差別してんじゃねえ。
「きゃあ、どうしよう、この街に勇者さまが来てるなんて! あたしも挨拶に行ったほうがいいかなぁ?」
ここは、ハーデブルクにある行きつけの酒場。
酒と食事の両方を提供してくれるため、仕事終わりは、もっぱらここに立ち寄っている。いわば居酒屋みたいなところだ。ぬるい酒とマズい飯が自慢の店である。
ちなみに、二階と三階が宿屋になっているため、食後は、そのまま寝床に直行することができる。
おかげで、時間を気にすることなく、ぬるい酒とマズい飯を堪能することができる。
今夜はいつも以上に、酒がぬるく、飯がマズく感じる。
どうやら、この都市に、勇者が滞在しているようだ。
どういった目的で、この都市を訪れているのかは不明だが、おかげで都市は、この周辺の貴族と、その従者たちで、ごった返している。いつもはガラガラの安酒場でさえ、貴族が連れて来た従者どもで溢れ返っている。人混みが大っ嫌いな俺にとって、この上ないストレスだ。夜が明けたら速攻で都市を出てやる。
「ねえねえ、あたしも勇者さまに挨拶に行ったほうがいいかなぁ?」
ルピナスが目を輝かせ、こちらを見た。
ルピナスは、飽きれるほどの勇者信奉者だ。
彼女の祖国は、魔王軍の侵攻によって、滅亡へと追いやられてしまった。よって、魔王への恨みや憎しみは、誰よりも強い。そんな憎っき魔王を討ち滅ぼすため、異世界から転移してきた勇者は、彼女にとっての救世主であり、その憧れは誰よりも強い。
これが、異常なほど勇者に陶酔している理由だ。
気持ちは分かる。
気持ちは分かるが、傍から見れば、痛いアイドルファンにしか見えない。
正直、鬱陶しい。
「ねえ、ちょっと、聞いてんの?」
ルピナスが眉をしかめた。
「ただの冒険者が挨拶に行ったところで、相手にされないだろ」
貴族どもが勇者に媚びへつらっているのは、有事が起こった際、自らの領地を護ってもらうためだ。森の中は魔物が跋扈し、北方には敵国ニーダーラントの脅威があり、さらに海の向こうから、魔王軍が迫りつつある。こんな危機的とも言える状況下で、使役している騎士や、雇った傭兵、冒険者だけでは、領地を護りきれないのが現状である。よって貴族たちは、多大な金品を駆使して、勇者を取り込み、万が一の事態に備えようとしているのだ。
正直、あの勇者を買収したところで、素直に従うとは思えない。むしろ、勇者という特権を利用するだけ利用して、さらなる金品を要求してくるだろう。ゆすり、たかりは、あの勇者の常套手段だ。タチの悪いチンピラよりも、タチが悪い。
恐らく、勇者の元には、想像を絶するほどの金銀財宝が流れ込んでいるはずだ。もし俺が勇者だったら、さっさと魔王を倒して、頂いた財宝で、さっさと隠居するのだが、奴に、そんな考えは微塵もない。
奴の目的は、この異世界で、欲望の赴くままに暴れ回ることだからだ。
欲望の赴くまま。
そう、欲望の赴くまま、竜を狩り続けるだろう。
このまま《竜骨生物群集帯》が増え続け、俺たちの手が回らなくなれば、間違いなく、人間は絶滅してしまうだろう。幸い、これまでに討伐された竜の棲み処が、人間の生活域から遠い場所にあったため、直接的な大きな被害は起こっていない。だが、もし人間の生活域から近い場所で《竜骨生物群集帯》が発生すれば、人間への被害は甚大なものとなるだろう。
それを知ってか、知らずか、勇者は、容赦なく竜を狩り続けている。
何の罪もない竜を、容赦なく殺し続けている。
自らの欲望を満たすため。
考えれば考えるほど、怒りが込み上げてくる。
「あたしは、ただの冒険者じゃないわ、イースラント王家の血を引く正当なる王女よ。それに、あたしほどの美貌と品性を持ち合わせた冒険者は他にいないわ」
腰に手を当て、控えめな胸を張って、偉そうに言い放つルピナス。
はいはい、そうですか。
ふと、ミーネとシュタインに視線を向けると、二人とも黙々と肉を頬張っていた。
俺は、ぬるいエールを一気に流し込んだ。
「ああ、そうだな、お前ほどの美女なら、憧れの勇者さまも放っておかないよな」
そう俺が言うと、ルピナスがむうっと頬を膨らませ、勢いよく立ち上がった。
「アンタさあ、勇者さまの話になると、いつも機嫌が悪くなるのは、なんで?」
急に突っかかってきた。
ちょっとばかり皮肉を混じらせたのがまずかったのか。
やはり、酔うと本音が出てしまう。
はあ、面倒くさい。
「別に、そんなことない」
俺は、自分の夢の話を、誰にも話していない。そのため、勇者の悪行を知る者はいない。
知らないほうがいいと思ったからだ。
これは俺の勝手な判断だ。
自分の夢の話をすれば、おのずと勇者の悪行も話すことになるだろう。勇者信奉者のルピナスに、このことを話せば、間違いなく険悪になる。
職場において最も重要なのは、人間関係だ。
人間関係が悪化すれば、あらゆる面で仕事に支障をきたしてしまう。それを避けるためにも、勇者の数々の悪行は、自分の中でしまっておくことにした。
だが、奴の悪行を、夢で何度も何度も見せられると、否応なしに態度として出てしまう。
あのクソ野郎が、この異世界で、勇者として崇め奉られていることに、無性に腹が立つ。
「いつも、眠そうにダラダラしているくせに、勇者さまの話になったら、急に目つきが変わるでしょ。なんでよ! 何で、そんなに勇者さまが嫌いなのよっ!」
はあ、何なんだ、コイツは。
どうして、俺ばかりに突っかかってくるのか。
ミーネやシュタインは、勇者に対して嫌悪感こそ出さないが、恐ろしいほど無関心だ。ルピナスの勇者談義には、基本、二人とも無視を貫いている。コイツらには怒りを覚えないのか。反応する俺のほうが、幾分マシに思えるのだが。
「嫌いだなんて、言った覚えはない!」
「態度に出ているじゃない、あたしには分かるのよっ!」
大きな瞳を吊り上げ、ジッと睨みつけるルピナス。
俺は嘆息した。
なぜ、俺ばかりに怒りをぶつけてくるのか。確かに、態度には出ているかもしれないが、俺は、一度も、勇者への嫌悪を口に出してはいない。ルピナスが勝手に決めつけて、勝手に感情を爆発させているだけだ。
職場において最も重要なのは、人間関係だ。
特にルピナスは、お姫様でプライドが高いため、極力、余計なことは言わず、できるだけ、彼女の指示に従うように心掛けてきた。それが関係良好への近道だと思ったからだ。
それでも、付き合いは長いため、それなりに、くだけた会話もするようになったが、一定の距離は空けるように心掛けていた。それはミーネやシュタインに対しても同じだ。
距離が近くなれば、必ず、どこかで軋轢が生じてしまうからだ。
俺は、職場の人間関係を円滑にするため、誰よりも気を使っているつもりだ。
誰よりも、波風立てないように心掛けている。
にもかかわらず、ルピナスからは、感情をぶつけられている。
こちらが、あえて一定の距離を保っているのに、一気に詰め寄られて、軋轢が生じてしまっている。
意味が分からない。
俺が何をした。
俺の機嫌が少し悪かっただけで、どうしてここまで咎められるのか。
俺だって人間だ。機嫌の悪い時だってある。
ルピナスに関して言えば、仕事中は、いつも機嫌が悪い。
もちろん、ミーネやシュタインだって機嫌が悪い時がある。
誰かの機嫌が悪い時は、空気を読んで、そっとしておいてやるのが、人間関係の基本だ。
俺は、ずっとそう心掛けてきた。
だが、なぜ俺だけが、咎められなければならないのか。
ニーベルゲン族最高位の魔導士ミーネと、ドワーフ族最強の戦士シュタイン。二人ともこの世界において極めて高い階位の存在だ。
そんな二人と比べると、俺には、何もない。
肩書は、うだつの上がらない元社畜だ。
差別か。
この世界は、魔力優性主義と血族優性主義を基に構築された封建社会だ。
魔力しか取り柄のない異世界転移者が、差別を受けても仕方ない。
俺は、腹の底で、どす黒い何かが蠢くのが分かった。
どこの世界も一緒だ。
人間は、自分よりも立場の弱い人間を差別する。
さらにそこから、反抗しない人間を選び、より差別をする。
差別して、否定して、また差別して、否定する。
どこの世界も、不条理で理不尽なところは変わらない。
結局、どいつこいつも、心根には、絶対的な自己の肯定と、徹底的な他者の否定があるのだ。
それが、差別を生み出す。
「ふざけるな……」
俺の声は、自分でも驚くほどに底冷えしていた。
「差別してんじゃねえ」