義が滑稽に思えてくる。
「エルフ族が王族なのは、最初にイーセン島に辿り着いて、国造りを始めたのがエルフ族だったからよ。基本、イースランドは、どの種族も平等よ。歴代の王も、エルフ出身だけじゃなく、人間もいたし、獣人も鬼人も小人も、そして魔族だっていたわ」
「まさに多様性だな」
どの世界よりも、先進的な理想国家である。
「だから、お願い、信じて、あたしは、エイミを差別したことなんて一度もない!」
ルピナスが真剣な眼差しで、こちらを見た。
碧瑠璃色の瞳が、真っすぐ、俺の瞳と繋がっている。
胸がぐっと押さえつけられた。
「確かに、今まで、エイミには、ヒドイこと言ってきたかもしれない。でも、それは、なんていうか、エイミがいつも無関心で、何に対しても興味のない感じが、どうしてもイライラしちゃって……」
顔を赤らめるルピナス。
俺は、嘆息した。
「いや、正直いうと、ルピナスが、俺を差別してるって、感じたことはないんだ」
「えっ、そうなの?」
「ああ、ただ、俺が前にいた世界は、息苦しいほど差別が蔓延していて、人が人を差別するのが、当たり前の世界だったんだ。平等なんて少しもなかった」
俺は続けた。
「それもあって、いつも誰かから差別を受けているような感覚があるんだ。でもルピナスは、ぐうたらな俺に、いつも世話を焼いてくれる。何もできない俺を、いつも助けてくれる。だから、ルピナスが、差別なんかしているわけないって分かっているのに、俺は、どうしょうもなくひねくれているから、カッとなるとすぐ、無理やりにでも、差別に結びつけてしまうんだ」
俺は、勢いよく、身体を起こした。
大きな瞳を広げ、少し驚いた様子のルピナス。
俺は、彼女を見つめ、高鳴る心臓を抑えて、心の底から湧き上がってきた言葉を、そのまま伝えた。
「俺は、お前を傷つけてしまったことを、本当に後悔している……」
俺は、ゆっくりと頭を下げた。
「ごめん!」
さらに頭を下げる。
「本当にごめん!」
二人の間を静寂が包んだ。
恐る恐る頭を上げると、ルピナスが、優しい笑みを浮かべていた。
「ふふふっ、なんかエイミらしくないね」
そう笑うと、ルピナスが、そっと近づき、包み込むように抱きしめてくれた。
淡く甘い香りが鼻孔に広がり、柔らかな皮膚の感触と、暖かな体温が全身に伝わった。
高鳴っていた鼓動が、ゆっくりと鎮まっていくのが分かった。
これまでの記憶の中で、誰かに抱きしめられたことはなかった。
こんなにも心地良いものだとは知らなかった。
凍りついていた心が、暖かさと柔らかさで、ゆっくりと溶かされていくような感覚。
あまりの心地良さに、俺はルピナスの胸に顔を埋めた。
ルピナスは、俺の髪を優しく撫でながら、小さく口を開いた。
「ねえ、あたしって、ぜんぜん、エイミのこと知らないんだ」
「そうなのか?」
「だってエイミって、ぜんぜん自分のこと話さないでしょ。二年も一緒にいるのに、異世界人ってことしか知らないんだよ」
嬉しそうにルピナスは続けた。
「だからさ、教えてよ。エイミがいた世界のこと」