こやつら二人の蹴りのみで、敵を殲滅する。
この世界における都市は、周囲を城壁で囲まれた城塞都市である。
魔物の侵入から都市を防衛するため、都市全体を堅く閉ざし、人の出入りを厳しく制限しているのが特徴だ。だが、都市の外れには、人が自由に出入りすることのできる特殊な地域がある。
それは、都市全体を丸く囲む城壁の中に、一カ所だけコブのように飛び出している地域だ。
その地域には、墓地が広がっており、都市から排斥された貧民たちが棲みついている。
彼らが根城としているこの地域は、貧民窟と呼ばれている。
「元々、この辺りは、墓地として造られたのじゃが、いつしか、外から紛れ込んだ浮浪者、放浪者、逃亡者、そして犯罪者なんぞが棲みついて、今では、巨大なコミュニティを形成しておる。つまり、この辺り一帯は、貧民どもの縄張りというわけじゃ」
この世界では、死体は埋葬して弔うため、疫病が発生するリスクが非常に高い。人口が密集している都市内で、疫病が発生すれば、感染のスピードは、村や街に比べて遥かに早く、蔓延した際には、都市機能が崩壊する可能性もある。そのため、墓地は、都市の中心部から最も離れた場所に作られることが多い。ちなみに大昔は、都市の外に墓地を作っていたらしいが、現在では、魔物が魔素を狙って死体を漁りに来るため、都市の中に収めざる得なくなったらしい。
どんよりと立ち込める深い闇の中、地面に突き刺さった無数の十字架を避けながら、俺はルピナスを背負ったまま、ミーネを抱えるシュタインの背中を追った。
「でも、なんで大司教は、この状況を放置しているんだ?」
「ブルグント王国が信仰する宗教の教えでは、財産を持つ者に天国の扉は開かれない、という教えがあってのう、これは貧民を救え、という意味も含んでおるんじゃ。この教えに従って、富裕層は、貧民をあらゆる面において奉仕しとるんじゃ。つまり、この世界において、貧民とは、差別によって生み出されていながら、宗教上は必要な存在というわけじゃ」
この国の精神規範は、信仰している宗教を元に成り立っている。貧しい者への救済は、どの宗教でも定番の教えである。だが、そもそも貧民を生み出しているのは、魔力優性主義によるカースト制度が原因だ。つまり、国が生み出した貧民を、国の宗教が救えと言っているのである。全くもって意味が分からない。
まあ、宗教に合理性を説いても無駄なのだが。
「それで貧民の出入りを自由にしているってことか……」
自由に出入りできたら城塞都市の意味がないのでは、と素朴な疑問が浮かぶのだが、そこに宗教的な思想が絡んでくると、納得できないことも、納得しなければならない。国家と宗教が密接に関わってくると、どんな教えであっても従わなければならない。たとえ合理性を欠いていたとしても従うしかない。宗教とはそういうものだ。
「んで、貧民どもは、どうやって、都市を出入りしているんだ?」
墓地の向こう側には、城壁がそびえ立っている。
「うむ、どうやら、城壁の下に穴を掘って、トンネルのようなものを造っているようじゃな」
ミーネが続けた。
「そのトンネルを使って、外から流れて来る貧民どもを、金で都市に引き入れているそうじゃ」
密入国者を斡旋するシンジケートみたいだな。
「そもそも、貧民たちは、何をしに都市にやってくるんだ?」
「うむ、理由は様々じゃろうな。一番多いのは、わけあって領地を追い出された、もしくは、逃げてきた農民じゃろう。都市は、雑多な人間が入り混じっておるから、仮に脛に傷があっても、特定されることはないからのう」
ミーネが加えて言った。
「それに都市に潜り込めば、貧民として、富裕層からの奉仕を受けられ、飢え死にすることもなくなるからのう。都市に潜り込む価値は、それなりにあると言えるな」
市町村によって生活保護の需給基準が違うから、需給基準の甘い市町村に住民登録を移して生活保護を貰うようなものか。
「まあ、生きるためとは言え、魔物がうじゃうじゃいる森を抜けて、都市までやって来るのは、すごいよな」
「いや、魔物に関してはさほど問題ではあるまい。貧民の多くは、魔力を持たない連中ばかりじゃ。そもそも魔力を持たないがゆえに、貧民へと堕ちた連中じゃからな。魔物というのは、魔力に魅かれて近づいて来る生き物じゃ。魔力のない人間には、見向きもせんぞ」
「ああ、確かにそうだな」
つくづく変な世界だと実感する。魔力を持たない者は、魔物に襲われない。だが魔力を持たないがゆえに貧民へと堕とされる。
魔物に襲われないことは、立派なスキルだと思えるのだが、魔力優性主義に基づいた封建社会では、どう足掻いても、魔力を持たない者は、最下層へと落とされてしまう。
だが、もし魔物が、大攻勢を仕掛けてくれば、皮肉にも、生き残るのは彼らである。
そして、魔力の持たない彼らが生き残れば、おのずと魔物が人間に危害を加えることはなくなる。そうなれば、人々は魔物を恐れる必要がなくなり、滞っていた地域との交流も増えていくだろう。やがては他国との交易も復活し、世界は、急速に発展していくのではないだろうか。
そう考えると、魔力優性主義は、時代を逆行しているように思える。
だが、現状、魔力を持つ者たちが、物理的に強い力を持っているため、魔力を持たない者たち、つまり何の力を持たない者たちは、彼らに従うしかない。
結局、どの世界も、力がすべてなのだと思い知らされる。
そんなことを考えながら、墓地を抜けると、闇の向こうに城壁が見えた。そんな城壁の根元にへばりつくように、粗末なバラック小屋がいくつも並んでいる。
灯りのないバラック小屋からは、微かな気配とともに、異臭が漂っている。
「うむ、確か、こっちの方じゃったのう」
陰鬱な空気の立ち込める中、ミーネの指さす方へ歩みを進める。
すると、城壁のたもとに、一人の男が座っていた。
見るからに薄汚い恰好をした中年の男だ。
くたびれているように見えるが、眼光はやけに鋭い。
男が、怪訝そうに、こちらを睨んだ。
「悪いが、外に出たいんじゃが、トンネルを通してくれんか? 無論、金なら払う」
男がゆっくりと立ち上がる。月の光に浮かび上がる顔は、いかにも人相が悪く、顎の辺りに大きな傷があった。
「アンタら、正気か? 外は赤帽子がうじゃうじゃいるって聞いたぜ」
「問題はない。こう見えても、ワシらは、S級冒険者じゃ。赤帽子など敵ではない」
S級冒険者という言葉に、男の顔が強張った。
だが、すぐに訝しげな表情に戻った。
「いやいや、いくらS級冒険者さまでも、簡単にトンネルを通すわけにはいかねえな。もし赤帽子が一匹でも都市に侵入したら、さすがに、オレらの立場が危うくなっちまう」
残虐な性格の赤帽子が、一匹でも都市に紛れ込めば、真っ先に、魔力の高い聖職者や貴族が狙われるはずだ。しかも、奴らは臆病で狡猾な性格も持ち合わせているため、魔力の高い人間の中から、女、子供、老人といった弱者を選んで襲い続けるに違いない。
もし貧民窟から赤帽子が侵入したと分かれば、都市の権限によって、間違いなくトンネルは封鎖されてしまうだろう。
「このトンネルは、オレたちの大事な資金源だからな、簡単に潰されるわけにはいかねえんだよ」
「約束する。赤帽子は一匹たりとも都市に入れん。トンネル内に侵入してきた奴らは、すべてワシらが始末する」
自信満々で言い放つミーネ。
すると、男が、深い溜息を吐いた。
「てゆーか、アンタら、よくもまあ、そんな状態で、エラソーなことが言えるな」
俺とシュタインは顔を見合わせた。
そう、俺はルピナスをおんぶし、シュタインはミーネを抱っこしている。しかも俺は、獲物であるハンマーをぶん投げてしまったため、完全なる丸腰だ。
「それで、どうやって戦うつもりなんだ?」
「どうやって……」
「どう見ても、お嬢ちゃんと、そのエルフのネーチャンは、戦えないだろ」
「確かに……」
俺はミーネに視線を向けた。
考え込むミーネ。
「蹴りじゃ!」
「蹴り?」
「そうじゃ、こやつら二人の蹴りのみで、敵を殲滅する!」
「できるかっ!」
俺が盛大に突っ込んだ。
と、次の瞬間、肌が泡立つのが分かった。
突如として立ち込める冷気。
感じたことのある冷気だった。
「来るぞっ!」
ミーネの叫びに、俺とシュタインは同時に地を蹴った。
「氷結女神の唸り」
大地を裂くように氷の刃が迸り、トンネルの前にいた男が、一瞬にして氷漬けにされた。
氷漬けにされた男からは、濛々と白い煙が立ち込め、ひりつくような冷気が漂ってきた。
苦虫を噛み潰すミーネ。
俺たちの視線の先、月光に煌めくダイヤモンドダストの向こう側に、杖を掲げた一人の魔導士が立っていた。
長い銀髪が冷風に揺れ、切れ長の瞳でジッとこちらを睨んでいる。月明りに照らされた白い肌は、新雪のような輝きを放っている。
勇者パーティーの魔導士がそこにいた。