真の社畜とは、心を殺すことのできる人間のことだ。
俺は、落下したばかりの竜骨の破片を睨んだ。
見上げるほどの大きさだ。
「ちょっと大きい、な……」
俺は、大きく横たわる白骨死体へと視線を向けた。すると頭蓋骨のあたりで、小さな影がせわしなく動いていた。
筋骨隆々の少年が、大斧を振り上げて、頭蓋骨を必死に叩き割っている。
少年が振り上げている大斧は、彼の背丈の何倍もある。
「おーい、シュタインっ!」
俺は、少年に向かって叫んだ。
すると、少年が、大斧を振り上げたまま、くるりとこちらを向いた。
少年の顔は毛むくじゃらで、口元を布で覆っているため、大きな目玉だけが浮き上がって見えた。
「もうちょい、小さめでたのむっ!」
大きな目玉をギョロリと動かすと、少年がこくりと頷いた。そしてすぐに作業へと戻った。
相変わらずのクソ真面目である。
毛むくじゃらの少年の名はシュタイン。ドワーフ族最強の戦士らしい。小柄なため、一見、少年のように見えるが、年齢は百歳をゆうに超えているそうだ。
凄まじい怪力の持ち主で、素手で魔物を握り潰している姿を、何度も目撃したことがある。それでも性格は、真面目で温厚なため、付き合いやすい種族とも言える。職場の同僚としては、比較的、良好な関係を築いている。無口で朴念仁だが、非常に頼りになる男だ。
シュタインの仕事は、大斧で巨大な竜骨を割ることだ。非常に力を要する作業であるため、この職場で一番の力持ちである彼に任せている。
そして、シュタインによって割られた竜骨の破片を、ハンマーで細かく砕くのが、俺の仕事である。
だが、竜骨は、とにかく硬い。
背中を弓なり反らせた状態で、ハンマーを振り上げ、最大の勢いをつけて、ハンマーを振り下ろす。このハンマーは、高い硬度と魔力を宿した竜鱗を、鉄と合わせて錬成した竜鱗鋼と呼ばれる金属で作られている。
その威力は、低級の魔物であれば、一瞬でぺっしゃんこにすることができる。
しかも今の俺は、魔法で筋力を増強させている。
まさに一撃、一撃が、会心の一撃なのだ。
低級の魔物であれば、一瞬にしてミンチにできるほどの一撃だ。
にもかかわらず、相手が竜骨となると、途端、破壊力が鈍る。
叩いても叩いても、なかなか砕けない。
「なんじゃ、まだ、終わっとらんのか?」
黒い魔法式服をまとった少女が、偉そうにこちらへ近づいて来た。少女の耳には、大きな宝石のイヤリングがつけられ、首には、色とりどりの宝石が散りばめられたネックレスがぶら下がっている。十本すべての指には、宝石がむき出しになったリングがはめられ、色鮮やかな爪には、宝石の結晶が埋め込まれている。
それらすべてが、過剰なほど派手な装飾が施されている。
「硬いんだから、仕方ないだろ」
「もう他の竜骨は、全部、荷台に積み込んだぞ。早くせい、日が暮れてしまうじゃろうが!」
「だったら、お前も、砕くのを手伝えっ!」
「無理じゃな。ワシは、膂力が皆無じゃからな」
「偉そうに言うな。この役立たずがっ!」
「ぬわんじゃと! あの荷台を見て見ろ。おぬしの砕いた竜骨を、一欠片も落とさずに乗せたのじゃぞ。まさに職人技であろう」
少女が指さす先に、大きな荷車が停車している。その荷台には、細かく砕かれた竜骨が、こんもりと積まれていた。
「全部、魔法でやったくせに、よく言うぜ」
少女の背後には、槍のように長いシャベルが浮いていた。その数は六本。ぷかぷかと空中を漂っている。
俺は舌打ちをして、仕事に戻った。
「ほれ、さっさと持ってけ!」
「ふう、ようやく仕事にありつけたのう」
少女は嫌みったらしく、こちらを睨むと、地面に散らばった竜骨に視線を落とし、左右の手をくねくねと動かし始めた。すると浮遊していた六本のシャベルが、一斉に竜骨に向かっていった。
「さて、さっさと終わらせるか」
六本のシャベルが、無駄のない動きで、次々と竜骨をすくっていく。その動きは、訓練を受けた軍用犬のように見える。シャベルたちは、竜骨をこぼさないよう、慎重かつ丁寧に、荷車の荷台へと乗せていく。その際、荷台から竜骨が落ちないように、シャベルの背でポンポンと竜骨を叩き、固めながら乗せていっている。
慎重かつ丁寧な作業を行っているのは認めるが、シャベルたちを操る少女は、余裕の笑みを浮かべ、鼻歌なんぞ口ずさんでいる。
悪いが、仕事中に笑う余裕など微塵もない。
鼻歌なんてもってのほかだ。
俺と比較して、明らかに労力が見合っていない。にもかかわらず、このガキと同じ賃金で働いていることが腹立つ。どの世界でも、仕事はいつも、不平等で理不尽で差別的であることを実感する。
「ふう、終わった、終わった。さすがに疲れたのう」
「疲れただぁ? 実労働三分だろうが。なあ、いつもモヤモヤしているんだが、この仕事、お前だけ、異常にコスパよくないか?」
「ふむ、ワシは祠でひと眠りしてくる。また竜骨が砕き終わる頃に、起こしに来い」
「ふざけんな、つーか、人の話を聞けっ!」
少女は鼻歌交じりに六本のシャベルを引き連れて、休憩所となっている祠へと向かって行った。
俺は、深い溜息を吐いた。
あの宝石まみれの少女の名はミーネ。ニーベルゲン族最高位の魔導士らしい。小柄なため、一見、少女に見えるが、年齢は二百歳をゆうに超えているそうだ。
膨大な魔力の持ち主で、魔物の群れを、特大爆裂魔法で消し去る姿を、何度も見たことがある。性格は傲岸不遜でプライドが高いため、付き合い辛い種族といえる。それでも魔法に関しての知識は豊富なため、職場の同僚としては、あまり認めたくはないが、頼れる存在ではある。まあ、いろいろとムカつくことは多いが、こちらが我慢すれば済むことだ。
ちなみにドワーフ族とは遠縁の種族であり、彼らは相称して侏儒族と呼ばれている。人間と比べると長命な種族であり、魔力も豊富に宿している者が多い。
侏儒族は、多く存在しており、有名なところでは、ノッカー族、コボルト族、トロル族、そしてゴブリン族などがいる。その中でも、とりわけ力に優れているのがドワーフ族で、魔力に優れているのがニーベルゲン族だと言われている。
ドワーフ族とニーベルゲン族は、侏儒族の中において、かなり優秀な種族として位置づけられている。
特に、ニーベルゲン族は、かつて莫大な財宝によって世界を支配していた歴史があり、人間を含め、多くの種族からも特別視されている。ミーネのやたらと偉そうな態度も、この歴史に起因しているからだ。
ムカつきはする。
だが、どこの職場にもムカつく奴はいる。そんな奴に、いちいち目くじらを立てていてもキリがない。仕事を円滑に進めるためには、まず心を殺すことだ。
心を殺し、機械のように、黙々と働き続ける。
仕事とはそういうものだ。
社畜とはそういうものだ。
ちなみにこの職場では、ミーネよりも遥かにムカつく奴がいる。
だからこそ、心を殺し続けなければならない。
真の社畜とは、心を殺すことのできる人間のことだ。
とにかく、ニーベルゲン族の大魔導士さまが眠っている間に、次の竜骨を砕いておかなければならない。
嫌味を言われる前に、終わらせておかなければならない。
シュタインが切り落とした竜骨へと向かい、よっこらしょ、とハンマーを振り上げた瞬間、森の奥から奇声が聞こえた。
俺は、心の底からげんなりした。