過労死は実在する。
ブルグント王国の遥か西。
隣国との国境沿いに、国内最大の領地がある。
辺境伯エッケヴァルトが治める領地だ。
かつて、隣国であるアウストラシア王国と、ブルグント王国は、友好関係にあり、盛んに交易が行われていた。しかし、魔物の出現により、国内が森に浸食されたことで、アウストラシア王国との交易は断絶され、その後、両国の間には、深く濃い森が広がっていき、そこに多くの魔物が棲みついたため、現在、隣国がどのような状況にあるのか、知る者は誰もいない。
アウストラシア王国との国境沿いには、両国の森を縦に裂くように、聖ライン河が流れている。かつては多くの橋が掛けられ、聖ライン河を中心に交易が行われていたが、魔物の出現に伴って、多くの魔物が橋を渡って隣国へと侵入し続けたため、アウストラシア王国の独断によって、すべての橋は取り壊されてしまった。
聖ライン河には、魔力浄化作用があるため、魔物が直接、河を渡ろうとすれば、否応なしに魔力浄化されてしまう。魔物は、魔力が失われることを極端に嫌がるため、聖ライン河に近づくことは滅多にない。ましてや、聖ライン河を泳いで渡るなど絶対にあり得ない。
魔物は、本能的に魔力浄化を恐れる性質を持っている。なぜなら、彼らの魔力は、元々、宿していたものではなく、外から取り入れたものなので、魔力浄化されれば、二度と元には戻らないからだ。魔物にとっての魔力は、根源的なものであるため、本能的に魔力に執着する性質を持っているのである。
そんなこんなで、隣国とは音信不通。
そして、隣国に侵入した魔物は、河を渡ることはできない。
さらに、エッケヴァルト領は、徹底的に森の浸蝕を抑え、平原を管理しているため、魔物が棲みつきにくい環境になっている。そこに加えて、聖ライン河も流れているため、魔物の存在は限りなくゼロに近い。
つまりここは、ブルグント王国で、最も平和な地域なのである。
しかも、一度も戦火に包まれていないため、陰惨な残留思念もない。
つまり、悪夢にうなされることもないのだ。
まさに、俺にとっての最高の休暇先なのだ。
「もう、一週間も、寝て食べてを繰り返して、いい加減、飽きないの?」
ルピナスが呆れながら言った。
「俺は、寝るときは、とことん寝ると決めている」
これは社畜時代から変わっていない。就職して、精神と肉体を極限まですり減らし、退職して、泥のように眠り続ける。そして、再び、就職して、再び、精神と肉体を極限まですり減らし、再び、退職して、再び、泥のように眠り続ける。これが就職氷河期世代のサラリーマンだ。
まあ、退職時期を見誤って、死んでしまったのだが。
どうやら、職場にパワハラがないと、精神と肉体の擦り減り方に、若干の誤差が生じるようだ。精神的には、まだイケると思っていても、肉体的には、とっくに擦り切れてしまっていたのだ。それまでは精神と肉体が同時に擦り切れていたため、このパターンは、まったく想定していなかった。
気が付くと死んでいた。そんな感じだ。
過労死は実在する。
これを教訓に、働いていかなければならない。
休日はしっかりと休み、友達付き合いを止め、恋人も作らず、無駄遣いはせず、しっかりとお金を貯めていき、さっさとリタイアする。
これが、過労死から逃れるための最善の方法だ。
よって、今、やるべきことは、寝ることだ。
精神と肉体を休めると同時に、無駄な出費も抑えることができる。
起きていれば、無意識にさまざまな欲が襲ってくる。腹も減るし、欲しい物もでてくる。異性を見ればムラムラもする。それらの欲望を満たすには、どうしても金が必要となってくる。
これが、無駄遣いの始まりである。
そして、無駄遣いは、過労死への一歩である。
そういった、さまざまな欲を封じ込めるため、寝るのである。
「というわけで、また寝る」
俺がベッドに潜り込むと、ルピナスが力任せにシーツを剥ぎ取った。
「うわぁっ、やめろー!」
俺は思わず悲鳴を上げた。
「いい加減にしなさいっ、そんなに寝てると干からびるわよっ!」
「嫌だっ、さっきまで見てた、竜とグリフォンの夢の続きを見るんだっ!」
ん、グリフォン?
俺は、ふと、ベッド横に置かれたテーブルに視線を向けた。
テーブルの上には、花瓶に刺さったグリフォンの羽根が、風でくるくると回っていた。
「なるほど、あのグリフォンの残留思念だったのか」
ようやく合点がいった。
「なに、わけの分かんないこと言ってんのよ。いいから早く起きなさい。今日はハヤトさんのところで、昼食をご馳走になるんでしょ!」
「あれっ、そうだったけ?」
ルピナスが深い溜息を漏らした。