ルピナスの花
武田隼人は、A級冒険者に認定された後、冒険者ギルドで二週間の基礎訓練を受け、訓練修了後、ギルドから、あるクエストの紹介を受けた。
邪眼のバロールの討伐。
邪眼のバロールとは、魔王軍の幹部の一人であり、魔王の側近でもある魔族だ。
バロールは、巧みに人間に化け、魔力を極限まで制御した状態で、王都に潜伏し続け、勇者の暗殺を企てていた。しかし、ブルグント魔導団の魔力探知に引っかかり、逃走を余儀なくされた。
ブルグント魔導団とは、王国最高位の魔導士集団で、当時、彼らの指揮を取っていたのが大魔導士ミーネだ。
逃走したバロールを追撃するため、各地の冒険者ギルドから、魔力の高いA級冒険者が集められた。しかし、急な徴集だったこともあり、集められた冒険者の多くが、異世界転移して間もないド素人ばかりだった。
そんなド素人集団の中にハヤトもいた。
逃亡したバロールを追うのは、大魔導士ミーネ率いるブルグント魔導団の精鋭部隊と、ド素人ばかりのA級冒険者たちだった。
そんな古参の魔導士と新人の冒険者で構成された混成部隊だったが、大魔導士ミーネの正確無比な指揮と人望によって、烏合の衆に過ぎなかった部隊が、次第にまとまっていき、邪眼のバロールを、徐々に追い詰めていった。
次々と逃走ルートを抑えられていったバロールは、辺境伯エッケヴァルトの領地で、ついに、その姿を捉えられる。
森に紛れようとしたバロールだったが、ブルグント魔導団の超高性能な魔力探知によって発見され、そのまま冒険者たちと戦闘となった。
魔力の高い魔族は、魔力抵抗が高く、魔法攻撃が効きにくいため、戦闘は白兵戦がメインとなる。冒険者が集められたのは、白兵戦要員のためだった。
ド素人集団とはいえ、魔力で極限まで身体能力を向上させたA級冒険者たちの猛攻は凄まじく、さすがのバロールも次第に追い込まれていった。
だが、所詮はド素人集団。
力任せの攻撃は、あまりにも隙だらけだった。
バロールは、その隙を見逃さなかった。
バロールは巧みに冒険者たちを一カ所へと誘導していき、最終手段へと打って出た。
邪眼の開眼だった。
バロールの右目は潰れており、自らの筋力で開くことはできない。だが、膨大な魔力を注ぐことによって、潰れた右目を開くことができ、その右目が開かれた時、邪眼のバロールの真の力が発現されるのである。
潰れた右目は、邪眼だった。
バロールが邪眼を開眼した瞬間、その場にいたハヤト以外の冒険者が、一瞬にして石像へと変わった。
A級冒険者の中でも、ひと際、魔力の高かったハヤトは、魔力抵抗の高さで、瞬間的な石化を免れることができた。しかし右手の指先から、徐々に石化は始まっていた。
バロールの魔力は、冒険者たちの魔力を遥かに凌駕していた。いくらハヤトの魔力が膨大であっても、魔王の側近であるバロールには及ばなかったのだ。
冒険者たちを石へと変えたバロールは、陣形の乱れたブルグント魔導団の、一瞬の隙を縫って、その場から逃走した。
即座に体制を立て直し、バロールの後を追ったブルグント魔導団だったが、結局、寸でのところで取り逃がしてしまう。
一方、ハヤトは、徐々に石化していく苦しみに、一人、悶え苦しんでいた。
そこに、バロール討伐の援軍として、駆け付けた騎士たちによって、ハヤトは保護される。
彼らは、エッケヴァルトに忠誠を誓った騎士の集団で、辺境騎士団と呼ばれていた。
そこで、後にハヤトの師となり義父となるゲーレと出会う。
辺境騎士団の団長であるゲーレは、躊躇することなく、ハヤトの右腕を斬り落とし、止血をして、自らの屋敷に連れ帰った。そして娘であるシャルロッテに看病を任せた。
シャルロッテによる献身的な看病により、一命を取り留めたハヤトは、命の恩人であるゲーレに忠誠を誓い、ゲーレの従卒として騎士の道を歩むことに決めた。
その後、娘のシャルロッテと恋に落ち、結婚した。
晴れてシャルロッテと結ばれたハヤトは、同時にゲーレの義理の息子となり、正式な騎士として認められることとなった。
これが武田隼人の異世界サクセスストーリーだ。
「お前ほどの魔力があれば、魔力抵抗だけで、魔族の魔法も、掻き消すことができると思うぞ」
「魔族ねぇ……」
果たして、これから先、出会うことがあるのだろうか。
極力、遭遇したくないのだが。
「魔族……」
ルピナスが小さく呟いた。
俺は、まずい、と思い、ハヤトに目配せをした。
ハヤトも、あっ、しまった、といった顔で、口を噤んだ。
ルピナスの故郷は、魔王軍によって滅ぼされている。
魔王軍の配下は、魔族だ。
しかも、邪眼のバロールは、魔王の側近の一人だ。
ハヤトには、ルピナスの事情を説明しているため、右腕は魔物との戦いで失ったと告げている。
邪眼のバロールのことは、一切、口にしていない。
もしや、魔族という単語も禁句だったのか。
さすがに、そこまでは気が回らなかった。
「あらあら、どうしたの? みんなして黙っちゃって」
シャルロッテが笑顔を浮かべながら、テーブルに近づいて来た。
その手には、小さな花瓶が抱えられ、鮮やかな青紫色の花が飾られていた。
色や花びらを見たところ、藤の花に似ているが、大きく違っているところがある。藤の花は上から下へと垂れ下がっているが、花瓶に飾られた花は、下から上へと尖がって伸びている。
シャルロッテは、テーブルの真ん中に青紫色の花を飾った。
「やっぱり、食卓に花を飾ると、煌びやかになるわね」
確かに、茶色や白といったシンプルな色合いの食べ物たちが、花を添えることで、一気に鮮やかな色彩へと変わった。
ふと、社畜時代を思い出した。
休憩中、バックルームで、売れ残りの総菜弁当を食べていた頃は、何も味がしなかった。茶色の弁当と白いテーブル。視覚にはそれしか映っていなかった。
名前も知らない花だが、目に映る鮮やかな色彩が、妙に食欲を引き立てた。
ふと、ルピナスに視線を向けると、彼女は、青紫色の花をぼんやりと見つめていた。
「この花って……」
シャルロッテが口許をほころばせた。
「そう、ルピナスの花よ」