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こんなにも大切に想ってくれる人がいるだけで、わたしは幸せです。

 ルピナスの花。


 藤の花のように青紫色の小さな花をたくさん咲かせる花だが、藤の花のように上から下へ垂れ下がるのではなく、下から上へと伸びていく性質を持っている。


 荒地でもたくましく育つ生命力を持っているため、その強さに由来して〝狼〟と呼ばれることもあるらしい。


 狼。


 花なのに狼?


 どうにも違和感はあるが、プライドが高く、高圧的で攻撃的なルピナスには、ぴったりの呼び名だ。


 まあ、最近は、不気味なほど大人しいのだが。


「驚いた。この辺りに咲いているんですか。この花、暑さに弱いから、暖かい大陸では、育たないと思っていたのに」


 ルピナスが大きな目を広げて訊くと、シャルロッテが笑顔で答えた。


「この辺りは、高地だから、一年を通して、あまり気温は高くならないの。だからけっこう咲いているのよ」


「そうなんですか」


 ルピナスは、微かに揺れる青紫色の花びらに、うっとりと目を細めた。


「ルピナスさんの名前を聞いて、ピンときたの。このお花から、名付けられたんじゃないかってね」


「はい、そうです。あたしの故郷、イースラントは、春になると、大地は、この花で埋め尽くされます」


 寂しげな表情を浮かべながら、ルピナスは続けた。


「あたしの父は、この花のように、強く、たくましく生きてほしいと願って、ルピナスと名前を付けてくれました」


 事実、名前に負けないほど、彼女は、強く、たくましく生きている。


 魔王に故郷を滅ぼされ、大陸に流れ着いてもなお、故郷を再興させるため、彼女は狼のように、強く、たくましく生きている。


 そんな彼女の懸命さに、痛ましさを感じると同時に、眩しさを感じる時があった。


 彼女には、明確な目標がある。


 故郷を取り戻す。


 そのためには、故郷の大地でふんぞり返っている魔王を討伐し、世界中に散り散りとなった仲間たちを見つけ出し、国づくりから始めなければならない。


 それは、果てしないほど遠く、険しい道のりだ。


 叶えるのに、どれだけの時間、どれだけの労力、そして、どれだけの金額が必要なのか。俺には想像もつかない。


 だが、彼女は、この目標に果敢に挑み続けている。


 それが、眩しかった。


 俺は、これまでの人生において、叶えられる範囲での目標しか掲げてこなかった。


 だから、それにかかる時間も、労力も、金額も、ある程度、想定することができた。


 叶うかどうか分からない目標に、時間や労力をかけて、金に費やすのは無駄だと思っていた。


 だから、高校受験も大学受験も、合格する範囲内での勉強しかしてこなかった。その結果、それなりの高校に入学して、それなりの大学を卒業することはできた。


 だが、社会人になって、気が付いた。


 それなりの時間、それなりの労力、それなりの金で進んで行った先には、それなりの人生しか待っていないということに。


 そして、それなりの人生に進んだ奴は、この世にごまんといることに。


 そんな奴らと、まともな人生を賭けた戦いを繰り広げなければならなかった。

 

 当時の俺は、まとも人生を掴みとるために、必死にもがき、必死にあがいたが、その巨大な渦から抜け出すことはできなかった。そもそも、まともな人生を歩んでいる奴は、多大な時間と労力、そして多大な金をはたいて、まともな高校に入学し、まともな大学を卒業した連中ばかりだ。今さら、そこに這い上がろうとしても、すでに手遅れなのである。


 結果、俺は、あえなく大渦に呑み込まれ、チリとなって、死んでしまった。


 それなりの人生だった。


 だが、この世界で、ルピナスの揺らぐことない強い信念に触れ、ようやく理解することができた。


 それなりの人生から抜け出し、まともな人生を歩むには、やはり、明確な目標を持ち、そこに惜しみなく、時間と労力をかけ、金を費やしていかなければならない、と。


 明確な目標。


 異世界スローライフ。


 弱い、弱すぎる。


 異世界スローライフは、懸命に働き続け、金を貯め続ければ、いずれは叶う。


 そう、スローライフ後の明確な目標だ。


 ふいに、俺の視界に、見たくもない光景が映った。


 なにやら、ハヤトとシャルロッテが、楽しそうに談笑している。


 ハヤトのくそったれ。異世界デビューなんぞ果たしやがって。前世では、典型的な低スペックの社畜野郎だったくせに、結婚なんぞしやがって。しかも奥さんが美人ときている。


 くそっ、いつか俺も、異世界デビューを果たし、美人の奥さんを連れて、ハヤトを羨ましがらせてやる。


 よし、決めた。明確な目標は、美人なお嫁さんを貰うことだ。


 よおし、スローライフが始まったら、バリバリ婚活するぞっ!


 ふと、シャルロッテとハヤトの言葉が脳内に響いた。


 ――お二人って、ほんっとうに仲が良いのね。


 ――どう見ても、お前たち、新婚だろ。


 俺は嘆息した。


 新婚ねぇ、傍からみれば、そう見えるもんなのか。


 どうにも、ピンとこないんだが。


 俺は、ちらりとルピナスへ視線を向けた。


 彼女は、ルピナスの花を見つめていた。


 長く反ったまつ毛に、碧瑠璃色の大きな瞳。通った鼻筋に、形の良い唇。ろうそくの灯りに照らされた白い肌は、光を浴びた粉雪のように煌めいている。


 花を見つめているだけなのに、彼女は彫像のように美しかった。


 俺の視線に気が付いたのか、彼女がゆっくりとこちらを向いた。


 やばい。怒られる。


 硬直する俺。


 しかし、彼女は優しげに口許を綻ばせ、また視線をルピナスの花へと向けた。


 俺は、見たことのない彼女の表情に、茫然としていた。


 それは、あまりにも柔らかで、淑やかな、優しい笑みだった。


 いつもなら、なに、こっち見てんのよ、気持ち悪いから、こっち見ないで、とか罵られるのだが、今日は明らかに違っていた。いや、この村に来てから、彼女の態度は、今までとは、明らかに違っている。


 気が付くと、俺は、激しい胸の痛みに襲われていた。


 心臓が、痛いほどに暴れ狂っている。


 な、なんだ、これは、もしや、狭心症かっ!


 ――お前のことが好きなんじゃよ!


 ふいに、ミーネの言葉が脳内で響いた。


 まさか、これは。


「どうしたの、エイミ? 顔が真っ赤よ。もしかして熱でもあるの?」


 ルピナスが心配そうに眉をひそめ、ゆっくりと顔を近づけ、自分のおでこを、俺のおでこにピタッとくっつけた。彼女の冷たい肌が全身に伝わり、その後を追うように、彼女の温かい吐息が全身に伝わった。


「ちょっ、ちょっと、すっごい熱いわよっ!」


 慌てるルピナスに、ハヤトとシャルロッテも驚きに目を開く。


「何だとっ!」


 ハヤトが勢いよく立ち上がった。


「よしっ、今日はもう、お開きだっ! エイミとルピナスさんは、オレが送って帰る。シャルロッテ、君は、早くうがいをして、手をきれいに洗ってくるんだ!」


 コイツ、俺を病原菌のように扱ってやがる。


 まあ、奥さんが妊娠しているから仕方ないか。


「あっ、エイミは、あたしが連れて帰るので、大丈夫ですよ。ほら、エイミ、立てる? 歩ける?」


 俺は、何事もなく立ち上がり、歩いてみせた。


 そりゃそうだ。この病は、病原菌やウィルスによるものではない。


「そうかっ、じゃあ、ルピナスさん、エイミをよろしくな。私は、すぐに、道具屋で、除菌、消毒用の水薬(ポーション)を買ってくる!」


 いやいや、酷すぎませんか。


「よしっ、シャルロッテ、君は部屋で安静にしていなさい!」


「いえ、わたしなら、大丈夫ですから。それに後片付けもありますし……」


「ダメだ。後片付けは、オレが戻ってからする。君は寝室で横になっていなさい。じゃあ、行ってくるっ!」


 ハヤトはそう言い残すと、凄まじい勢いで家から出て行った。


 急に室内が静かになった。


「あはは、ハヤトさんは、愛妻家ですね」


 ルピナスが苦笑を浮かべた。


 すると、シャルロッテも苦笑した。


「勝手に先走って、暴走するのは、彼の悪い癖ね」


 でも……、とシャルロッテは続けた。


「こんなにも大切に想ってくれる人がいるだけで、わたしは幸せです」


 小さくそう言うと、シャルロッテは満面の笑みを浮かべた。

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