勇者が、この近くにいる。
記憶を辿っていく。
誰かを好きになった経験はあるが、誰かに好きだと言われた経験はない。
俺が学生の頃、カーストの最頂点に君臨していたのは、ヤンキーと運動部だった。ドラマにあるような華やかな青春は、彼らを中心に回っていた。そして、演者である彼らを取り巻く、その他大勢のモブたちは、彼らの引き立て役に回るか、ただの背景となって見守るか、そのどちらかでしかなかった。
俺は、背景となって見守るモブを選んだため、カーストの最底辺にいたことは間違いない。
それでも、人生で最も多感な時期だ。気になっている女子がいてもおかしくはない。
無論、相手にもされなかったが。
そもそも学生時代に、女子と会話したのは数回程度だ。それも、授業中に消しゴムを落として、隣の席の女子が拾ってくれて、「あ、落としたよ」、「あ、ありがとう」、こんな感じの会話ばかりだ。
果たしてこれが、会話として成り立っているのかどうかは、触れないでほしい。
社会人になってからは、ブラック企業で生き残ることだけを考えていたため、恋愛という概念すら忘れ去ってしまっていた。この年になって改めて思うが、恋愛は、心身ともに、めちゃくちゃ充実している時にしかできないと思う。心身ともに疲弊し、憔悴している時は、自分のことで精一杯となるため、他人に意識を向ける余裕がなくなってしまうのだ。
恋愛から結婚まで到達した人は、純粋にすごいと思う。
恋愛から結婚までの期間、ずっと、心身ともに、めちゃくちゃ充実し続けてきたということだ。
どうやったら、そんな人生を歩むことができるのか、是非とも教えていただきたい。
なぜなら俺は、社会に出てから、一秒たりとも、心身ともに充実したことはないからだ。
だから、恋愛にすら到達したことがない。
――お前のことが好きなんじゃよ!
何で?
純粋な疑問である。
まったくピンとこない。
俺のことが好き?
ルピナスが?
エルフのお姫様が、元社畜のオッサンが好き?
何で?
いや、ぜんぜん意味が分からない。
どういうきっかけで、俺を好きになったのか。俺のどこを好きになったのか。まったく分からない。正直、この世界は、西洋風味な部分が強いこともあり、イケメンの数はかなり多い。特に、王族や貴族は、憎たらしいほどのイケメン揃いだ。
そんな中から、俺を好きになる意味が分からない。
いや、ちょっと待てよ。昔、どっかのテレビ番組で、人間は、身近にいる人間を好きになりやすいと聞いたことがある。確か、効率的に子孫を増やすため、脳が身近な人間を好きになるようにコントロールしていると言っていた。
これは、エルフにも適応されるのだろうか。
二年間、同じ職場で働いてきたことで、身近な同僚である俺に、好意を覚えたということか。
脳がコントロールされたということか。
だが、前の世界でも、二年間、いや、それ以上の期間、同じ職場で働いてきた女性は何人もいたが、身近な同僚である俺に、好意を示したことは一度もない。
誰一人として、俺を好きになった女性はいない。
脳がコントロールされた形跡は微塵もない。
考えれば考えるほど、ミーネの言葉が疑わしく思えてくる。
ミーネいわく、俺に対するルピナスの態度は、誰から見ても一目瞭然らしい。それはシュタインも納得していた。
だが、俺へと向けられるルピナスの態度を、いろいろと思い出してはみたが、なかなか好意らしきものを見つけ出すことはできない。
どれが、どうなったら、好きに繋がるのか分からない。
難しい。
難しすぎる。
仮に、ルピナスが俺のことを好きだったとして、俺はどうなのだろうか。
正直、彼女と初めて対面した時、あまりの美人に一目惚れした。
男とはそういう生き物だ。美人であれば、誰であっても、好きになる。中身など関係なく、好きになる。それが男という生き物だ。
ルピナスと出会った頃は、あまりの美しさに見惚れ、いかがわしい妄想もした。いや、いかがわしい妄想は、今もしている。男とはそういう生き物だ。
だが、高圧的で暴力的な彼女を目の当たりにしていくうちに、不思議と好意も消え去っていった。
やがて、職場の同僚として、一定の距離を保ちながら接するようになった
同僚としては、非常に優秀で、頼りになるため、一定の距離を保ちながらも、良好な人間関係を維持することに勤めた。
だが、彼女は、それを望んでいなかったということなのか。
考えれば考えるほど、頭が混乱してくる。こんな感情は初めてだ。
難しい。
難しすぎる。
あまりにも難しすぎる。
これが女心なのか。
理解できないのは、俺の恋愛レベルが低いからか。
俺は、思いっきり頭を振った。
とにかく今は、ルピナスを探すことに専念しよう。
やっぱり、あれは言いすぎた。
彼女を泣かしてしまったのは、紛れもない事実だ。
これだけは、どうやっても謝らなければならない。
そんなこんなで、俺は、ルピナスを探して、都市を徘徊している。
都市の面積は、それほど広くはないのだが、高い建物が入り組んでいるため、通路は迷路のように複雑になっている。人探しとなると、正直、骨が折れる。
「仕方ない、魔法で探すか」
そう、こんな俺でも、魔法を使うことができる。
まあ、仕事に必要な最低限の魔法しか使えないのだが。
俺は、四大精霊の加護があるため、魔法の鍛錬を行えば、火、水、風、土、といった精霊魔法をすべて習得することができる。だが、あいにく、《竜骨生物群集帯》に棲息している魔物には、魔法攻撃が一切通用しないため、魔法を習得するメリットはあまりない。
しかし、ヤバい魔物だらけの《竜骨生物群集帯》で、仕事を続けていくには、最低限の治癒魔法や補助魔法を覚えておく必要があった。実際、これらの魔法を覚えていなかったら、とっくの昔に、俺は死んでいる。
そのため、大魔導士ミーネ様のスパルタ指導を経て、仕事に必要な最低限の魔法だけ覚えたのである。
その一つが、魔力探知の魔法だ。
魔力を宿す、あらゆる存在に対して、その魔力量と居場所を探知することのできる魔法だ。
魔力量に関して言えば、《竜骨生物群集帯》では、棲息する魔物が、どれほどの魔力を宿しているのか分からない場合が多い。そのため、魔力量を事前に確認する必要があった。仮にゴブリンであっても、取り込んだ竜骨の魔力によっては、魔王に匹敵する魔力量を宿していることもある。そういったことを見極めるため、魔力探知は絶対に必要となる。
そして、魔力探知を行うことで、魔物の居場所も特定することができる。《竜骨生物群集帯》では、魔物との遭遇は、即時、戦闘となるため、居場所の把握は非常に重要となる。
だが、現実は、そう上手くはいかない。
魔力探知は、魔力の消費量が大きく、さらに、その範囲を広げていくほどに、魔力の消費量は増大していく。そのため、俺たちの中では、魔力量の多い、俺とミーネしか使用することができない。しかも、現場で作業している最中は、竜骨を砕くために身体強化魔法を使ったり、竜骨を運ぶために操作魔法を使ったりしているため、俺もミーネも継続的に魔力探知を行うことができない。
そんなこと相まって、前の現場では、ゴブリンに奇襲を受ける羽目となった。
誰か、魔力探知専門の人材が欲しいところだが、一日中、魔力探知を行えるほどの魔力量を宿した人材など、そう簡単には見つからないだろう。
なぜなら、大魔導士ミーネであっても、魔力探知を継続して行うのは、二時間が限界だと言っていた。仕事中、ミーネが持て余している時間を利用しても、たったの二時間で、彼女の魔力は空っぽになるのだ。ちなみに、魔力が空っぽになると、まったく動けなくなるため、仕事に大きな支障をきたしてしまう。
それほど、魔力探知は、魔力の消耗が激しいらしい。
と、言っても、俺は、それほど魔力を消耗している感覚はないのだが。
これぞ、異世界チート能力ってやつだ。
「さて、ちょっと集中するか」
俺は、ぶつぶつと詠唱を始めた。ミーネから教えられたよく分からない暗号のような記号のような呪文を声に出していく。真面目に鍛錬を積めば、詠唱なしで魔法が使えるようになるのだが、俺のようなド素人は、教えられた呪文を、そのまま唱えることしかできない。
「魔力探知、発動っ!」
俺は、自らを中心として、半径1km圏内の魔力探知を行った。
もっと範囲を広げることも可能なのだが、詠唱も長く複雑になるため、自作のメモ帳が必要となる。そのメモ帳には、魔法詠唱の呪文が日本語で書いてある。仕事中は、常にメモ帳をポケットに忍ばせているのだが、休暇の際は、魔法を使う機会がそんなにないため、鞄の奥にしまってある。
よって今の俺は、記憶の中にある簡単な呪文しか詠唱することができない。
静かに目を閉じて、ルピナスの魔力を探す。S級冒険者である彼女の魔力量は膨大だ。この都市の衛兵と警使の魔力量を合わせても、恐らくルピナスの魔力量のほうが上だろう。
ビンゴだ。
ルピナスの魔力は、いつも感じ取っているため、すぐに分かった。
1km圏内に彼女はいる。
が、その近くに、彼女の魔力を遥かに凌ぐ、爆発的な魔力を感じ取った。
俺は、皮膚が泡立つのが分かった。
こんな化け物じみた魔力を垂れ流している奴は、一人しかいない。
勇者だ。
勇者が、この近くにいる。
しかも、ルピナスと一緒に。