勇者とお姫様。
この世界の食事は、都市と農村で大きく異なる。
都市では、専門の商売人から食材を購入、もしくは、専門の料理人から食事を提供されるため、食料品の種類は多岐にわたっている。パンはもちろんのこと、肉や魚、野菜や果物、塩や香草、牛乳やワイン、そして油など様々な食料品を購入することができる。特に都市では、肉料理が中心となっているため、肉屋には、牛、鹿、豚、鶏、ガチョウ、鶴などといった多種多様な種類の肉が売られており、他の食料品よりも品揃えが豊富となっている。
一方、農村では、自らの畑で育てた食材が主となるため、必然的に野菜料理が中心となる。もちろん肉料理もあるが、食用として育てている家畜は豚ぐらいだ。基本、農村にいる牛や馬、鶏といった家畜は、畑で犂などを引かせたり、荷物を運搬させたり、乳や卵を得るために飼育されており、その中で、養いきれなくなった家畜が食用へと回される。
ハヤトの家の食卓も、肉料理は、ベーコンとハムだけで、あとは、ライ麦のパンに、エンドウ豆のスープ、牛乳とチーズといった素朴な感じだ。これでも農村では、かなり豪華な食卓である。
「うわー、おいしそう」
ルピナスが目を輝かせた。
確かに、食材は質素でも、テーブルの上で、美味しそうに盛りつけされていると、腹の虫は鳴ってくる。
「じゃあ、いただきましょうか」
シャルロッテの言葉に、俺たちは椅子に座る。ハヤトの合図で、手のひらを重ね、静かに目を閉じる。そして、神への感謝を込め、祈りを捧げた。
日本で言うところの「いただきます」だ。
この世界では、宗教上、食事の前は、必ず祈りを捧げる。ちなみに俺は、「いただきます」も「ごちそうさま」も小学校の給食以来、一度も言ったことがないため、異世界転移したばかりの頃、酒場で、いきなり飯にがっついて、周囲から蛮族だと嗤わられたことがある。
今となっては、この世界のマナーに従って、きちんと祈りを捧げている。
神など微塵も信じていないのだが。
「さあ、食えっ、ウチの嫁が、腕によりをかけて作った料理だ。残すことは許さんぞっ!」
ハハハハッ、と豪快に笑うハヤト。
この二年間で、ずいぶんとキャラが変わったものだ。出会った当初は、腐敗臭の漂うゾンビみたいな見た目で、笑う姿など想像もできなかった。
それが今や、ことあるごとに大笑いしている。
ウザいくらいに大笑いしている。
まあ、この世界で、ようやく手にすることのできた豊かな人生が、ハヤトの心と表情を変えたのだろう。
俺も、豊かな人生を手にしたら、ハヤトのように大笑いすることができるのだろうか。
正直、想像できないな。
「うわっ、おいし~!」
ルピナスがベーコンを頬張りながら、嬉々として叫んだ。
「ほら、エイミも食べてみて」
ルピナスがベーコンを指でつまんで、俺の口元へと持ってきた。
「ああ、そうだな」
俺は、パクっとベーコンを頬張った。
美味い。
ほどよい塩気と香草の香りが口の中に広がる。安酒場の安ベーコンよりも遥かに味わいがある。
「ほら、エイミ、パンも焼きたてだよ」
ルピナスが、ライ麦のパンをちぎって、俺の口に運んだ。
美味い。
この世界のパンは、まとめて焼いて保存するため、ほとんどがカチカチで、嚙み千切ることさえ苦労する。そのため、何かしらのスープに浸して、ふやかして食べるのが主流なのだが、このパンは、ふかふかで柔らかく、ほのかに温かい。
「おいしいでしょ、ねえ、エイミ」
「うん、おいしい」
うん?
俺は、違和感を覚えた。
コイツ、さっきから、俺のこと名前で呼んでいないか。
恐る恐る、ルピナスのほうへと顔を向ける。
エンドウ豆のスープを口に運んでいたルピナスが、俺の視線に気づき、ニコッと笑みを浮かべた。
何だ、コイツ。
どうしちまったんだ?
なんか気持ち悪いぞ。
動揺を隠しながらも、食事を進めていると、なにやら正面から熱い視線を感じた。
視線を向けると、ハヤトとシャルロッテが不敵な笑みを浮かべていた。
「お二人って、ほんっとうに仲が良いのね」
「はい?」
ベーコンとパンをもぐもぐ頬張りながら、俺は首を傾げた。
「ハハハッ、オレも大人だから、あまり野暮なことは言いたくないが、どう見ても、お前たち、新婚だろ」
「は? いや、違う、そんなんじゃないって言っただろっ! なあ、ルピナス」
慌ててルピナスに助けを求めると、なぜかルピナスは、無表情となり黙り込んだ。
なぜ、否定しないのだ。
何なんだ、コイツ。
この村に来てから、変だぞ。
「こうも目の前で平然とイチャイチャされたら、誰だって夫婦だと思うぞ」
「イチャイチャ?」
確かに、ルピナスから食べさせてもらっているのを見れば、イチャイチャしているように見えるかもしれない。だが、ルピナスから食べさせてもらっているのは、いつものことだ。
特に寝起きは、充分に睡眠がとれていないため、ぐったりしていることが多い。そのため、朝食は、ルピナスが無理やりに食べさせてくれることが多い。現場に入れば、飯など食う余裕がないからだ。
だから、今のように自然な流れで食べさせてもらっても、あまり意識はしていなかった。
ルピナスは、気性は荒いが、世話好きでお節介なエルフなのだ。
「いやいや、ルピナスから食べさせてもらうのは、いつものことだよ、なあ?」
俺が問いかけても、エルフのお姫様に反応はなかった。
もう、いったい、何なのよっ!
「お前、いつも食べさせてもらってるのかっ! ハハハッ、ラブラブで羨ましいねぇ~」
ハヤトとシャルロッテが顔をくっつけて、にやにやと微笑んだ。
くっ、どうすれば、誤解が解けるのか。
ルピナスとは、断じてそんな関係ではない。いかがわしい行為は、何一つとして行っていない。まあ、いかがわしい妄想は、幾度となくしてはいるが。
「オレは、エイミが、ルピナスさんをお姫様抱っこして、この村に現れた時は、さすがに驚いたぞ。あれはどう見ても、勇者とお姫様だったぞ!」
選ばれし勇者が、ドラゴンを倒して、囚われていたお姫様を救い出し、お姫様抱っこしたまま、城に帰還するRPGゲームのことを言っているのだろう。
ちなみにゲームでは、勇者が世界を救った後、二人はめでたく結婚する。
まあ、ルピナスは紛れもなくお姫様だが、俺は勇者ではない。
「勇者とお姫様ねぇ……」
余談だが、勇者がお姫様を抱っこしたまま、途中、村の宿屋で宿泊すると、翌朝、宿屋の主人から「ゆうべはおたのしみでしたね」と言われる。
悪いが、楽しむ余裕など微塵もなかった。
それほどまでに、ヴェスト村までの道のりは、険しく過酷な道のりだった。