優しい笑み。
俺は、こう見えて、かつては恋多き男だった。
クラスに可愛い子がいれば好きになったし、クラスの女子から話しかけられると好きになったし、クラスの女子からボディタッチされても好きになった。
学生の頃は、女子と接する機会が極端に少なかったため、女子からの些細なコミュニケーションだけで、無条件で好きなったものだ。
まあ、一度として成就したことはないのだが。
そもそも、成就しないのは、百も承知だったため、好きになった女子とは、いろいろと妄想することで、それなりに楽しい学生生活を送っていた。
特に就寝前は、憂鬱になることが多かったため、楽しい妄想や、ドキドキする妄想。そして、いかがわしい妄想などを、脳内で繰り広げながら、眠りの中へ落ちていった。
俺にとって、就寝前の妄想は、一日の中で、最大の楽しみだった。
眠ってしまうと、朝まで、わけのわからない映像を、スクリーンで延々と見せられるし、うっかり変なモノでも持ち帰れば、そのモノにへばりついた残留思念を強制的に見せられる。
基本、自分の部屋には、何も持ち込まないようにしていたが、念が強ければ、制服についている誰かの髪の毛や、どっかに落ちていた埃でも、スクリーンに映し出されることがあった。
つまり、寝るまで、どんな映像が流されるのか分からないのだ。
日常の映像から、ホラー映像まで、何が映し出されるのか、まったく分からないのだ。
そんな不安を抱えながら、毎晩、眠りにつくのだ。
とんでもないストレスである。
不眠症になって当たり前だ。
だから、せめて寝る前だけは、幸せな気持ちになりたかった。
よって、好きな女子との妄想は、習慣化していった。
もしかすると、恋多き男なのではなく、ただの妄想大好きキモ男なのかもしれない。
毎夜、妄想する相手を探すために、女子を好きになっていたのかもしれない。
確かに、こちらからアプローチをかける気など、さらさらなかった。
彼女らと、妄想でイチャイチャするだけで楽しかった。
これを、恋と呼んでいいものか。
いや、これは、恋などではない。
断じて、恋などではない。
彼女らに、恋をしていたわけではない。
彼女らを、妄想のネタに使っていただけなのだ。
事実、彼女たちを見ても、胸が痛くなった記憶はない。
胸は、痛くならなかった。
寝室のベッドに寝転がり、悶々と想いにふける。
ルピナスの優しい笑みが、脳裏から離れない。
初めて見る彼女の表情に、心臓は激しく高鳴っていた。
これが、恋なのか。
ルピナスと出会って二年。
彼女は、妄想のネタでしかなかった。
小学校、中学校、高校時代はクラスの可愛い女子や、美人な教師で妄想を繰り広げ、大学時代は、サークルの可愛い後輩や、美人の先輩。そして、バイト先の可愛い後輩や、美人の先輩、さらに色気のある社員さんなど、様々な異性を妄想のネタにしていた。
しかし社会人になり、社畜として働くようになってから、毎晩、気絶するように眠っていたため、妄想することがなくなってしまった。
そして、妄想しなくなってから、俺の体調は、すこぶる悪くなっていった。
パワハラや過重労働が大きな原因なのだが、それでも日々、蓄積していくストレスの量が、自分でも分かるくらいに、ハンパなかったことを覚えている。
俺にとって、寝る前の妄想は、唯一のストレス解消だったのだ。
もしかすると、俺が死んだ原因は、過労だけではなく、大好きな妄想を封じられたことが大きいのかもしれない。
これまで、日々、蓄積していくストレスを、妄想によって、僅かずつだが、減らし続けていたが、過労により、妄想ができなくなったことで、ストレスを解消することができず、あっという間に臨界点を突破して、死んでしまったのかもしれない。
これは、異世界転移して気づいたことだ。
《竜骨生物群集帯》での仕事は、過酷を極める。常に、命の危険に晒されているストレスは、想像を絶するものだ。しかもゴリゴリの肉体労働であるため、宿に戻ると、疲れ果てて、気絶するように眠ってしまう。無論、妄想などする余裕はない。社畜時代と同じだ。
だが、社畜時代と大きく違うのは、一つの現場が終われば、長期休暇があることだ。
最低でも、二週間のリフレッシュ休暇がある。
俺は、リフレッシュ休暇を利用して、寝る前の妄想を再開させることにした。
とは言っても、直接的な関わりのある異性は、ルピナスとミーネくらいしかいない。
ミーネは、年齢は大老婆だが、見た目は十二歳くらいの少女であるため、倫理的、道徳的な観点から、妄想することができない。その辺りはキチンと線引きはしている。
よって必然的に、妄想のネタはルピナスとなった。
エルフ族の絶世の美女である彼女であれば、そう簡単にネタは尽きないだろうと思った。
そして、リフレッシュ休暇のたびに、静かなヴェスト村に行き、ルピナスの妄想をしながら、ひたすら眠り続けた。その結果、ずいぶんと体調が良くなった。
心身共にリセットされた気分だった。
やはり妄想は、ストレス解消に重要な役割を果たしていたのだ。
そんなこんなで二年の月日が過ぎ去り、リフレッシュ休暇のたびに、ルピナスで妄想を繰り返していた結果、現在、彼女は、俺の妄想の中で、従順かつ淫靡で卑猥な性奴隷となっている。
最初の頃は、イチャイチャするだけで楽しかったが、二年も、彼女一人をネタとして擦り続ければ、さすがに新鮮味もなくなってくる。ドキドキしていた男女の営みも、次第にマンネリ化が進んでいき、徐々に過激なものへと成長していく。それはやがて、変態的なプレイへと変貌していった。
当然のことだ。
長年、夜の営みのなかった夫婦が、思い切って変態プレイをしたら、とんでもなく盛り上がって、夜の営みが急増したという話を聞いたことがある。
それと同じだ。
まあ、俺の場合は、すべて妄想なのだが。
だが、ルピナスとの妄想は、擦り倒してしまったため、最近は、何をやっても、盛り上がらないのは事実だ。正直、新しいネタを探したいところだが、僻地での仕事が多いため、異性との出会いがまったくない。せめてミーネが、女子高生くらいの見た目まで成長してくれれば、新しいネタとして使えるのだが、二年たった今も、彼女は幼女のままだ。
ミーネが、女子高生くらいの見た目に成長する頃には、俺はもうこの世にいないだろう。
そんなこんなで、妄想ネタに困るほど、妄想が日常化していた俺だったが、今は、まったく妄想することができなくなっていた。
妄想とは、脳内の絶対領域で行われる。そこは何者からも干渉されることはない。
そして、絶対領域の中では、思うがままに、ストーリーを進めていく事ができる。
なぜなら、絶対領域の中にいる相手には、自我がないからだ。
自我のないロボットだ。
自我のないロボットを、自我があるようにプログラムして、思いのままに操る。
そのため、妄想のネタにしたい人物に、接すれば、接するほど、ロボットはリアルの人物に近づいていく。
表情、言葉使い、口癖、仕草、雰囲気などを、妄想内のロボットにインストールとしていくことで、極めて精巧で精密なアンドロイドへと作り上がるのだ。
二年に渡り、妄想で擦り倒しているアンドロイドのルピナスは、リアルと遜色ないほどに、完璧に作り上がっている。もはや妄想とリアル、どちらが本物のルピナスなのか分からないほどに、完成しきっている。
しかし、ヴェスト村に来てから、妄想のルピナスと、リアルのルピナスに、ズレが生じ始めていた。
言葉使い、口癖、仕草、雰囲気などは、それほど変わったように見えないのだが、表情が明らかに変わっていた。
そして、決定打となったのが、あの時の表情だ。
優しい笑み。
あんなにも優しい笑みを、見たことがない。
妄想の中で作り上げた彼女に、あの笑みは、どうやってもはまらない。
もはや、別人の表情だった。
そして、俺は、あの笑みに、恋してしまったらしい。
優しい笑み。
ちょっと前まで、妄想のネタでしかなかった彼女に、俺は本気で恋をしてしまっている。
そう、リアルの彼女に本気で恋をしている。
初めての恋だ。
その時、寝室の扉がコンコンとノックされた。
俺は、びくっと肩を震わせた。
「エイミ、起きてる? 入るよ」
「あ、ああ」
少しだけ落ち着いていたはずの心臓が、再び、高鳴り始める。
扉がゆっくりと開く。
心臓の痛みが頂点に達する。
扉の向こうに立っていたルピナスと目が合う。
すると、ルピナスが、静かに笑みを浮かべた。
二度目の優しい笑みだった。