平和で豊かな国で生まれ育った、ただの日本人だ。
俺、ミーネ、シュタインは、最大限の武装を施して、晩餐会が行われているアメルリーヒ伯爵の屋敷へと向かった。
アメルリーヒは、都市貴族の中でも上位に君臨する名家の出身らしく、ハーデブルクでは、大司教や司教に次ぐ有力者の一人らしい。恐らく、夢の中で勇者と話していた男だろう。
「まさか、勇者が犯人じゃったとはな……」
「アイツは、正真正銘の鬼畜野郎だっ!」
中央広場へと続く細い路地を、俺、シュタインの順に走り抜けていく。ミーネは高速移動するスコップの上に乗り、俺たちと並走している。
「あと、勇者が、狩っておる竜のほとんどが、無害な竜と言っておったが、それは本当なのか?」
「ああ、間違いない。俺は、何度も夢で、奴が竜に一方的に因縁をつけて、殺している姿を見てきたからな」
俺は、勇者の本性を伝えるため、奴が金欲しさに、無害な竜を狩り続けていることもミーネとシュタインに教えた。
「おぬし、なぜ、今まで黙っておったっ!」
ミーネが声を荒げた。
俺は、一瞬、声を詰まらせた。
「い、いや、だってよ、この世界の勇者は、魔王に対抗できる唯一無二の存在なんだろ? この世界の人々にとって希望の光なんだろ? そんな大英雄が、あっちこっちで悪さしてるなんて言えないだろ……」
俺は、ためらいながらも続けた。
「とくに、ルピナスの前では……」
ミーネは黙って、俺の話に耳を傾けている。
俺は、恐る恐る続けた。
「あいつにとって勇者は、特別な存在だ。あいつの祖国を取り戻すことができるのは、この世界で勇者しかいない。あんな鬼畜野郎でも、ルピナスにとっては唯一無二の存在であり、希望の光でもあるんだ。それを知った上で、奴の本性をバラすのは、俺にはできない……」
ミーネの表情が険しくなった。
「悪いが、おぬしの考えに賛同することはできんな。確かに、勇者の狼藉を、人々やルピナスに告げることは、ワシであっても憚れる。じゃが、このまま《竜骨生物群集帯》が増え続ければ、どうなるか、おぬしでも分かっておろう」
ミーネが続けた。
「これまでは、竜の棲み処が、人間の生活域と離れておったから、さほど大きな被害が生まれることはなかったが、もし、人間の生活域で竜が狩られ、そこに《竜骨生物群集帯》が生まれたらどうなる。間違いなく、その周辺に住む人間は、すべて魔物の餌となるぞ!」
俺は、何も言い返す言葉が浮かばなかった。
「もし、剣も魔法も通用しない魔物どもが、王都や大都市へ押し寄せれば、国家の滅亡は避けられんぞ!」
この世界の人々のため、そしてルピナスのため、勇者の悪事について黙ってきたが、それらすべてが独りよがりの考えだったことを痛感した。
俺は、この選択が正しいのだと、勝手に納得し、自己完結していた。
いや、違う。
これは建前だ。
本音を言うと、俺は、この世界に対して何の興味もなかった。
勇者も魔王も竜も、はっきり言って、どうでもよかった。
ただ、とにかく働いて、さっさと金を稼いで、さっさとリタイアすることだけを考えていた。
社会人の時もそうだった。仕事に対して何の興味もなかった。
ただ働いて、給料を貰って、一日、一日を乗り越えることしか考えていなかった。
勇者が、この国の人々の希望であり、ルピナスの希望でもある。
すべて詭弁である。
俺の根底には、この世界のことも、勇者のことも、そしてルピナスのことも、最初から興味などなかったのだ。
だから自分の夢のことも、誰にも話さなかった。
なぜなら、すべて他人事だったからだ
俺は、目を背け続けていた。いや、目を向けることさえ考えていなかった。
だが、さすがに今回は、真正面から向かい合わなければならない。
視線を逸らすことは、絶対に許されない。
ルピナスが勇者どもの慰み者にされるのは、絶対に避けたい。
そんな結末は絶対に嫌だ。
彼女を救いたい。
俺は、純粋にそう思っていた。
ハンマーを握る手が、小刻みに震える。
爆発しそうな感情に、全身が震えている。
「ミーネ、お前の言う通りだ。俺は、もっと早く、事の重大さに気付くべきだった」
ミーネは微かに笑みを浮かべると、ふん、と鼻を鳴らした。
「まあ、勇者の本性が、おぬしの言うような下劣極まる輩となると、やはり、無用な竜狩りを止めさせるには、奴からバルムンクを取り上げるしかなかろうな」
ミーネが続ける。
「じゃが、あの勇者からバルムンクを奪うのは至難の業じゃのう。なにせ奴には、傀儡魔法があるからのう。人知を超えた魔力を持つ勇者にとって、この上なく相性の良い魔法じゃ。奴の傀儡魔法を退けることができるのは、この世界では、魔王ぐらいしかおらんじゃろう」
「魔封じの魔法で何とかならないのか?」
「ううむ、光属性の勇者には、光耐性が付与されておるからのう。まず間違いなく、魔法の効果は半減するじゃろう。さらに、そこに奴の魔力抵抗も加わるとなると、やはり封じるのは難しいじゃろうな」
完全なるチートってことか。
「もしかして、ブルグント王が、バルムンクを借りパクしている勇者を放置しているのは、奴の傀儡魔法を恐れているからなのか?」
ミーネが頷いた。
「恐らくそうじゃろうな。下手に勇者を怒らせ、反乱なんぞ起こされたら、もはや配下の騎士や傭兵ではどうにもならん。全員、傀儡魔法で廃人させられて終わりじゃ」
「最悪、国が滅ぼされるかもしれないってことか……」
あの勇者ならやりかねない。
「そんな化け物相手に、今から喧嘩を売りに行くのじゃぞ」
ミーネが皮肉交じりに言った
俺は黙ったまま走り続けた。
「策はあるのか?」
「いや、ない」
ミーネが肩をすくめた。
「だが、お前たちは、勇者を恐れすぎている」
俺は続けた。
「奴は、この世界の人間じゃない」
ミーネが眉をひそめた。
「奴は、俺と同じ日本人だ」
異世界転移してチート能力を授かった、ただの日本人だ。
そして、平和で豊かな国で生まれ育った、ただの日本人だ。