ためらうな。
突然の魔物の襲撃に、アメルリーヒ伯爵の屋敷は騒然となっていた。
アメルリーヒの配下の騎士たちは、混乱の中、慌てながら鎧に着替えていた。
だが、肝心の伯爵の姿は、どこにも見えなかった。
恐らく、勇者と一緒にいるのだろう。
「なぜ、急に赤帽子が攻めて来たのだ! 奴らは凶暴だが、臆病だとも聞く。大司教さまのお膝元であるハーデブルクには、多くの騎士と傭兵が滞在している。赤帽子のような低級の魔物が、徒党を組んで押し寄せてくるなど、ありえないぞ!」
「はい、過去、一度として、ハーデブルクに魔物が攻めて来たことはありません。ですが、赤帽子を一匹でも都市へ侵入させれば、間違いなく市民に危害が及びます。もし、貴族や司祭に死者が出れば、都市防衛を任されている我々の面子は丸潰れです」
「そんなことは分かっている。赤帽子は、一匹たりとも都市には入れさせん!」
騎士と従卒の会話である。この都市を拠点としている騎士と従卒は、貴族の配下であると同時に、都市防衛ための兵士としての役割も任されている。
「しかし、アメルリーヒさまは、どこにおられるのだ。もう出撃準備はできているというのに!」
こういった緊急事態であっても、騎士は、主君の命令なしでは行動することはできない。
「恐らく、勇者さまとご一緒かと」
一瞬、騎士の男が黙り、その後、盛大に息を吐いた。
「まったく、困った御方だ」
そんな呆れ果てる騎士の横を、俺たちは何事もないように通り過ぎた。
屋敷の敷地内に忍び込むのは、案外簡単だった。電灯など存在しない世界だ。混乱に乗じて、夜の闇に紛れれば、誰が誰なのか分からなくなる。
俺は、魔力探知を使って、ルピナスの居場所を探した。
居場所はすぐに分かった。四階建ての本宅ではなく、二階建ての別宅にいるようだ。
そして、彼女の近くで、醜悪に蠢いている魔力も探知した。
勇者だ。
「ルピナスは別宅の二階にいる」
ミーネとシュタインにそう告げると、俺たちは本宅の脇をすり抜け、裏庭へと出た。別宅は、裏庭を挟んで正面にある。だが、裏庭には、多くの騎士や従卒が待機していた。恐らくアメルリーヒが現れるのを待っているのだろう。
「くそっ、騎士や従卒の中に紛れることができても、別宅に侵入するところを見られたら、完全にアウトだな」
「この狭い裏庭で密集して待機しておるから、まとめて魔法で眠らせることも可能じゃが、効き目は分散される上、魔力差にも大きく左右されるからのう。魔力の低い従卒は、すべて眠らせることができるじゃろうが、魔力の高い騎士を、隈なく眠らせることは難しいかもしれんな」
「くそっ、どうすりゃいんだ!」
ちょんちょん。
誰かが、俺の肩を指で突いた。
苛立ちをあらわに振り向くと、シュタインが大きく頷いた。
次の瞬間、シュタインは大地を蹴り上げると、待機している騎士団に向かって突っ込んでいった。
「ちょ、ちょっと、お前、なに考えてんだっ!」
シュタインは大斧を振り上げると、ためらうことなく、騎士たちに向けて振り下ろした。騎士たちの悲鳴が上がる。シュタインは、豪快に大斧を振り回し、次々と騎士たちを薙ぎ倒していく。謎の戦士の強襲に、騎士たちは、一気に恐慌状態へと陥った。
「てっ、敵かっ、いったい、何が起こっているんだっ!」
暗闇の中、小さな身体が、騎士たちの足元をつむじ風のように駆け抜けていく。シュタインの濃い髭と濃い体毛が見事に闇と同化しているため、巨大な斧だけが暴れまわっているように見える。
「ほほう、シュタイン、これは名案じゃのう」
騎士たちの意識を引きつけている間に、別宅に侵入しろということか。シュタインの強さとタフさは充分に理解している。あの程度の騎士どもに、苦戦するようなことはない。
「じゃが、援軍が来れば、さすがのあやつでも厳しいじゃろう」
「ああ、そうだな、急いで、ルピナスを救出しないとな」
俺とミーネは、薙ぎ倒され、吹き飛ばされていく騎士や従卒たちの中をすり抜け、別宅へと走り込んだ。
「おーい、シュタインよ、ルピナスを救出したら、魔法で合図を送るからな。すぐに撤退せい」
ミーネの言葉に、暗闇の中、シュタインの大きな目玉がぎょろりと上下した。
「ゆくぞっ、決戦じゃっ!」
別宅に突入し、目の前の階段を一気に駆け上がる。人の姿は見えない。侍従や侍女がいてもおかしくないのだが、いかがわしいことに利用されている屋敷だ。あまり人を寄せ付けないようにしているのかもしれない。
階段を蹴り上げ、一気に二階へと跳躍する。そして、ルピナスの魔力を感じる部屋へと疾駆する。
ルピナス、そして勇者のいる部屋は、一番奥の角部屋だ。
すると、聞き覚えのある憎々しい声が、耳朶を震わせた。
「くそっ、ダメかぁっ、精神どころか、肉体にも完全に入り込むことができねぇっ!」
勇者の声だ。
次いで、アメルリーヒの声も聞こえた。
「すっ、凄まじいほどの魔力抵抗……。やはり、エルフの魔力は高すぎるのです。勇者さま、今夜はもう、諦めになったほうがよいのでは……」
「うるせえっ、こうなったら、手足へし折ってでも、ヤッてやるっ!」
刹那、ルピナスの悲鳴が聞こえた。
俺は、巨大ハンマーで扉を粉砕すると、室内に転がり込んだ。
うす暗い部屋は広く、その中央には巨大な木製のベッドが置かれていた。ろうそくの灯り越しに、ベッドの上で、ぐったりとうなだれているルピナス。そして、彼女の細く長い腕を、力任せに捻りあげている勇者の姿が映った。
突然の来訪者に、勇者の目が丸くなる。
俺は、勇者がルピナスの手を離した瞬間を見逃さなかった。
ためらうな。
俺は、巨大ハンマーに渾身の魔力を込めると、呆気に取られている勇者に突っ込み、ためらうことなく、ハンマーを横なぎにフルスイングした。
ハンマーの芯が、勇者の全身を捕らえた瞬間、バキッ、バキばきっ、と鈍い音が響いた。
渾身の魔力を爆発させながら、思いっきりハンマーを振り抜くと、勇者は派手に壁をぶち破り、激しく回転しながら、漆黒の空へと吸い込まれていった。
ためらうな。
この世界で生き抜くために、最初に学んだ言葉だ。