俺も欲しい。慎ましやかな暮らしが。
俺たちは、死後、天国に昇ることも、地獄に堕ちることもなく、何の選択権も与えられないまま、この世界に転移してきた。
そう、異世界転移した。
転移、という言い方が、正しいのかどうかは分からないが、死んだ時と同じ姿でスタートした場合は転移だと、元ニートの冒険者に教えられた。ちなみに、赤ん坊からスタートした場合は転生らしい。
でも、やっぱ、異世界転移よりも、異世界転生のほうがいいような気がする。
異世界転生して、西洋風の若々しいイケメンに成長して、異世界冒険譚をスタートできたなら、ちょっとはやる気も出るのだが、日本人のくたびれたオッサンのまま、異世界冒険譚をスタートしても、まったくやる気がでない。前の世界でのネガティブを、そのまま引き摺ってきている感じがして、まったくリセットされた気がしない。
今さら嘆いたところで、どうにもならないのだが。
そんなこんなで、俺たちは、異世界転移してきた存在だ。
そして、異世界転移する場所は、決まって古代遺跡らしい。
俺は、異世界転移した際、廃墟となった教会で目を覚ました。
どうやらあの教会は、1000年前に建てられた教会らしく、かつて栄えた古代都市の一部だということだった。
理由は不明だが、俺たちのような異世界人は、数年ほど前から、国内各地の古代遺跡で発見されるようになったらしい。そんな彼らは、往々にして高い魔力を宿していたため、古代遺跡周辺の都市では、急速に冒険者ギルドが開設されていき、異世界人を次々と冒険者として受け入れていったらしい。
魔力の高い異世界人は、危険分子として警戒されていたため、国は、異世界人に、冒険者という職業を与え、高い報酬を得られるように図らったのである。そんな国の思惑とは裏腹に、異世界人の多くは、待ってましたと言わんばかりに、喜んで冒険者になることを受け入れ、図らずとも、ウィンウィンの関係になったのである。
そんな異世界人は、冒険者になる前に、都市にある教会で魔力量を計測される。
武田隼人とは、そこで出会った。
「ハハハッ、エイミ、珍しく時間通りに来たな」
褐色に日焼けした、筋骨隆々の男が、真っ白な歯をむき出にして、満面の笑みで出迎えてくれた。
武田隼人である。
ちなみに、エイミとは、俺の名前だ。
俺の名前は、明日真映視。
明日の真実を映し視る、と書いて、明日真映視と読む。
普段は、アンタだの、おぬしだの、指でちょんちょん突かれるだの、まともに俺の名前を呼んでくれる者がいないため、久しぶりに名前で呼ばれると、妙にこそばゆい感じがする。
しかし、我ながら奇抜な名前だと思う。どういう意図があって、両親がこの名前をつけたのか、まったく分からない。ただ偶然にも、某サスペンス漫画の主人公と一文字違いのため、もし俺のサイコメトラー的な能力が、この名前に影響しているのであれば、両親を憎むしかない。
「ハヤト、お前は、いつも、元気だな」
俺は、大あくびしながら言った。
「ハハハッ、エイミ、お前は、いつも、眠そうだな」
まったくもって眠り足りない。
「この寝坊助、時間になってもまったく起きないから、あたしが叩き起こしたの!」
ルピナスが腰に手を当て、偉そうに言った。
「ハハハッ、ずいぶんと奥さんの尻に魅かれてるな」
ハヤトが大口を開けて笑った。
「はあ、何度も言っているだろ、俺たちは夫婦じゃない。ただの職場の同僚だ、なあ」
と、俺が振り向くと、なぜか不機嫌そうにこちらを睨むルピナス。
えっ、なに、どういうこと?
お姫様のご機嫌を損なうようなことしました?
俺が困惑していると、屋敷の奥から、エプロン姿の女性が姿を現した。
「あらあら、二人とも、いらっしゃい。さあ、あがって、お料理の準備はできてるわよ」
どこか品のある穏やかな女性。エプロンの上からでも分かるぽっこりと膨らんだお腹には、新しい命が宿っている。夏には家族が一人増えるそうだ。
彼女は、ハヤトの妻、シャルロッテだ。
前の世界では、結婚とは無縁、ついでに出世とも無縁の年収180万の社畜だったハヤトが、まさか異世界で結婚して、ついでに騎士階級にまで出世するとは、驚きである。
異世界転移したばかりのハヤトの外見は、まさに社畜の権化のような姿をしていた。
油分も水分もない白髪交じりの髪、落ち窪んだ目、扱けた頬、抜け落ちた歯、痩せ細った手足、醜く突き出た下腹。まさに地獄の餓鬼のような姿をしていた。
だが今は、短く切りそろえられた髪、凛とした大きな瞳、がっちりとした顎、魔法義歯によって揃えられた真っ白な歯、はち切れんばかりの筋肉に覆われた手足、シックスパックに割れた腹筋。もはやプロレスラーにしか見えない。
まるで別人のような姿だが、騎士になるため、そして、家族を護るため、コイツなりに必死に努力した結果なのだろう。
それにしても、まるで絵に描いたような幸せを見せつけられると、どうにもムカついてくる。
異世界転移した時点では、同じ底辺を這いずるウジ虫だったはずだ。それが、たったの二年間で、これほどまでに差をつけられることになるとは。
俺が、毎日、毎日、血の汗と血の涙を流しながら骨を砕いている間に、ハヤトは、どんどん出世していき、ついには高貴な西洋美女を娶ったのだ。
羨ましい。
羨ましすぎる。
俺も欲しい。
慎ましやかな暮らしが。
「ちょっと、なに、ぼーっとしてんのよ!」
俺は、ルピナスに手を引かれ、ハヤトの屋敷へと招かれていった。